【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、筆者であるツベルクリン所有の昔の雑誌を、解説を入れながら読んで行くシリーズ記事です。今回は1942年6月14日発行の『週刊少国民』、その後半部分をご紹介していきましょう。
前半部分はこちら
<目次>
ビルマに軍政
この雑誌が発行された1942年6月は、日本最大の領土を獲得した時期であり、日本が一番羽振りがいい時期です。東南アジアのほとんどを占領した日本ですが、その日本が占領した地をどうように扱っていたかが分かるのが上の記事です。
「軍政」とは、外国の軍隊が占領地の政治を行うこと、とでも言っておきます。日本軍がビルマ(現在のミャンマー)を占領し、日本軍がビルマの政治を行うことになったことを記事は伝えています。
そもそも日本は、なぜ「太平洋戦争」を始めたのでしょう?様々な意見がありますが表向きの理由は、日本を中心とした「大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)」を作ること をその理由として掲げていました。
大東亜共栄圏とは簡単に言うと「アジアから白人たちを追い出し、アジア人独自の力で栄えていこう!」というスローガンみたいなもの、またはそれをスローガンとする国家連合のことです。
当時のアジアは、白人たちに支配されていました。そこに颯爽と現れたのが「日本軍」です。日本軍は白人たちを打ち破り、東南アジアから一時期白人を追い出しました。
東南アジアから白人を追い出した日本軍。その後の手順は以下の通りです
①白人を東南アジアから追い出す
②落ち着くまで日本軍が政治をする(いわゆる軍政)
③落ち着いたら、独立させてあげる(もちろん日本に協力的な指導者を立てる)
④独立させたら、「大東亜共栄圏」グループに入れる
上の写真の記事は、②の状態まで行ったことを示しているんですね。そして、翌年の43年に「ビルマ国」として独立を果たしています。その初代大統領が記事中のバーモ博士なんですね。
なお、日本の敗色が濃くなった45年。クーデターを起こされバーモ大統領は日本に逃亡。ビルマ国は崩壊しています。
重慶軍を猛攻撃
日本軍と「重慶軍」との戦闘を記事にしています。あいかわらず少年誌のくせに、書いてある内容が難しいわ(*'ω'*)
重慶軍とはいわゆる「中国軍」のことです。中国政府は当時、重慶という都市に拠点を置いていたのです。指導者は、蒋介石(しょうかいせき)です。
重慶の場所(地図の赤いところ)
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/重慶市
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/蒋介石
このハゲのおじさまが蒋介石さんです。日本は太平洋戦争が始まる前から、中国と戦争をしていました(1937年~)。その中国を率いたのが蒋介石さんです。
最初、蒋介石政府は中国の南京(なんきん。沿岸部にある)に本拠地を置いてました。1938年の段階で日本軍は南京を占領しました。普通、本拠地が占領された段階で戦争は終わるのですが、
蒋介石さん『実はな~南京は本拠地ちゃうねん(´・ω・`)』
と中国奥地へ奥地へ逃げていき、1942年段階では重慶を本拠地としていたのです。
雑誌中では、「もはやわが軍(日本軍)に全滅させられるのを待つばかりである」と強気でしたが、実際は最後の最後まで重慶を占領することは出来なかったのです。蒋介石の粘り勝ちです。
ちなみに同ページで、「横綱のいわれ」というちょっとしたコラム的記事も載ってます。記事では、「安芸ノ海関」と「照国関」が横綱に推薦されたことにも触れています。
米英の子供たちはどうしているか?
