日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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【同情するなら土産くれ】添乗員おススメのお土産~徳島県&高知県編~

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【同情するなら土産くれ】シリーズは、現役添乗員であるツベルクリンがおススメする日本各地のお土産をご紹介していくシリーズ記事です。今回は「徳島県」「高知県」のお土産を取り上げていきます。

 

前回の記事(山口県編)はこちら

www.tuberculin.net

 

このシリーズでは、

①ツベルクリンが食べたことがあるもの(試食も可)

②ツベルクリンが買ったことあるもの(人に渡すものも含む)

いずれかのお土産の中から選んでご紹介しています。ですから『あれ?あのお土産ランクインしてないんだけど?』とそのお土産の地元の方からご指摘をいただくこともありますが、食べたことないんだからしょうがない(´・ω・`)

 

では、ご紹介していきましょう

 

<目次>

 

 

鳴門金時ポテト(徳島県)

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さつまいもって奇跡の野菜だとは思いませんか?だって、野菜のくせに甘いんですよ(´・ω・)最近では、"フルーツトマト(笑)"なんていう粋がった野菜もありますが、そんなのはねつけるだけの甘みを、さつまいも様はお持ちなのです。

 

(*'▽')『分類上は、スイカやメロンやイチゴも野菜だよ!!』

(´・ω・)『うるさいわ!ボケ!!』

 

ということで、野菜の王様はさつまいも殿下と決まったわけですが、実は徳島県は"鳴門金時"というとても甘いさつまいもの産地なのです。

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 出典:https://www.sanchoku-shikoku.jp/SHOP/N02-M455.html

 

このさつまいもをペースト状にしてタルト生地とともに焼き上げたのが"鳴門金時ポテト"です。タルトとさつまいもの組み合わせとか至高にして最強です。こたつとミカンみたいなもんです(´・ω・)

 

ハタダ本舗という会社が製造販売しています。サービスエリアでは小分けして1個から販売しています(150円くらい)。このハタダ本舗は、この四国を牛耳るお菓子メーカであり、四国在住の人々がハタダ本舗のお店の前を通るときは、立ち止まり一礼していく姿を見かけます(´・ω・`)ちょうど新潟県の亀田製菓みたいな存在です。

 


鳴門金時ポテト 10個入
 

 

 

金長まんじゅう(徳島県)

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出典:halleichi-tuhan.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=1904465&csid=0

お土産には2種類存在します。"他県民の観光客が買っていくお土産"と"地元民がお仏壇に供えたり手土産として買っていくお土産"の2種類です。前者は例えば北海道の白い恋人とか福岡県の明太子が当てはまります。

 

一方の後者のお土産は、他県民の認知度が低かったりします。例えば岡山県編で取り上げた"大手まんじゅう”です。岡山県には"きび団子"という上司や部下を服従させるお菓子があり、大手まんじゅうはあまり認知度が高くありません。

 

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出典:https://www.okayamakan.or.jp/products/detail.php?product_id=94

このように、地元民御用達だけど他県民に知られていないお土産が日本各地には存在します。この徳島県の"金長まんじゅう"もその1つです。

 

ハレルヤというお菓子メーカーが製造販売しています。

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出典:https://ahahalife.com/tokusimakenitanogunnhareruya/

徳島県というド田舎に、こんなオシャレなお店があるんです。団体ツアーでもたまに立ち寄ります。

 

なお、四国は"四国八十八か所"という札所巡りがあります(通称、お遍路と呼ばれています)。お遍路ツアーの休憩で立ち寄ることもあるので、白装束を着た集団がぞろぞろとお菓子やさんへ入っていく和洋折衷の光景が見られるのも四国ならではです(´・ω・`)

 

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金長まんじゅうは1937年に誕生した歴史あるお菓子です。白いんげん豆のアンコをチョコレート味の皮で包んでいます。1個108円からの販売です。

 

上の写真で紹介した工場兼売店では、お菓子作り体験も実施しています。

徳島のハレルヤスイーツキッチン・スイーツビュッフェ|工場見学|お菓子作り

"たぬきケーキ作り体験"を開催しています。家族連れでも楽しめますね♪(なぜタヌキなのかはお店の人にでも聞いてください)

 


