【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、筆者であるツベルクリン所有の昔の雑誌を、解説を入れながら読んで行くシリーズ記事です。今回は、1942年6月14日発行の『週刊少国民』を読んでいきましょう。
前回の記事はこちら(前編と後半に分かれています)
『週刊少国民』とは、朝日新聞社が1942年に創刊した児童むけの写真週刊誌です。その6月14日号を今回は読んできましょう。
<目次>
『週刊少国民』とは?
『週刊少国民(正しくは國民)』は、主に小学生向けの週刊雑誌です。1942年5月~1946年9月まで発行されていたようです。当時の金額で10銭。発行元は朝日新聞社。内容を見るとわかりますが、当時の朝日新聞社は今と正反対で、政府に対しゴマすり記事を書くような新聞社だったようです(笑)
もちろん、当時は反戦記事なんて書いたら一発発刊禁止なんてことにもなりかねませんから、ゴマすりすり記事を書くのは致し方ないとは思いますが‥。
小学生のことを戦時中は「少国民」と呼んでいました。小さくても立派な国民であり、戦争の責任と義務を含むという意味を持っていました。
表紙ページ
副題は「かいがいしく働く少女」となっています。「かいがいしく」‥また少年雑誌ののくせに難しい言葉を使うなぁ(*'ω'*)
・動作がきびきびしていて手際が良い。てきぱきしている。
・仕事をやる動作に真心がこもっている。けなげである。
表紙の少女はおそらく中学生くらいでなないかと推測しています。
日本政府の小中学生に対する勤労奉仕の動員は1938年から始まっています。最初は『夏休みとか冬休みに、奉仕活動を5日間しなさい』くらいの緩めの施策から始まりました。
日本政府は1944年1月に小中学生に対し、食糧増産や兵器増産のため、勤労奉仕に従事することを強制させます。44年以降、学校の授業はそこそこに畑仕事や兵器工場への従事に駆り出されたのです。
しかし、この写真は42年の6月号の表紙であり、夏休み期間中でもありません。色々と「勤労奉仕(給料でないボランティア)」について述べてきましたが、この少女は兵器工場で「プロ」として働く工場員ではないかと勝手に推測しています。
というのも、当時の義務教育は小学6年まででしたから
少女『お父さん、うち女学校(今の中学校)に進学したいねん( *´艸`)』
お父さん『女に教育など100年早いわ!(´・ω・`)』
と涙を飲んで兵器工場で働いているのではないでしょうか?(-_-メ)
しかしながら、少女のうちから働くことを「美徳」とするような表紙写真は、やはり現代の感覚から照らし合わせると、違和感を覚えてしまいます。
開いた蘭花
『開いた蘭花』という歌の歌詞が載せられています。雑誌によると、詩人の北原白秋先生が満州国建国10年を記念して作られた曲だそう。写真の少女たちは満州国の人々らしいです。
まあとりあえず順番に解説していきますね。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/北原白秋
北原白秋(1885年~1942年)先生は、福岡県柳川市生まれの(生まれた瞬間は熊本県らしい)詩人です。1942年11月にお亡くなりになっていますから、この『開いた蘭花』は最晩年の作品となるのですが、その歌詞を見てみましょう。
♬開いた蘭花 満州国
共に喜び 手を取って
天の光に 浴しましょう
皇帝万歳 万々歳
とりあえず「満州国万歳\(^o^)/」という歌です。北原白秋は詩人として有名ですが、彼の晩年は戦争賛美に傾いた右翼的な一面もあります。満州国を丁寧に解説するとそれこそ1記事出来上がるので、詳しくはYahoo!「満州国」とググってください。
要するに満州国は独立国としての体裁は一応保ったものの、日本の傀儡政権であったことは否めません。笑顔で旗を振る少年少女たちの写真も、もしかしたら"演出"があったのかもしれません。
蘭印戦場に拾う
3ページ目では、戦利品を見せつけるというめっちゃ悪趣味なコーナーが設けられています。「蘭」とはオランダ、「印」とは、ここでは現在のインドネシアを示しています。
