【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、ツベルクリン所有の昔の雑誌を解説を入れながらご紹介していく記事です。前回に引き続き、今回は1925年8月26日号『アサヒグラフ』の後半部分をお届けします。
前回の記事(前半部分)はこちら
『アサヒグラフ』の説明については
「日本初の日刊写真新聞として創刊され、関東大震災後、週刊グラフ誌として復刊された。日本における写真誌の草分け的存在で、数々の歴史的な報道や、その時代に代表される世相や風俗の特集記事を多数掲載、資料的価値も高い。大正デモクラシーから、戦前、戦中、戦後、高度経済成長、オイルショック、バブル崩壊、そして21世紀の幕開けまで、77年間の長期にわたり刊行を続けた日本を代表するグラフ誌である。(Wikipediaアサヒグラフのページより引用)」
を読んどってください(∩´∀`)
<目次>
外国人の写真いろいろ
とりあえず外国人のいい感じの写真を載せてみました!!のページ。
まあ見たまんまです。イギリス人とロシア人を中心に掲載されています。
右下の写真は 「活発な米国女学生のキャムピング」と題されています。
キャムピングって‥(´・ω・`) ところで、アメリカはキャンプ発祥の国とされています。1861年にアメリカのコネティカット州において学校の子供たちを集めて野外活動をしたのがその始まりとされています。
洗顔をしているところの写真なんですが、これは水着を着てるんでしょうか?
左側はノルウェーの国王がベルジウム皇室を訪問した時の写真を掲載しています。
ベルジウム=ベルギーのことです
俳優&女優の写真ページ
俳優のオフショット集とでもいうページでしょうか(´・ω・`)
右上は市村羽左衛門(いちむらうざえもん)という、歌舞伎役者。
写真撮影当時は50歳くらいと思われます。
左上は尾上梅幸(おのえばいこう)というこれまた歌舞伎役者、しかも女形役者です。
撮影当時55歳くらいと思われます。
ちなみに2人が一緒に写ってる写真がありました
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/
左側が市村羽左衛門、右の女形が尾上梅幸です(´・ω・`)
また、右下には市川左團次(いちかわさだんじ)夫妻が軽井沢で静養している様子です。軽井沢は19世紀後半から主に外国人の避暑地として開発されてきましたが、この時期は日本人も別荘を持ち出した時期でした。
左下は、女形の歌舞伎役者市川松蔦(いちかわしようちょう)の写真。
顔立ちがシュッとしてますね。歌舞伎ファンの男性陣からは「松蔦のような女と結婚したい(もちろん松蔦は男です)」というアッーな評価を得ています。
次のページも役者特集です。ページ右上の外国人女性は、アメリカの舞踏家セント・デニスという女優です。この雑誌が発行される翌月、東京の帝国劇場で公演を控えていたのです。
今と昔(すがたくらべ)
「今と昔の美人を比べてみよう」のコーナーです。まあ「今=94年前」なんですけどね(´・ω・`)
もう昔の女性が写真ではなく絵なんだけど、そういうのは気にしないのです。
今(94年前)の女性は、女優さんが登場しています(有名じゃない女優だけど)
「水際に佇む出雲美樹子さん」と題された写真。彼女は劇団に所属している女優で映画にも出演していたらしいです(有名じゃないからあんまり検索ヒットしないです)
「丸いうちわと梅村容子さん」と題された写真。彼女は多少有名女優らしく、Wikipediaのページもあります。梅村蓉子 - Wikipedia
浴後のカルピス
「今と昔(すがたくらべ」)のページに掲載してあるカルピスの広告ですが、ギリギリをついてくる色っぽさ(´・ω・`)
カルピスは1919年に誕生した乳酸菌飲料なので、つまり今年100周年です。
なんとなくカルピスは子供が飲むイメージがあるのですが、子供が見るには刺激の強い広告です。まあアサヒグラフ自体が大人向け雑誌なんですけどね(´・ω・`)
どうでもいいことですが、子供のころ友達の家にお邪魔すると、カルピスを出してくれるお家が多かった気がします(特に夏とか)
そのカルピスが濃いと「あぁ、〇〇さんのお母さんは良い人だな」と思うし、薄いと「あっ‥(察し)」って子供ながらに思いました。氷が溶けるのだから、濃いめに作っておかなければならないのですが、まあそこら辺の計算ができる人がモテると思うのです(´・ω・`)
女の子の写真いろいろ
「とりあえず女の子載せてます 」ってページです。基本的には、実業家や資産家の娘さん(いわゆる令嬢)が多いです。
ちょっと拡大してみます(∩´∀`)∩