金長まんじゅう15個入(四国・徳島銘菓 株式会社ハレルヤ)
 

 

 

かつおのはらんぼ(高知県)

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出典:https://store.shopping.yahoo.co.jp/chokuhan/f060814n341s5.html

ツベルクリンは日本全国津々浦々うろちょろするのが仕事であり、お土産にも詳しいだろうと思われています。そんなツベルクリンが、食べた瞬間美味しすぎて膝から崩れ落ちたお土産が日本に3つあります。

 

1つは北海道のマイセンバターケーキ(北海道編で紹介済み)、2つ目は萩夏ふわり(山口県編で紹介済み)、そして3つ目はこの「はらんぼの塩焼き(高知県)」なのです。

 

はらんぼ"というのはカツオのトロの部分をいいます。カツオ1尾につき1枚しかとれない希少品であり、昔は漁師さんが船の上で食べちゃってたので市場では出回ることはありませんでした。

 

ツベルクリンがこのはらんぼの塩焼きと出会ったのは、高知空港でのことでした。飛行機が飛び立つまでの間で食べられるおやつとして、売店でたまたま見つけて1つ買ってみたのです(そのまま食べられます。お家で炙ってもいいかもしれません)。

 

ツベルクリンは、はらんぼの塩焼きなんていうお土産を知らなかったのです。たまたま見つけたので、何の心の準備もなく口にしてしまったのです。そして、空港という公の空間にいるのにもかかわらず『クソうめぇ!!』と普通に叫んじゃったのです(´・ω・`)

 

身は柔らかく、絶妙な加減で脂が乗っています。私は思わず売店に戻り、追加で買い足したのは言うまでもありません(人生において、お土産を買い足したのは今んとここのはらんぼの塩焼きだけです)。

 

そのまま食べてもよし、炙ってもよし、お好みで召し上がってください。このはらんぼの塩焼きは、まじめにおススメです。もし買ってみて美味しくなかったら、送料自己負担でツベルクリンのところへはらんぼを送ってきてください。私が美味しく頂きますので('ω')ノ

 


吉永鰹節店 はらんぼの塩焼き 国産鰹使用 2本入(約40g)
 

 

 

かつお人間だし醤油(高知県)

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出典:tencosu.com/users/blogdsp/5833/

 

 

高知県には、【閲覧注意】なゆるキャラがいます。

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出典:lip-luck.co.jp/suit/519.html

かつお人間です。人間って単語が付いてますが、人間っぽいのはふんどし姿であるという点だけです。どういう精神状態で生み出されたキャラか分かりません。寝違えたのか分かりませんが常に横向き顔です。

 

後頭部はこんな感じとなっています

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もう骨肉まで見えちゃってるんですがそれは…(´・ω・`)

 

このカツオ人間が開発してるっていうか名義貸ししてるっていうか、とにかく"カツオ人間だし醤油"という商品が販売されています。

 

カツオの削り節が入っていて、何でもいいので醤油を瓶の中にぶち込むと、あら不思議!普通の醤油がかつお節味醤油になっちゃうという、はた迷惑な商品です。何度でも醤油を継ぎ足せば、永久に使えますよ(ティーバックの紅茶みたいなもんです)

 


カツオ人間 だししょうゆ(ビン入)【四国 高知 南国 土佐 お土産 おみやげ かつお ご当地 キャラクター カツオ人間 簡単 お手軽 自家製 だし しょうゆ お取り寄せ】
 

 

なお、カツオ人間はtwitterやってます。ゆるキャラに興味ある方やカツオ人間にきゅんと来た方、後頭部から骨肉はみ出しちゃってる系の方はぜひフォローしてあげてください(*'▽')

☆カツオ人間☆ (@katsuo__2011) | Twitter

 

 

終わりに…

ブログを始めて2か月経ちまして、ほかのブログを拝見することも増えてきました。私が読者登録しているブロガーさんの中で『この人にはかなわないな~』というブログをご紹介しようと思います。

 

『ほうれい線上のマリア』/北野トマレさん

www.kitanostop.com

 

アラフォー世代のお母さんの日常を漫画形式で書いているブログです。テンポがいいので臨場感あふれる仕上がりとなっています。やっぱり、絵がうまいと言うのはアドバンテージになりますよね(´・ω・`)

