前回の授業のおさらいはこちら
4時間目の今日は「地図から消えてしまった島」についてお伝えしていこうかと思います。
取り上げる島は「中の鳥島(なかのとりしま)」です(´・ω・`)
2時間目に島に関する授業もしましたので、合わせてこちらも
まずは1枚の地図をご覧ください。
出典:http://boumurou.world.coocan.jp
上記の地図は1946年に発行された日本地図です。終戦直後ですね。
赤い丸で囲っているところに「中の鳥島」という島が描かれています。
まぎれもなく日本の「領土」であった場所です。
皆さんの中には、こう思われた方もいらっしゃるかもしれません。
ん? こんなところに島なんかあったっけ?
ちなみに現在の地図を確認してみましょう
国土地理院から引用した地図ですが、
出典:http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/center.htm
あれれ~島が無くなっているよ~(´・ω・`)
70年の時を経て、島が地図から消えてしまっています。
そもそも中の鳥島とはどんな島だったのでしょう?
<目次>
中の鳥島の概要
この中の鳥島について、実は詳細なデータが残っています。
島の位置:北緯30度 東経154度
面積:2.13km²
周囲:6.67km
ちなみに、現在日本政府が認定している「日本の東の端」は南鳥島の東経153度地点であるので、中の鳥島が日本の領土であれば、中の鳥島が日本の東の端ということになります。(まあ中の鳥島が地図に載ってないので認定しようがないのですが‥)
ここまで詳細なデータが残っているということは、すなわちこの中の鳥島に上陸し測量をした人物がいるということです。
その人物の名を"山田貞三郎(やまだていざぶろう)"といいます
中の鳥島の「発見」
ことの起こりは、1通の「島発見の報告書」でした
1908年4月23日、東京都の小笠原父島にあった東京都庁小笠原支庁に山田貞三郎なる人物が現れました。彼は「小笠原諸島近隣を探検中に、新しい島を発見した。しかも上陸して測量もした(´・ω・`)」と報告。島の地図と報告書を差し出しました。
報告書の中で発見した島について、以下のようにその特徴を記しています
・小笠原諸島より1000キロくらい離れてて
・面積は643700坪(2.13km²)
・周囲は1里25町(6.65km)
・6尺(1.82m)くらいリン鉱石が積もってた
・アホウドリめっちゃおったわww 数百万羽くらい
・島の真ん中が山やけど全体的に平べったいわ
・飲用水は無くて住んでる人間もおらんかったわ
小笠原支庁は東京都庁に報告。都庁の方から政府機関へと情報を伝達。政府の中で対応が協議されます。
政府『小笠原初頭から1000キロも離れてるし、場所がどこかはっきりとしないからね~勝手に日本の領土にしていいものか悩むね(´・ω・`)』
政府『でも、ほかの国もまだ占領してないみたいだし、おいおい島の場所を確定すればいいっか! よし、日本の領土に入れちゃおお(^^♪ 』
ということで7月22日、山田が発見したこの島を「中の鳥島」と命名し日本の領土に組み込むことを決定。翌月の8月8日に東京都に編入されました。
ここまで話がすんなりと進んだ理由の1つに、山田がこの中の鳥島を「発見」する以前から、この海域には島があるのではないかという噂があったのです。
当時はその未確認島を「ガンジス島」と呼んでいました。噂だけで誰も島自体を発見していなかったのですが、山田の発見した島が以前から噂のガンジス島だろうというように落ち着いたのです。
中の鳥島の探索
1913年。一艘の帆船が東京を出港しました。新聞記者をはじめ見送りには数千人の人々が駆け付けたとされています。
この船の名前は「吉岡丸」といい、大阪の実業家であった平尾幸太郎氏がその代表でした。
この吉岡丸の目的は「中の鳥島を発見すること」でした。
政府が中の鳥島を日本領土に組み込んだ際、「おいおい島の場所を確定するわ」と言っていましたが、この時点で政府公式の測量船などは出されていませんでした。平尾氏は民間の力で中の鳥島を政府より先に見つけようと画策したわけです。
ちなみに、第一発見者の山田もこの島の資源採掘権を政府から認められていたのですが、特にその後に何かアクションを起こしたという記録が残っていないのです
※Wikipediaの記事によると、中の鳥島開発のために設立した組合の仲間に裏切られ資源採掘権を奪われてしまった。とのこと
1913年11月15日に東京を出港した吉岡丸は、翌年14年3月30日に東京へ帰ってきます。
吉岡丸さん『いやあ、見つけきらんやったわ(*^-^*)』
そのあと、重い腰を上げた政府が1926年と1933年に測量船を現地に派遣するも中の鳥島を発見できず、「もしかして中の鳥島とか無くね?(´・ω・`)」という風潮になったものの、そのあと日本は太平洋戦争へ突入。存在の真意はうやむやとなってしまうのです。
戦後の中の鳥島
1945年に日本は敗戦を迎えます。日本の領土は制限され沖縄県や小笠原諸島はアメリカ軍の統治下に置かれました。
この時、「中の鳥島も日本の領土から外す」との通達がアメリカからありました。島自体見つかってないのに‥( ゚Д゚)
1946年11月、日本政府は公式の日本地図から中の鳥島を「除外」することを決定。
民間の地図作製業者も追随するかたちで、中の鳥島を「削除」していきました。
中の鳥島は、地図から消えたのです
結局、中の鳥島は存在したのか?
