日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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【時には昔の雑誌を‥】1942年6月21日号『週刊少国民より』(後半)

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読者登録やtwitterフォロースター投げつけブックマーク等していただいた方、ありがとうございます(*'▽')

 

可能な限り、お礼の意味も込めまして私の方も反応をしてくださった方のブログへお邪魔し、読者登録などお返ししようかと思っています(*'ω'*)

 

今回の記事は、【時には昔の雑誌を‥】シリーズ。1942年6月21日号の『週刊少国民』の後半部分を読んでいきます。

 

前半部分はこちら

www.tuberculin.net

 

『週刊少国民』とは、戦時中に朝日新聞社が発行していた少年雑誌です。

少年少女が読むことを前提に書かれているので易しめの文章が特徴です。

 

しかし、少年少女向けとはいえ当時の状況をある程度把握しておかないと意味が分からない記事も多いです。この記事では、解説を入れながら戦時中の雑誌を読んでいきます

 

<目次> 

 

 

ドイツ軍の猛撃(ソ連軍をますます逼迫)

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第二次世界大戦は、ドイツ・イタリア・日本などの枢軸国チームVSアメリカ・イギリス・フランス・ソビエト連邦(今のロシア)など連合国チームの戦争でした 。

 

ヨーロッパにおいては1942年当時、ドイツによってフランスは占領されイギリスもボコボコにされ、ドイツVSソビエト連邦に戦いの中心は移っていました。1942年までは、ドイツ&イタリアの枢軸国チーム有利だったのです。

 

記事では、クリミア半島の「セパストポリ」という街の攻防戦について触れています。

 

ちなみに場所

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オレンジ〇で囲った部分が「セバストポリ」です。

当初、セバストポリはソ連軍が占領していました。

当時、ここには大きな軍港があり、その軍港をドイツとソビエト連邦で奪い合ったのが「セバストポリの戦い」なのです。

ja.wikipedia.org

 

 

記事中では

「クリミア半島のセバストポリに作戦中のドイツ軍は、白兵戦でソ連軍陣地へ深く侵入し、スターリン要塞を攻略した」

 

「ソ連の守備隊はドイツ軍の囲みから逃れようと海路から脱出したが、ドイツの爆撃機はセバストポリ港内で1万トン級の輸送船を1隻撃沈した」

 

とあります。

事実、1942年7月、ドイツ軍がセバストポリを占領。セバストポリを守っていたソ連軍10万人のうち1万人が戦死、残りがドイツ軍の捕虜となります。

 

ドイツVSソ連の戦争は一言でいえば「やられたらやり返す、倍返しだ!!( ゚Д゚)」の世界であり、互いに殺しまくっています。両者の激突は1945年のドイツベルリンの陥落によってドイツの敗北で幕を閉じますが、ドイツ兵1000万人、ソ連兵1500万人が戦死しています(ちなみに太平洋戦争での日本兵の死者は200万人)

 

ちなみに、セバストポリはそのあと1944年にソ連軍がこれまたたくさんの戦死者を出しながら奪回しています。

 

実行できそうもない英・米・ソ連の約束

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先ほどの記事と同じ面です。

記事中では、ソ連とイギリス、アメリカの同盟について書かれています。

 

「ソ連のモロトフ外相が(中略)こっそりロンドン、ワシントンに渡り、それぞれ話を取り決めた。それが英ソ同盟、米ソ協定だ。この同盟というのは、第一にヨーロッパにおける軍事の約束と、第二には戦争がすんだ後のことを取り決めたのだ」

 

「ソ連が主張している共産主義をとても嫌っているイギリスが、なぜ、そのソ連と同盟を結ぶようになったのか。イギリスはソ連が独ソ戦でたくさんの物を失い、すっかり困っているのにつけ込み、ソ連はイギリスが八方に敵を受けうごきの取れなくなっているのを見て取り、お互いになんとかうまくやろうというのだ」

 

イギリスとソ連は、もともと互いを敵視していました。ソ連は共産主義国であり考え方の違いからイギリスはソ連を疎んでいたし、それをソ連側も承知していました。

 

ただ、両者にとって共通の敵″ドイツ”が現れたため「敵の敵は味方(*'ω'*)」という理念より、両者は歩み寄ったのです。

 

記事では、同盟を結んだことについて

「さて、欧州戦争が済んだら一体だれがその後始末を受け、うまい汁を吸うかということになると、お互いが邪魔になってくる。だから、その時になってゴタゴタの起こらぬように、あらかじめ約束したのがこの問題だ」

 

としています。今まで見当はずれの事を言いまくっていた『週刊少国民』ですが、これについてはまさにその通りで、これ以降もイギリスとソ連は戦後の領土分配について話し合いを重ねていきますが、どんどんお互いの主張が合わなくなっていきます。

 

そこに、アメリカを巻き込んで、いわゆる「冷戦」時代の幕開けとなるのです。

 

記事は続きます。

「ところが、どう見ても勝味の無い米英が、戦後のことを今から考えるのは少々滑稽なことだが、そうでもしなければ国民を慰めることができないからだ」

 

せっかく調子が良かったのに、また見当はずれなことを‥(もちろん私たちはそのあとの結果を知ってるから言えるのですが‥)