 

 

『つまらぬものを斬ってしまった』/まままっこりさん

www.mamamaccori.com

 

こちらの方もアラフォーのお母さん。ほぼ文章だけのブログですが、文章だけでここまでのレベルの文章を書けるのはズルいです(´・ω・`)

 

ですから、トマレさんが絵を描いて、まままっこりさんが文章を書いて、ツベルクリンがその横でお土産を食べながら応援すればきっとすごい記事が出来そうだな~って妄想しています(´・ω・`)

 

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【旅行用心集を読む】(第1回)江戸時代のガイドブックを読むブログ

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当ブログにおいては、【時には昔の雑誌を‥】というシリーズで、筆者であるツベルクリン所有の昔の雑誌をご紹介してきました。

シリーズ一覧はこちらから

【昔の雑誌を読む】 カテゴリーの記事一覧 - 日常にツベルクリン注射を‥

 

そして、今回より新しく【旅行用心集を読む】シリーズをスピンオフ企画として立ち上げることにしました。これから全何回になるか分かりませんが、『旅行用心集』という雑誌っていうか書籍を読んで行きたいと思います(*´ω`)

 

最近しょうもない記事ばかり書いてましたが、それはこのシリーズを立ち上げる準備をしていたからです(๑・̑◡・̑๑)

 

『旅行用心集』とは、今から209年前の1810年(文化7年)に発行されたガイドブックです。今で言う『地球の歩き方』の国内旅行verみたいな本です。著者は八偶芦庵(やすみろあん)という、旅行好きなただの一般人です。その江戸時代に書かれた本が手元にあるので、ご紹介していきます。

 

当時は、まず根本的なルールとして勝手に自分の住んでいる藩(今で言う県)を出ることは禁止されていました。勝手に出ちゃった場合、いわゆる"脱藩"という犯罪になります。つまり、旅行とかできなかったわけです。

 

もっとも、理由があれば旅行の許可がおりました。認可される理由としては

①温泉に入って病気を治したい

②神社仏閣にお参りしたい

この2ついずれかを理由として村の役人に申請すれば、旅行の認可が下り、全国どこの関所も通過できる"通行手形"がもらえたのです。つまり、ちゃんと手続きを踏めば、自由に日本全国を旅行することができたのです。

 

でも、今と違って旅行に行きたいと思ってもそのノウハウを持っていません。それこそ、人生に1度旅行に行けるかどうかの時代です。今で言う宇宙旅行に行く感覚ですわね。しかも、移動手段は徒歩ですし。一般庶民は、旅行の方法が全く分からなかったのです。

 

そこに登場したのが、この『旅行用心集』です。著者の八偶芦庵は、この時代には珍しい"旅行マニア"だったらしく、知り合いから『旅行ってどうやって行くの?』って聞かれまくっていたので、答えるのがめんどくさくなり『よっしゃ、こうなったら旅行のハウツー本書くわwww』って調子に乗って書いた本なのです。

 

この本は、そこそこベストセラーとなったようで、現在でもそれなりに当時の原本が残っているみたいです。主に大学の研究機関や郷土の歴史博物館、もしくはツベルクリンの家に保管されています。このシリーズでは、この『旅行用心集』を読解していきたいと思います(´・ω・`)

 

21世紀の現在でも通用することも書いてあれば、今やったら犯罪になっちゃうことも書いています。実践する場合は、ご自身の責任でお願いしますね(*´ω`)

 

本日第1回目は、序論というか"はじめに"みたいな部分を読解していきます(´・ω・`)

 

 


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ツベルクリン所有ということを示すために、"ツベルクリンのもの"と書いた紙を添付しています。今までは割りばしの袋を使ってましたが、幅が広すぎるので、今回はレシートの裏を使いました♪

 

1ページ目を開いてみますね
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209年前の本なんでボロボロですわ(;´・ω・)

右側のページ上には"文化7年庚午秋開彫"とあります。文化7年とは1810年のこと。庚午(こうご・かのえうま)は干支のこと。この時代はコピー機なんてないので、本を出版するときは木版印刷(つまり版画)でした。開彫とは版画の文字を彫る、もっといえば出版した、という意味ぐらいに考えておきましょう。

