【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、筆者であるツベルクリン所有の昔の雑誌を、解説を入れながら読んで行くシリーズ記事です。今回は1943年8月4日発行の『写真週報』を読んでいきます。その後半です。
前半部分はこちら
今回ご紹介する雑誌は『写真週報』という雑誌です。戦前の1938年から1945年まで週刊誌として発刊されていました。当時の内閣情報部という国の下部組織が編集していたようです。
今回ご紹介する『写真週報』では、"空襲対応マニュアル"とでも言える内容です。1943年(昭和18年)当時は、まだ本格的な空襲は始まっていない時期でしたが、アメリカ軍による日本本土の空襲が想定されるようになってきたので、空襲の際の対応を詳しく紹介している内容です。
前半部分では、空襲に対する備えについて書かれていました。今回読んでいく後半部分では、実際に空襲に見舞われた時の対応策などにについて書かれています。読んでいきましょう。
<目次>
死傷者が出たら(12〜13ページ)
空襲によって怪我をしてしまった場合の対応について書かれています。まず、太字で書いてあるのが「負傷してもひるんではならない!」という文字。逃げちゃダメだし、怪我しても気にするな!という今では考えられない文言が書かれています。
一方で、応急処置の仕方については今でも使えそうです。そして、担架での怪我人の運び方がやたら具体的に書かれています。怪我人1人につき4人で運ぶことを奨励しているようですが、実際の空襲の際に運べる人が怪我人1人あたり4人もいたのかどうかは不明です。
一般の心得(14ページ)
空襲に対し、各機関はどのような対応を取るべきか書かれています。前回のブログにおいて、空襲警報には2種類あるとお伝えしました。「警戒警報(注意報)」と「空襲警報(警報)」の2つです。
警報が出た際の行動についてですけど、
学校→「警戒警報が発令されても、授業は続けるのが建前である」
工場→「警戒警報が発令されても作業を続け、生産を減少させないように努めるのが建前である」
病院→「空襲警報が発令されても、必要な手術やお産の手当ては行われる」
えぇ…(*'ω'*)
ここでもう1つ気になる文章が。「地下鉄道(地下鉄のこと)には避難を許さない」とあります。
戦時中に地下鉄が営業していたのは、東京と大阪です。地下鉄の駅といえば、国によってはそれがそのまま核シェルターとして使用することを想定して整備されているところもあります。巨大な防空壕みたいなもんです。
同じころ、ドイツ軍の空襲に襲われていたイギリスは地下鉄に市民を避難させることによって、空襲に耐えました。
あろうことか地下鉄への避難は許さないと厳命しています。逃げずに消火活動をせよ!ということです。
この記事を書いている最中に興味深い本を見つけました
「逃げるな、火を消せ!」戦時下トンデモ「防空法」: 空襲にも安全神話があった!
- 作者: 大前治
- 出版社/メーカー: 合同出版
- 発売日: 2016/11/03
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まさに、このブログで紹介している内容ですね!
また、空襲の際の地下鉄への避難禁止についてはこちら
2014年の朝ドラ「ごちそうさん」では、本来禁止されていた地下鉄への避難のシーンが描かれていました。舞台は大阪です。大阪大空襲の際、機転を利かせた大阪市営地下鉄が臨時便を運行、被害の大きかった難波駅から被害の少ない梅田駅へと被災者を送り届けたというエピソードをもとにしています。
このエピソード、人々の証言は残っているのですが、肝心の地下鉄側の資料が残っていないのです。というのも、この「命を救った臨時便」は終電後の運行なのですが、あくまで大阪市営地下鉄独自の判断で運行されたものらしいのです。
この判断は、お国の方針に逆らうものですから、あとから"抹殺"されたようなのです。もし、政府が地下鉄構内への避難を奨励していたら、どれだけの命が救われたことでしょう。と考えるのですけど、その一方で地下鉄構内に煙が侵入してしまうと、今度は一酸化炭素中毒の危険性が出てくるので、簡単な話ではないのです。
飲料水はどうなる?(15ページ)
15ページからは、空襲後の国民生活について政府の対応策が書かれています。川の水をくみ上げるというアクロバティックな方法で飲用水を確保する予定だったようです。
食糧はどうなる?(16~17ページ)
空襲で焼け出されたら、食べ物はどうなるんだ?って話です。雑誌中では「食糧は絶対に支障のないように準備してある」とまで言い切っています米も乾パンも和洋どっちでもいけるで!とのことです
なお、空襲の際に逃げた奴には食料の配給を行わない、などという嫌がらせの存在もあったとされています。
「空襲から逃げたら食糧停止」エリート官僚が発した恐るべき命令(大前 治) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
裏表紙 だんがんきって
裏表紙は「だんがんきって」の宣伝です。だんがんきって(弾丸切手)とは、正式名称「戦時郵便貯金切手」といいます。「切手」とありますが、はがきに貼る切手とは違います。
だんがんきってについて解説すると
「毎月1日~15日販売。1枚2円(現在の価値で5~6万円)。5枚以上買って郵便局へもっていくと特別据置貯金証書(郵便局に貯金しましたという証明書。きって5枚買ったのなら10円分貯金しましたという証明書)と交換。また、切手そのものが宝くじであり、毎月20日に当選番号が発表される。当選金は1等1000円、2等100円、3等5円、4等2円。当選金は当選日の11日後より払い戻し。なお、元金である貯金証書に記載された貯金分は5年経たないとおろせない仕組み」
ということです。分からなければウェキへ(´・ω・`)
政府はお金が欲しかったんですね。「だんがんきって」という名の貯金できる宝くじを買ってもらって、お金(戦費)を集めたのです。集めたお金は、写真のように弾丸などの購入費に充てられました。
しかし、よくよく考えてみると、このだんがんきって無茶苦茶です。
少なくともだんがんきってを5枚以上買わないと貯金として認められない(5枚以下だとただの宝くじ)ので、1枚2円×5の10円(当時の価値で25~30万円)分購入した人が多かったと思います。
そして、最低5年経たないとお金を引き出せません。そして、5年間無利息です。近年の低金利時代でさえ年0.001%の利息が付くのに‥。
ちなみに雑誌掲載時の1943年に10円分(現在のお金の価値で25~30万円)貯金したとして、引き出せる5年後の1948年にはインフレ(お金の価値が下がること)状態だったので、預けた当時よりも10円の価値が下がっていたと推定されます(大損ってこと)
というか、敗戦時はこの貯金証書は紙切れ同然になってしまったようです。ヤフオクで、家に眠っていたこの貯金証書が昔の史料として売りに出されてたりします。
終わりに…(2020年8月追記)
前編・後編に渡ってご覧いただきありがとうございます。文献上やネット上では、この『写真週報』1943年8月4日号はよく引用されています。空襲対応マニュアルと言えるこの雑誌は、当時に日本の空襲に対する考え方、そしてそれがいかに間違っているか、時代を超えて現代の私たちに教えてくれています。
実は、まだまだツベルクリン宅には昔の雑誌が眠っているので、またこのブログでご紹介していきたいと思います。
<追記>
2019年1月にこの記事を書いて以降、【時には昔の雑誌を…】シリーズを通して、私が所有している昔の雑誌を紹介してきました。現時点では、段ボール箱1箱分くらい紹介しました。そして、まだ紹介していない雑誌が同じく段ボール1箱分くらいあります。今後も気が向いたら少しづつ解き放っていく予定です(*'ω'*)
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