1942年より以前、オランダはインドネシアを自分のものとしていましたが、日本軍の攻撃によりインドネシアを日本に明け渡していたのです。
その際の戦いの戦利品なのですが、「こんな武器、刀で日本の兵隊さんと戦争しようというのですから、こっけい(滑稽)です」とまで言い放っています。2~3年後にはそっくりそのまま言い返されそうなセリフです。
また、オランダ人は「勝利の"V"をおまじないとして書く」という運動をしていることに触れ、「この馬鹿馬鹿しい運動を一生懸命やっていました」と嘲笑っています。
直後に「皇軍(日本軍のこと)では″アジアの光明日本” ″アジアの母体日本” ″アジアの指導者日本” という3つのAを取って3A運動というのをやってVを駆逐しています」と結んでいます。
どっちもどっちじゃねえか、むしろ日本のほうが‥(*'ω'*)
大元帥陛下 鹵獲兵器を天覧
大元帥(だいげんすい)とは、軍の最高司令官のことを指します。当時の日本軍の最高司令官は、天皇陛下(昭和天皇)ですから「昭和天皇=大元帥陛下」との称号で呼ばれています。敵から分捕った兵器を、天皇陛下が見に来た、って無いようですね。
記事中の文章を拾い上げると
「皇軍の向かうところ敵無く、大東亜戦争(太平洋戦争のこと、日本国内ではこのような言い方をした)が始まってから次々と東半球であげられた大戦果は、今日までの世界戦史のうえにも比べようがないほどである」
と自画自賛をしつつも
「少国民も"勝って兜の緒を締めた"昔の武士のように、大東亜戦争を勝ち抜くまでは、決して心をゆるめぬよう、あくまで頑張っていかなければならぬ」
とこれからも戦い抜けと呼びかけています。
また、こういう文章も載せられています
「それどころか、5月31日には、ハワイの真珠湾を攻撃して世界を驚かせたわが特殊潜航艇が、(中略)米英の軍艦を撃沈したり撃破したりしている」
特殊潜航艇とは、敵の軍艦にできる限り近づき魚雷などを発射して攻撃できるようにした小型の潜水艦です。操縦性に乏しいので、攻撃終了後は仲間の潜水艦に収容してもらう必要があるのですが、
海軍『敵がうろうろしている海域で、仲間の捜索なんかできるわけないだろ』
ということでほぼ「出陣=死」という構図の攻撃方法でした。なお、開発者の岸本鹿子治海軍大佐は『必ず死ぬというわけではない(ほぼ死ぬ)』と説明しています。
征くぞ、どこまでも
先ほど説明した「特殊潜航艇」の活躍と、主にオーストラリア方面での日本軍の活躍を記載しているページです。1942年6月というのは、日本が歴史上最も広い範囲を占領した時期であるので、調子乗ってる時期ですね。
なお、42年の6月5日に、日本はミッドウェー海戦において大敗北を喫し、雲行きが怪しくなってきますが、スルーしているみたいです。
調子の乗り方は尋常ではなく、今後の展望を以下のように書いています
「攻撃力を集中して、米国本土に攻撃を加え、米国人をして戦禍の如何なるものかを直接味合わせることになるかもしれない。」
「米国都市は爆弾に見舞われ、砲撃にさらされ、皇軍の上陸に戦慄することになるだろう」
また、アメリカとともに戦っているイギリスに対しても
「英帝国(イギリスのこと)は全く崩壊して、地球上から無くなってしまうことになろう」
としたうえで
「こうして全力をもって米国打倒に向かったら、今次大東亜戦は日本の大勝利に終わることは、太鼓判を押して保証することができる」
と結んでいます。そしてそのために
「わが国民は、この新しい時代にふさわしい雄大な志望をもって、すべてにあたらなければならない。少国民諸君の一層の努力を願う」
と未来を担う少年少女に発破をかけています。口先だけはスケールの大きいことよ。
なお次のページで開戦から半年間の日本軍の戦果を紹介しています
まだこの時期の「大本営発表」は、そこまで嘘をついていないのでこの戦果はおおむね間違っていないものと思われます。(なお、42年6月のミッドウェー海戦の敗北は国民には知らされなかった模様)。
終わりに…
『週刊少国民』は、少年少女向けに書かれた雑誌なんですが、文章が難しいのです。「かいがいしい」とかなんだよ(*'ω'*)
後半はこちらからどうぞ!
※2021年9月リライト済み。アップした当時は全然アクセス数無かったのよねぇ。