 

前述したように、(第1回)では、"序論"部分を読んで行こうと思います

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 1行目から現代語訳していきます

「旅行へ行く人は、それぞれ仕事の合間に時間を見つけて、伊勢神宮へお参りする計画を立て、一緒に旅行へ行く約束をした人と日程の調整をし、いつ旅立つのが吉なのか確認して、みんなからお小遣いをもらい、旅の出発に向けてテンションが上がっていきます。」

「いざ、旅立ちの日が来れば、親戚や友人が見送りに来てくれるし、送別会も開いてくれるし、旅のアドバイスを書いたものを親切に渡してくれるし、そういう光景を見てると羨ましいですよね」

 

1行目に"伊勢神宮"という文字が確認できると思います(たぶん)。やはり一番人気の観光地は伊勢神宮であり、人生に1度はお参りをしたいと思っていました。この頃の伊勢神宮参拝者数は200万人にものぼり(新幹線とか無いのに)、めっちゃブームだったんですね。

 

歩いて行くのでめっちゃ日数かかるし、めっちゃ費用もかかります。そのために、当時の人々は伊勢神宮へ行きたい人同士で「伊勢講(いせこう)」というグループを結成していました。毎年みんなでお金を出し合って、代表者2~3人の旅費としていたのです。『今年は〇〇さんと〇〇さんがお伊勢さん行って、来年は〇〇さんと〇〇さんやね』みたいに、1回は伊勢神宮に行けるようにグループ内で配慮がされていました。

 

もちろん、出発前に貰える餞別やお小遣いも貴重な旅費となりました。全行程徒歩のため、多少の危険を伴います。そのため、必ず2~3人1組で旅行をしていたようです。

 

 

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 1行目から3行目

「旅行であっても、仕事であっても全国へ旅立つ人は、老人であろうが若人であろうが張り切っています。これほど頼もしいことはありません」

 

4行目からの"東国の人は~”の部分

「東日本に住んでいる人は、伊勢はもとより、奈良、京都、大阪、四国、そして九州まで旧跡や神社仏閣を巡り、西日本からの人は伊勢から始まり、江戸、鹿島神宮(茨城県)、日光(栃木県)、松島(宮城県)、善光寺(長野県)とか見ると良いですよ」

 

8行目からの部分

「そして、家内安全、商売繁盛、。家の主人はもちろん、家族親戚や奉公人のお願いを伊勢神宮にお届けすることは、きっと日本全体のご利益へとつながっていくでしょう。」

 

今も昔も、旅行前は張り切っちゃうってことですね。そして、とりあえず東日本の人も西日本の人も伊勢神宮に行きましょうってことですね。

 

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2行目下のほうに"士農工商"というワードがあります。そこからの訳です

「そもそも士農工商というのがあっても、みんながそれぞれやるべき事をしっかりと果たせば、一日も貧しい思いをすることはなく、生涯楽しく暮らすことができます。これは、神様や仏様の教えを守ることにもつながります。」

 

6行目下の"その中に富貴~"から

「その中には、お金持ちでも病気で精神的に弱っているひともいるでしょうが、自分の足で旅に出かけ、珍しい景色を見ながら山越えをして霊場へたどり着くことが大事です」

 

タクシーなんて使うな、歩きやがれ!ってことですわ(*´ω`)


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1行目から

「病気を理由に、金を使って駕籠(かご)で旅行したって、貧しくとも健康である人たちの得る旅行の楽しさにはかないません。つまり、貧乏であろうが金持ちであろうが、旅行が出来る丈夫な身体を持っていることが一番大切なのです」

 

7行目冒頭の"扨(さて)、旅行する人~"から

「さて、旅行する人に、旅立ちの日から心得て欲しいことがあります。たとえ、家来が同行する旅行でも、服や草履の準備は自分自身で行ってください。旅行中の食べ物も、いつも食べられると思わないでください。これもいい修行と思いましょう」
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2行目"されど泊土地~"から

「でも、宿泊するところでは、その土地によって塩加減が違っていたり、自分が普段食べている物と味付けが違うことがあります。このことは事前にしっておいてくださいね」

 