右側は「少女の富士登山熱」と題し、下山さんという方の写真が載せられています。今でいう「山ガール」ですね。
江戸時代まで、富士山は "女人禁制″ の山でした。信仰の対象であり、江戸時代~明治時代までは白装束を着た修行者が登っていたのです。
大正時代になり「富士山ってヤバくない?登るっきゃないっしょ(*‘∀‘)」というように、登山のレジャー化が進んだのです。大正時代で1年間の富士登山者数は5万人くらいと推定されています(ちなみに平成30年は20万8000人)
左下は、単身富士登山を成功させた実業家高木泰士氏令嬢の久子さん(7歳)のドヤ顔写真です。
7歳!!(;・∀・)
かわいい子には旅をさせろってことですね
「女流水泳選手として知られている御子柴さんはプール開きの初日から毎日のように神代村のプールで女のお河童さんたちと一緒に元気よくあざやかな泳ぎぶりを見せています」とのことです。
この水着は、どっちかというと競泳用でしょうかね。大正時代の水着は、フリフリが付いたワンピース型が流行していました。ワンピース型は次ページ
「岡田氏の令嬢千鶴子さん、まき子さん、光子さんの姉妹は綺麗な肌を海水着につつんで波間に泳ぐ姿の美しさは本当に人魚のようだと言われています」
鎌倉の海岸で撮った三姉妹の写真、これがワンピース型水着なのでしょうか。
足にスパッツみたいなものを履いて、バンダナみたいな帽子を被っています。
泳ぎにくいだろ、これ(´・ω・`)
当時は、「女性が人前で肌を露出するなんてはしたない」と考えられていた時代なので、へそ出しはあり得ません。でも、これはこれで色っぽさを感じます。
左側は着物姿の女性なのですが
「博文館の大橋新太郎氏令嬢は双葉高等女学校の5年在学中、この暑さを鎌倉の別荘に避けておられます。約1万坪にあまる広いお宅には美しい花壇にも青々とした木陰にも涼しい海の風が訪れるので暑さ知らずに過ごします。毎日そうした広い邸内を小鳥のようにめぐまれて散歩するのを楽しみにしておられます」
博文館とは、今現在もある大手出版社でした。大正時代当時、めっちゃ力を持っていた出版社です。その社長が大橋新太郎なのです。
高等女学校5年とは、現在の年齢で言えば17歳くらいにあたります。17歳の楽しみが「広い邸内を小鳥のように散歩すること」とは、さすが社長令嬢、頭がいかれています(´・ω・`)
教育おやぢ(巻末漫画)
漫画のページもありました。
『おやぢ教育』 とは、アメリカの漫画家ジョージ・マクマナスの書いた漫画です。『アサヒグラフ』を発行していた朝日新聞社が権利を買い取り、掲載しているってわけです。とりあえず拡大します。上の段から左から右にストーリが進む12コマ漫画です。
ストーリーの概要
主人『猫捨ててくるわ』
奥さん『勝手にすれば』
主人『列車の中にぶち込んどけば、遠くに行っちまうだろう』
奥さん『やっぱり猫いないと寂しい、早く連れ戻してきて!』
主人『列車の中いないわ。雨の中探すわ。』
猫『勝手に家にかえってきたニャー』
主人『風邪ひいちまったぜ、覚えてろよ黒猫が(;・∀・)』
ストーリーは別にどうでもいいんですが、この漫画の画期的なところは「吹き出しにセリフを書いた」ってとこです。それまでの漫画は、吹き出しを使うって発想が無かったんですね。この漫画に影響されて、のちの漫画家たちは吹き出しを使うようになりました。
懸賞付きクロスワードパズル
クロスワードパズルってこの時代からあったんですね。
っていうかこの雑誌が発行された1925年は、初めて日本語のクロスワードパズルが作成された年であり(『サンデー毎日』という雑誌が掲載)、つまり当時は超最新の娯楽だったと言えます。
懸賞付きで、完成したパズルを送ると抽選で1名に賞金15円が贈呈されていました。
大正時代後半は1円=現在の2000円前後となるので、2000円×15でだいたい現在の3万円相当と考えられます。
現在の感覚から言ってもクロスワードの懸賞金としては、妥当でしょう。
94年前のクロスワードパズルがやりたい方のために、カギの部分とマスの部分を拡大しておきました。
なお、答えは翌月号にて発表するというスタイルをアサヒグラフはとっていました。ツベルクリンは翌月号持っていないので、答えがわかりません。「ツベルクリンさん出来ました!!」と言ってこられても「そうですか」としか反応できませんのでご了承ください。
まとめ
ご覧いただきありがとうございました。
次回は【ツベルクリンWalker】足立美術館の後半の記事を更新予定です。
日本の各観光地を現役添乗員のツベルクリン目線でご紹介している記事です。
またよろしくお願いいたします。
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