東京の国民学校(今の小学校)6年生の小菅君と朝日新聞アルゼンチンのブエノスアイレス通信局長である今井氏の電話対談の様子を記事にしたものです。アルゼンチンには、当時日本にもアメリカにも味方をしていない中立国でした。中立国なので、世界各国から情報が入ってくる‥らしいです。
小菅君が今井氏に「アメリカやイギリスの子供たちの様子を聞く」というスタンスで対談は進められています。
小菅君『(アメリカとイギリスの)少年たちは戦争のことをどう考えていますか?』
今井氏『(前略)日本の国民学校の生徒ほどに愛国心を燃やしていないようです。戦争は大人の喧嘩で、自分たちの知ったことではないと‥いったようです。(中略)国民学校児童が国旗を持って兵隊さんの出征を見送るといった、劇的な光景は見られません。』
出征する際の様子はこんな感じです
出典: https://www.aflo.com/ja/editorial-images/features/251
小菅君『学校へは毎日行ってますか?』
今井氏『(前略)イギリスの文部大臣は、先日、イギリスの国民学校の生徒500万人の中、350万人は田舎で戦争を忘れてのん気に暮らしており、残りの150万人の中、70万人は平常の半分ぐらいの時間割で学校へ行き、あとの80万人は全然勉強できないありさまだ‥と言っていました。』
350万人は田舎で戦争を忘れてのん気に‥って書いてますけど、これはイギリス政府が早い段階で子供たちを疎開させていたことを示しています。日本だってあと1~2年もすれば同じ状況になりますわよ。
小菅君『アメリカの子供たちはどうですか?』
今井氏『アメリカの子供たちは、日米戦争が起こるまでは、戦争には全然興味が無かったようですが、最近は多少は戦争に興味を持ち始めたようです。(中略)子供たちに絵をかかせたようです。(中略)ほんとうに日本の子供たちのように真剣な愛国の熱意がみなぎった絵は1つもなかったとのことでした。』
だって日本の子供はそういう「兵隊さんありがとう」「鬼畜米英」みたいな絵を書かないと先生から殴られますからね(*'ω'*)
小菅君『政府は何かそれについてやっていますか?』
今井氏『これではいかんというので、最近のアメリカでは、ミッキーマウスの漫画で有名なウォルト・ディズニーが、アメリカの子供たちの愛国心をそそるために「新しい精神」という漫画映画を作って、全国の映画館に上映することになっています。』
実はyoutubeに「新しい精神」がありました( *´艸`)
ドナルドダックが主人公。ドナルドダックが納税をするシーンが収められています。「納税をすれば銃や戦艦が買えて、敵を倒せるよ!」と子供にも分かりやすく訴えています。
最後のほうで敵国の日本とドイツがこてんぱんにやられています。ってか1942年でカラーって‥。これまともな日本人が見たら『アメリカマジパねぇ‥』ってなるよね。
小菅君『日本の海軍についてどんなことを知っていますか?』
今井氏『あまり知っていませんね。アメリカ、イギリスの子供たちは、海軍よりも空軍のほうに興味を持っています。海軍のほうは戦争に負けてばかりいるんですからね』
小菅君『アメリカ・イギリス共負けてばかりいることを何と言っていますか?』
今井氏『とにかくアメリカの子供たちにとっては自分たちの軍隊は戦争すれば絶対に負けないと教え込まれていました。それが負けたんですからね。子供たちの心にも相当大きな打撃があるんじゃないかと思います。』
小菅君『子供の非常に好きな英雄はいますか?』
今井氏『英米共に子供に好かれている英雄は、マッカーサーですね。この人を英雄視しているようです。しかし、コレヒドール(フィリピンの地名。マッカーサーはフィリピン防衛隊の司令長官だった)が落ちてしまった今日としては、どういうようになるか、これからのことは分かりませんがね、今まで新聞にしてもマッカーサーを英雄に書き立てて、負け続けの弱さを隠そうとしていた傾向がありますね。』
ダグラス・マッカーサーさんはこちら
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ダグラス・マッカーサー
マッカーサーは、日本人にとっては戦後に有名になる人物ですが、太平洋戦争開戦時には彼はフィリピンにいたのです。フィリピンは、当時アメリカの支配下にありました。そこを日本軍が狙ったのです。
確かに、今井氏のいうようにマッカーサーは「日本軍相手にフィリピン防衛において善戦した英雄だ」とアメリカ国内の各新聞紙面上で宣伝され英雄視されていました。フィリピンを支援するべきハワイ真珠湾の軍艦は、日本の真珠湾攻撃によって航海不能状態に陥っていたので、マッカーサーは孤立無援状態で戦っていたのですから。
今井氏の言うように、フィリピンの米軍本拠地コレヒドールは陥落、マッカーサーは『Ishall return (必ず私は帰ってくる)』と言い残し、フィリピンを撤退します。まあ、1945年に強力な軍隊を引き連れて本当に帰ってきたんですけどね(*'ω'*)
まあこのように、米英の子供たちの事をこき下ろすことばかり言うのです。ちなみに、戦時下のアメリカの子供たちの様子がこちらです。
( 出典は2枚ともhttp://www.geocities.jp/torikai007/photo より引用)
こんな国に勝てるわけねえ(´・ω・`)
関門海峡トンネルはこうして出来た
関門海峡トンネルとは、山口県下関市と福岡県北九州市を結んでいる長さ3.6キロのトンネルです。今現在は車用と鉄道用の2本がつながっていますが、記事中のトンネルは先に開通した鉄道トンネルの話です。
この『週刊少国民』の1942年6月14日号が発行される3日前の6月11日に、鉄道の試運転が始められており、まさにタイムリーな話題といえます。
「ハリバ」広告(裏表紙ページ)
「ハリバ」は現在のエーザイが作っていた栄養錠剤のことで、分かりやすくいうと「肝油」です。子供の発育に必要なビタミンAやビタミンDが含まれていたんですね。
「肝油」が分からない平成キッズはYahoo!でググってね(*^▽^*)
※なおツベルクリンも平成キッズの模様
終わりに…
『少年少国民』を前半、後半に分けてご紹介してきました。ここまでご覧いただきありがとうございました!今回ご紹介したのは1942年6月14日号ですが、実は次週号6月21日号も持っておりまして‥。近いうちにまたご覧頂こうと思っています。
※2021年9月リライト済み