4行目から

「旅行中は、雨風が強くなったり、旅館の都合で早朝より霧の中を山越えしなくてはならなかったり、旅館の布団が薄くて寒かったり、旅仲間と喧嘩したり、足を痛めて遅れる人が出てきたり、寒暖の差で病気になったりとあらゆるトラブルが起こりうるのです。」

 

ホテルの布団が薄くて寝れないんだけど的クレームは、今でも受けますね(;´・ω・)

 


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1行目より

「病気やけがに関しては自分で手当てをしたりしないように。長旅にはトラブルがつきものです。旅は若者のよき修行といえます。ことわざでも"かわいい子には旅をさせよ"っていうじゃないですか。」

 

かわいい子には旅をさせよ"ってことわざは、この頃からすでに浸透していたようですね。

 

5行目真ん中の"旅行せぬ人~"より

「旅行しない人は、身分にかかわらず旅行の大変さを知りませんから"旅行なんて娯楽だろ?"と勘違いしているので、人情が薄く、人との接し方を知らないタイプの人間になりやすいと言えます。陰で指をさされ笑われることもあるでしょうね」

 

旅行しない人=人間のクズ、らしいです(*´ω`)

 


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前ページ最終行"大名公家~”より

「大名や公家などの、身分が高い人でも、風の強い悪天候の日や増水による川止め(川を渡れないこと)などは、自分の思い通りにならないので、一般庶民と同じように我慢しています。」

 

江戸時代の旅行中に一番つらいのが、川の増水による川止めでしょう。この当時は、大きな川には橋がかけられていませんでした。造る技術が無かったわけではなく、江戸幕府が『橋を作るな!』と指示したのです。大名が反乱を起こして江戸へ攻めてきた場合に、川で足止めを食らわせるためです。

 

そのため、大きな川には、川渡し屋さんがいました。

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出典:https://kotobank.jp/word/%E5%B7%9D%E4%BC%9A%E6%89%80-48180

こういうイメージ。駕籠は値段が高いので、普通はかたぐるましてもらって渡っていました。川の深さによって値段が変動したようです。

 

増水すれば川を渡れませんので、川止めを食らいます。すると余計に日数がかかったわけですね~(´・ω・`)

 

 

2行目下"世上の人~”より

「世間の人は、旅の困難を乗り越えることで人情を理解し、他人を思いやることを覚えます。そういう人は"良い人"といわれ、立身出世をし子孫繁栄につながるのです。"かわいい子には旅をさせよ"という教えは、そういうことを言っているのです。」

 

 

6行目下"余若きより~"より

「(筆者である)自分は若いころか旅行が好きだったので、旅行へ行く友人から助言を求められた際には、その都度注意書きをメモして渡しておりました。」



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 1行目より

「ただ最近は、年をとったので筆をとるのも煩わしくなってきて、なかなか個々にアドバイスをすることが出来なくなってきました。そこで、これまでいろんな人にアドバイスしてきた内容をまとめて、本にすることにしました。これを"旅行用心集"と名付けて、これから旅行に出かける皆さまへの良きバイブルとなればいいなと思います」

文化庚午6月 八偶芦庵

 

 

といった感じで、この『旅行用心集』を読んで行きます。次回以降は、具体的な旅行のアドバイスが書いてある部分をご紹介していきます。江戸時代の人々がどんなことに気を付けて旅行をしていたのか、うかがい知ることができますわ(´・ω・`)

 

とりあえず、江戸時代の本にコーヒーこぼさないように気を付けますわ(*'▽')

 

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【時には昔の雑誌を‥】1976年9月発行『ふたりだけの旅行』(その①)

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【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、ツベルクリン所有の昔の雑誌を解説を入れながらご紹介していくシリーズ記事です。今回は1976年9月発行の旅行情報雑誌『ふたりだけの旅』を読んでいきます。

 

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【保存版】ブログ書いてる時に聴くと執筆作業を妨害してくるBGM9選

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いつもは、旅行ネタや地理歴史ネタを書いている当ブログですが、たまには趣向を変えて違うテーマで書いてみようと思います。今日のテーマは、「ブログを書いている時に聴くと執筆作業を妨害してくるBGM9選」です。ツベルクリンが実際に聴いて作業を妨害されたBGMから選んで皆様にご紹介していきます。