これですよね、問題は('ω')
実際に中の鳥島は存在したのか? 存在したのならどこへ消えたのか?
〇海上に沈んじゃった説
島が急に出来たり、急に無くなったりすることは実はたまに発生しています
急に島が出来ちゃった♡のはこちら
小笠原諸島の西之島付近500mで海底火山が噴火、土地が隆起し新しい島が出来ちゃったというニュースは記憶に新しいと思います。
そして、火山活動に結果島が海没してしまう可能性も無きにしもあらずらしいのです
→島が海没しちゃった例 新硫黄島 - Wikipedia
ただし、中の鳥島が「発見」されたとされる地点は、海底火山帯からは離れており海底火山が隆起して地上に現れるような場所ではないとされています。
もし仮何かの間違いで海底火山が隆起して島が現れたとしても、昨今の西之島の新島のようにゴツゴツとした急こう配な島となるはずで、山田が報告したような平べったい島にはならないとのことです(っていうかそんな火山活動活発な島にアホウドリが数百万羽も住み着くとは考えにくい)
〇南鳥島と間違えた説
山田が発見したとされる中の鳥島。彼いわく、実際に中の鳥島に「上陸」し、「測量」したといいます。その彼の測量結果によく似ている島があります。「南鳥島」です。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%B3%A5%E5%B3%B6
面積1.5km² 周囲6キロで平べったい島です。
この島と間違えちゃた説が考えられるのです。
しかし、結論を言ってしまえば、この説も当てはまりません。
なぜならば、山田は中の鳥島のことを「無人島」であると報告してますが、当時の南鳥島は有人島なのです。仮に間違って南鳥島に上陸したとしたら、島を測量して回ったという山田は当然現地の島民と接触があったに違いありません。測量した山田本人が「無人島」と報告している以上、中の鳥島=南鳥島説は考えにくいです。
結局のところ「中の鳥島」とは何なのか?
以上のことを踏まえると、確定的な証拠はありませんが、この中の鳥島というのは「山田がついたウソ」と言わざるを得ません。
島に上陸して測量したのもウソ、政府への島発見報告書の内容も全部ウソってことになります。
しかしながら、ウソはウソでいいとして、なぜここまでの作り話を山田が考える必要があったのか、別の疑問が沸いてきます。
都合のよい"中の鳥島"
出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9B%E3%82%A6%E3%83%89%E3%83%AA
山田は中の鳥島について報告書にてこう伝えていました
・リン鉱石が6尺(1.82m)も堆積してて、アホウドリも数百万羽くらいおったわ
アホウドリは小笠原諸島に生息する鳥です。羽毛が綺麗なので昔は人間からの乱獲の対象でした。地上ではよちよちとしか歩けず、助走をつけないと飛べないのでたやすく人間の手によって捕まえられていたのです。
そのアホウドリがする糞が堆積すると、リン鉱石という物質になります。
リン鉱石は火薬の原料となり、戦争が頻繁に発生していた当時は大変需要の高いものでした。
つまり、中の鳥島は「宝の島」だったのです。
山田は、政府に対し中の鳥島の資源採掘権を認めるように要求し、政府は期限付きでその権利を認めました。
想像するに山田は『中の鳥島今度採掘にいくで!アホウドリもぎょうさんおるしリン鉱石取り放題や!もちろん国の許可は取ってるで。せやからみんな俺に投資してくれ(お金貸してくれ)!』と呼びかけ資金を回収。そのまま、資金は手元において話をうやむやにするつもりだったのではないかと推測されます。
しかし、さきほども触れたように、山田は組合の仲間に裏切られ中の鳥島(存在しないけど)の資源採掘権を奪われてしまい、結局山田自身は身を引いたのではないでしょうか(´・ω・`)
人間の欲によって作り出された島、それが中の鳥島なのです。
まとめ
中の鳥島のように、一度存在が信じられたのに、その後地図から消えてしまった島を「幻島(まぼろしとう)」といいます。テストに出ないから覚えなくていいです(*'▽')
山田さんも山田さんだが、報告書一枚で「よし日本の領土にしよう!」って決めちゃう日本政府さんもどうなんでしょうね。
なお、地図からは消えていますが、島の存在の有無について政府は「中の鳥島の存在は現在確認されおりません」との見解を示しています。(1998年平成10年)
(´・ω・`)「1998年ってつい最近の話やないかい」
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