 

 

徳川義親公のお土産話

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小学生たちが、陸軍軍事顧問でマレーシアから帰国した徳川義親氏からいろいろ「お土産話」を聞くコーナーです。

 

徳川義親は、尾張徳川家(昔の尾張藩。徳川家一門)の19代当主であり、当時は軍事顧問としてマレーシアに赴任していたのです。

 

徳川義親(とくがわよしちか)

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出典:a.wikipedia.org/wiki/徳川義親

http://a.wikipedia.org/wiki/徳川義親

 

義親の趣味は「虎刈り」で、上の写真の床の虎の毛皮は、彼自身が仕留めた虎です('Д')

 

義親は、マレー人についてこのように述べています

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「マレー人も教育さえすれば立派なマレー人になり、日本人のお友達になり得るだけの利口さを持っています。」

 

 

狂おしいほどの上から目線(´・ω・`)  

 

続けて、

「将来向こうの青少年の人々を日本に送り、皆さん方の友達になってもらい、日本の事を教え、そうして帰してあげる。また、あなた方が大きくなったら向こうへ行ってもらう。そういう時代が必ず来ると思います」

 

当時の日本は、占領したアジア諸国に対し「同化政策」を推し進めていました。

現地の住民に対し、日本式の教育を施したのです。義親も、マレーシアに赴任中、日本への同化政策を推し進めました。同化政策は「皇民化政策」ともいいます。

 

皇民化政策については、賛否両論なのでここでは深入りは避けます(*'ω'*)

ちなみに、マレーシアは日本人の移住先として人気らしいです。

義親の予想は意図は別として当たっていますね(´・ω・`)

hedge.guide

 

 

珊瑚海 豪州の魚

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次ページでは、いきなり「珊瑚海」の話が出てきました( *´艸`)

背景に、この年(1942年)5月にオーストラリアの珊瑚海において、珊瑚海海戦が行われたという事実があります。

ja.wikipedia.org

 

記事では、

「この間の大海戦で有名な珊瑚海は、南洋でも大きな珊瑚礁の多いところで、このあたりの海底はみなさんに見せてあげたいと思うほど、色さまざまの生物で竜宮のような美しさである」

とあります。

 

基本的に『週刊少国民』は赤と黒の二色刷り印刷なのですが、このページだけ全面カラー刷りです。『週刊少国民』頑張りました(*'ω'*)

 

 

関門鉄道トンネル(晴れの一番列車に乗って)

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前回の1942年6月14日号において、「関門鉄道トンネルが開通しました」というニュースを取り上げていましたが、翌週の6月21日号では、その一番列車に関するニュースが取り上げられています。

 

本州と九州間の物資の輸送のために、総力を挙げて開通させた関門鉄道トンネル。

1942年の6月11日に、その試運転列車が走ったのです。その様子の記事です。

 

「よろしいー三好門司駅駅長の右手が高く上げられました。信号機がカタリと青に変わり天地を揺るがす″万歳、バンザイ”の歓呼が爆発しました。6月11日午後1時38分、関門海底トンネルの一番列車は、軽やかな警笛をいっぱいに響かせて進発しました」

 

Wikipediaに出発式の写真がありました

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出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/関門トンネル_(山陽本線)

 

地元の小学生たちが見に来ていたようです。

記事には、小学生たちの作文が載せられていました。

 

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「第一線皇軍勇士のそれの如く黙々として」

「大東亜戦下に完遂されたこの世界無比の海底トンネル」

「尊い殉職者のあることを思うと手を合わせたい」

 

 

 

大川君は本当に小学6年生かな?(´・ω・`)

 

 

一方、小学5年生の宇佐美さんの文章は小学生っぽい文章で親近感が沸きます。沸きますが、締めの文章は「そして今日のこの感激を戦地の兵隊さんにお知らせしたいなと思いました」という″欲しがりません、勝つまでは”精神あふれるものになっています。

 

 

春の東京大学野球・早慶の熱戦

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現在のプロ野球人気はすごいものがありますが、戦前は野球の花形といったら大学野球でした。

特に早稲田大学対慶応大学の一戦は「早慶戦(そうけいせん)」と呼ばれ、注目を集めていたのです。

 

1942年春のシーズン優勝校は明治大学でした。悲しいことに、東京六大学野球は1942年秋のシーズンをもって中断となってしまいます。

 

翌1943年には、学徒出陣(それまで徴兵を猶予されていた大学生が徴兵されるようになったこと)が始まり、野球どころではなくなりました。

 

戦地に行く前に最後に「早慶戦」をしたい‥1943年の10月16日に非公式の「早慶戦」が行われます。戦地への出兵を前に「もう二度と野球はやれない」との悲壮な覚悟を持って試合を行いました。

ja.wikipedia.org

 

 

裏表紙の広告(森永こどもスタウト)

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下の広告は、ビタミンB2の錠剤で、子供向けにチョコレート味になっています。

「森永薬品株式会社」とはもちろん、森永製菓の子会社です。

 

 

まとめ

『週刊少国民』シリーズは、これにて終了です。ご覧いただきありがとうございました。

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