 

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【学校で教えてくれない社会科】10時間目~声に出して読みたい歴史用語(その②)~

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 【学校で教えてくれない社会科】シリーズは、学校の授業では教えてくれないちんけで無意味な授業をしていくシリーズ記事です。10時間目の今回のテーマは「声に出して読みたい歴史用語その②」です。

 

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【保存版】ブログを書いている時に聴くと捗る作業用BGM9選

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いつもは、旅行ネタや地理歴史ネタを書いている当ブログですが、たまには趣向を変えて違うテーマで書いてみようと思います。今日のテーマは、「ブログを書いているときに聴くと捗る作業用BGM9選」です。ツベルクリンが実際に聴いているBGMから選んで皆様にご紹介していきます。

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【時には昔の雑誌を‥】1936年『アサヒグラフ』二二六事件臨時創刊号(後編)

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出典:岡田啓介 - Wikipedia

【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、ツベルクリン所有の昔の雑誌を解説を入れながら読んでいくシリーズ記事です。今日は、昨日に引き続き2夜連続特別記事『アサヒグラフ 二二六事件臨時増刊号』その後編をお届けします。

トップ画像は、二二六事件当時の首相であり襲撃された岡田啓介首相です。岡田首相は奇跡的に生き残りました。その詳細も後ほどお話しますね。

 

昨日2月26日分の記事(前半部分)はこちら。

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二二六事件とは、1936年2月26日から2月29日(この年はうるう年)にかけて起こった陸軍のクーデター未遂事件のことをいいます。一部の若い軍人が首相や大臣を襲撃し、東京の中枢を4日に渡って占領した事件です。

 

前編では、占領された東京の様子や、反乱軍が宿舎として占領した山王ホテルの様子をご紹介いたしました。後編では、同じく占領された料亭幸楽の様子や、反乱が終結に向かっていく様子を『アサヒグラフ』の掲載写真とともにご紹介していきます。

 

 

<目次>

 

占領された料亭幸楽

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反乱軍は自分たちが泊まる用に山王ホテルを占領しましたが、ご飯を食べる用に"料亭幸楽"を占領しました。雑誌欄外に「料亭幸楽の大騒動」というコラムがあり当時の料亭内の様子が伺えますので引用します。

 

「26日の朝10時ごろだった。永田町の料亭幸楽の玄関へ一台の自動車が横付けされた。中からただならぬ顔色をした将校が現れ、大量の弁当と酒を大至急用意してもらいたいといって引き上げた」

「朝っぱらからこんな大量の注文が飛び込んだので、幸楽では100人の女中と80人の男衆を総動員して弁当を準備し、午後2時と4時の2回に渡って、大型トラックに満載し、指定された場所へ届けた」

 

つまり、最初は反乱軍とは気づかずに普通に弁当を準備して届けたっぽいです。続きを読んでいきます。

 

「この時までは幸楽では、何が何やら少しも分からず、ただ市内で軍事演習があると思っていたのであるが、27日になってラジオで初めて真相が分かり、大事件の渦中にあることを知って愕然とした。」

「その夜7時過ぎ、数百人からなる部隊が続々と乗り込み(中略)裏門を閉ざして厳重な警戒を始めた。また、一部では入浴する者、手紙を書く者などがあったが28日の午前1時ころになって、警備につく者以外は、大広間に一団となって眠りについた。」

 

大広間がこちらです

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 「不用意のところにこうも大人数の兵隊が押し掛けたので、幸楽では食料品の買い出しにはずいぶん人知れぬ苦労をしたものであった。ちょうどこの忙しい最中に、支那人(中国人)コック10名がどさくさに紛れて荷物をまとめて行方不明になってしまったのは、人手が少しでも欲しい時だったのでこのドロンには全く困り果てたという」

 

今となっては死語ですが、飲み会などで途中で帰るときに人差し指を立てる忍者のポーズをして『では私はドロンしますんでww』と言っている時代がありました(いなくなるの意味。たぶん今のアラフィフ世代はいまだに使っていると思われます)。この"ドロンする"ってこの時代から使われていたんですね(´・ω・`)

 

「午後3時ごろ、玄関前の広場に大量の日本酒の用意が出来るや、一同はそれに群がり、放歌乱舞を始め、一時は大変な騒ぎとなったが、夕方6時ころになると、どこへ行ったのか、大部分の部隊は引き上げていった。」

「その夜、12時近く、今度は背広姿の者数人が現れ"新議事堂にいる者は食事をしていないから〇〇〇人分の弁当を大至急届けてくれ"と言ってポケットから80円を取り出したが"とても今からは応じかねる"と断ると、その中の1人が20円を持って外に出ていったが、まもなく米俵3俵を担ぎ込んで来たので、やむをえずこれを引き受け、またまた大車輪で弁当を準備し、新議事堂へ届けさせた。」

 

新議事堂とは、現在の国会議事堂です。現在の国会議事堂は1936年11月に完成しました。完成直前の国会議事堂を反乱部隊は占領していたのです。

 

「夜が明けると(29日早朝)、門前に設置されたスピーカーからあの"兵に告ぐ"の放送が聞こえだしたが、その頃には、大部分の将兵は引き上げた後で、料亭の者は初めてホッとして片づけを済ませた」

 

この料亭幸楽は、1945年(昭和20年)の東京大空襲において、アメリカ軍爆撃機B29が墜落しちゃって炎上しちゃいました。跡地に建てられたのが"ホテルニュージャパン"という大きなホテルです。高級ホテルとして名が知れていました。なお‥

ホテルニュージャパン火災 - Wikipedia

 

 

反乱の終結

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出典:昭和天皇 - Wikipedia

事件の対応について、政府内ではなかなか意見が一致しませんでした。反乱軍を鎮圧するにも、東京のド真ん中で銃撃戦は危険ですし、反乱軍の心情を理解する政府関係者もいました。

 

それを打開したのが、昭和天皇の"鶴の一声"です。昭和天皇は反乱に対して激怒し『自分が直接軍隊を率いて鎮圧してやるで!!』とさえ言いました。これを機に、反乱鎮圧へ政府内の意見が一致。29日の朝、反乱軍へ投降を呼びかけるラジオ放送を実施します。もし、投降勧告に応じない場合は武力鎮圧も辞さない構えでした。

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反乱軍が投降に応じない場合、銃撃戦の可能性も生じるので、29日早朝近隣住民を避難させます。上の写真は避難中の住民。


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列を作って一斉に避難しています。左上が完成間近の国会議事堂。

 


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東京有楽町にあった日本劇場(1981年閉場)に避難している住民。

 


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「避難所→」の看板。

 


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そして誰もいなくなった‥。(日比谷交差点付近)

 

反乱軍に対しては、ラジオ放送とアドバルーンで投降を呼びかけました。アドバルーンには「勅命(天皇の命令)下る 軍旗に手向かうな」と投降をうながしました。
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ラジオ放送では「兵に告ぐ」という題で、反乱軍に向かって投降を呼びかける放送がなされました。
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「兵に告ぐ」の原稿用紙。

 


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ラジオ放送にて「兵に告ぐ」を読み上げたNHKの中村茂アナウンサー。

 

29日午前8時55分、ラジオにて反乱軍に投降を呼びかける「兵に告ぐ」の放送が行われました。

 

「勅命(ちょくめい・天皇の命令)が発せられたのである。すでに天皇陛下のご命令が発せられたのである。お前たちは上官の命令を正しいものと信じて、絶対服従をして、誠心誠意活動してきたのであろうが、すでに天皇陛下のご命令によって、お前たちは原隊に復帰せよと仰せられたのである。この上、お前たちがあくまで抵抗したならば、それは勅命に反抗することになり、逆賊(天皇の敵)とならなければならない。正しいことをしていると信じていたのに、それが間違っていたと知ったならば、いつまでも反抗的な態度を取って、天皇陛下にそむき、逆賊としての汚名を永久に受けるような事があってはいけない。今からでも遅くはないから、ただちに抵抗をやめて軍旗のもとに復帰するようにせよ。」

 

これが実際のラジオ放送です


2・26事件 , 復帰を促すラジオ放送

 

反乱軍の目的は「天皇陛下の周りにいる邪魔な政治家を排除し、天皇中心の政権を作る」ことでした。それは、あくまで天皇陛下自身が自分たちの行動を支持してくれるという前提があって初めて成り立つものです。ここにおいて、天皇陛下自身が自分たちを"逆賊"として征伐しようとしていることを知り、反乱の動機を失ってしまうのです。


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事件の経過についてマスコミに説明する陸軍の将校

 

この投降の呼びかけによって、反乱軍は投降し事件は収束に向かいました。

 

 

岡田首相の生還

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出典:http://mokuou.blogspot.com/2010/08/blog-post_19.html

反乱軍は、首相官邸を襲撃しました。当初、上の朝日新聞の報道にもあるように岡田啓介首相は死亡したものと思われました。しかし、実際に死亡していたのは岡田首相ではなく秘書の松尾伝蔵氏でした。反乱軍の若い軍人は、岡田首相の顔をよく知らず、岡田首相と勘違いして松尾氏を殺害してしまったのです。

 

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左が岡田首相、右が松尾伝蔵秘書です。2人は福井県の出身で同じ小学校出身でした(岡田首相の方が5歳年上)。岡田氏の妹が松尾氏の奥さんであり、2人は親戚であり盟友だったのです。襲撃当時、首相官邸には岡田首相とともに松尾氏も住み込みで働いていました。

 

2人の出身小学校の福井県旭小学校のHPでは、2人の紹介文が掲載されています。

 

昭和11年2月26日の雪の日の朝のことです。

どたどた。ばたんばたん。

「岡田、どこにいるんだ。」

「さがせ、さがせ、絶対隠れているぞ。」

軍人たちが首相官邸になだれこんできました。

「総理大変です。」

「とうとう、軍隊がおそってきました。」

「何だ。どうしたんだ。」

「軍隊がおそってきました。」

「どうかお逃げください。」

「いや、私は逃げない。死ぬことは怖くない。」

「何をおっしゃるのです。あなたはまだ大切な仕事が残っています。」

そう言って、松尾伝蔵は死を覚悟した岡田啓介を無理矢理、風呂場にかくしました。味方が全滅した後、松尾伝蔵は反乱軍の前に姿を表し、岡田啓介の身代わりとなって、鉄砲の弾(たま)を全身に受けました。それでも姿勢を崩さず、りんとした姿で息絶えた伝蔵を総理大臣と信じた反乱軍は、「ばんざい、岡田をたおしたぞ!」とさけんで、引き上げました。これが世に有名な2.26事件です。

(朝日小学校HPより引用)


岡田首相は、風呂場から出た後、しばらく押し入れに隠れました。

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岡田首相が隠れた押し入れです。

 

岡田首相は奇跡的に難を逃れ、一命をとりとめます。しかし、やはり二二六事件の影響によって首相を辞めざるを得なくなり、内閣総辞職に追い込まれます。


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岡田首相の後を受けて成立した広田弘毅(ひろたこうき)内閣です。広田氏はあまり強い人物ではなく、軍部の要求に対し屈服すること多かったようです。そのため、軍部の暴走を招く結果となり、日本は太平洋戦争へ突き進んでいきます。(なお、広田氏自身は戦後にその戦争責任を追及され、裁判によって死刑判決を受けています)

 

終わりに

ご覧いただきありがとうございます。2夜連続で『アサヒグラフ 二二六事件臨時増刊号』をお届けしてきました。まああまり面白くない記事だったかもしれませんが、ツベルクリン自身が満足しているから問題ありません(´・ω・`)

 

歴史はよく暗記教科と言われています。この二二六事件も年号と単語だけ覚えちゃえば試験で点数が取れます。しかし、歴史とは人間の営みの結果の積み重ねであり、そこには人間ドラマが存在しているのです。当時の写真や雑誌を通して、読者の方々が当時の人々の様子を肌で感じることができたならこれ以上の幸せはありません。

 

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【時には昔の雑誌を‥】1936年『アサヒグラフ』~二二六事件臨時増刊号(前編)~

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【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、ツベルクリン所有の昔の雑誌を解説を入れながら読んでいくシリーズ記事です。今回は83年前の今日、2月26日に起こった「二二六(ににろく)事件」を特集した『アサヒグラフ 二二六事件臨時増刊号』を読んでいきます。

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