【ツベルクリンwalker海外編】は、様々な観光地を添乗員である私ツベルクリンが徹底的にガイドしていくシリーズ記事です。今回は世界遺産にも登録されている熊本県の「崎津天主堂」をご紹介していきましょう。
当ブログでは、たまに教会をご紹介しております。
教会と聞くと長崎県をイメージされるかもしれません。たしかに、長崎県にはキリスト教信者も多く教会も数多くあります。キリスト教に関して日本史で有名なのが江戸時代初期の1637年に起こった「島原・天草一揆(島原の乱)」でしょう。この"天草"というのは、熊本県なのです。一揆のリーダー、天草四郎だって名前の通り天草の人なのです(出身地は諸説あります)。
この天草にある世界遺産の教会が崎津(さきつ)天主堂です。今日は、この崎津天主堂をご紹介していきましょう。
<目次>
崎津天主堂の所在地
赤枠で囲んだエリアが崎津天主堂がある熊本県天草諸島です。島は橋でつながっています。天草諸島を拡大してみましょう。
天草諸島の中の下島(しもしま)に崎津集落が存在します。ど田舎どころの騒ぎではありません。このキングオブど田舎の崎津集落に教会は建っているのです。
先日、「小さい空港選手権」という記事において、天草飛行場を紹介いたしました。飛行場は崎津天主堂と同じく下島にあります。福岡空港ー天草便があるので、とりあえず福岡まで来ればこっちのものです(*'ω'*)
崎津天主堂へ行こう
天主堂より800mほど離れた場所に大きな駐車場があります。たぶん無料です。その名をガイダンスセンターといいます。これも世界遺産に登録されてから整備されました。
崎津集落の全体図です。
右下ガイダンスセンターより集落内を突き進むと崎津天主堂まで行けます。
橋を渡りましょう。川が氾濫しそうですが、マリア様を信じている限り救われます。
猫ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん、かわいいよぉぉぉぉぉぉぉぉ(๑・̑◡・̑๑)
信号機を渡ると崎津集落へ入ります。
普通の集落です。現在350世帯ほど住んでおり、その多くはキリスト教信者です。
訪問時は7月ですが、しめ縄が飾ってあります。年中正月気分なのではなく、キリスト教信者ではありませんよアピールです。もっとも、それはキリスト教が禁止されていた江戸時代からの習わしであり、今現在ではなんとなく飾ってあるだけです。
崎津集落居住者のほとんどは漁業関係者です。何も言われなければ、どこにでもある漁村にすぎません。
集落をさらに進めていきます。
猫ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん、そんなとこで何してるのぉぉぉぉぉぉぉ?(๑・̑◡・̑๑)
気を取り直して先に進んでいきます。
古き良き商店です。
貝殻があちこちに飾ってあります。キリスト教が禁止されていたころ、崎津集落には潜伏キリシタン(いわゆる隠れキリシタン。こっそりキリスト教を信仰していた人)が数多く住んでいました。
潜伏キリシタンは、表向きは仏教徒のふりをしていました。露骨にマリア様とかキリストの像を持っていたらバレるので、貝殻を聖具(仏教でいう仏具)に見立てキリスト教を信仰していたようです。
集落内には諏訪神社があります。江戸時代中は、当然教会なんで建てられません。ですから、潜伏キリシタン達は『もうお祈りするの教会じゃなくて神社でいいや‼︎』と開き直って、神社でお祈りしていました。
こっそりキリスト教を信仰していた崎津の潜伏キリシタン達ですが、バレました(๑・̑◡・̑๑)。1805年の事です。
バレた経緯はこうです
潜伏キリシタン『毎年クリスマスの時くらい牛肉食いてぇ(๑・̑◡・̑๑)』
当時は仏教の教えの一部である肉食禁止が厳密に守られていた時代でした。牛は食べるものではなく、農作業を助ける家畜でした。牛肉はゲテモノ扱いされていました。ただ、キリスト教にはそんな教えはありません。
潜伏キリシタン『せや、牛が病気で死んだことにして、牛肉食うたろ‼︎』
そして、毎年クリスマスの時期になると、
潜伏キリシタン『牛が病気で死んでしまいました』
幕府さん『分かったやで』
潜伏キリシタン『今年も牛が死んでしまいました』
幕府『分かったやで』
潜伏キリシタン『今年も‥(以下繰り返し』
幕府は気付きます。『毎年同じ時期に牛が死んでる‥‥おかしい‥(´・ω・`)』と。
そして、天草の下島全域を一斉摘発します。基本的には、キリスト教の信仰が発覚した場合、打ち首(死刑)になります。調べた結果、当時1万人いた下島の住民のうち5000人が潜伏キリシタンだと判明します。幕府はあまりの数の多さにドン引きします。
幕府『5000人も打ち首にしたら年貢少なくなるわ(´・ω・`)』
と考えた幕府は、
幕府『なんかこっちの勘違いやったわ!でも、疑われることすんなよ!(∩´∀`)』
と注意だけしました。その後も、潜伏キリシタンはマイペースに信仰を続けました。明治維新後、キリスト教禁止令は廃止され宗教の自由が認められると、潜伏キリシタンたちはキリシタンとして"復活"し、各地に教会を建てたのです。その1つが崎津天主堂なのです。
新しくトイレが整備されました。観光地の鉄則「世界遺産になるとトイレが整備される」の通りです。私はこれを血税トイレと呼んでおります。
教会の近くに宮下商店さんがあります。ここでは、名物「杉ようかん」を販売しています。
"ようかん"とか言っておきながら、実態はあんこもちみたいな奴です。以前「消費期限短すぎて渡せないお土産選手権」という記事においてご紹介いたしました。
消費期限はその日限りです。私は自分のお客様に到着前に杉ようかんを宣伝します。すると、皆さまはお店に吸い寄せられていきます。ですから、宮下商店さんは私の顔を見かけると『〇〇さん(私の名前)いつもお世話になっております~』と言って杉ようかんをくれます。私は、お土産を頂いたときは当ブログで優先的にご紹介していく方針です。ズブズブの癒着が大好きなのです(´・ω・`)
崎津天主堂の全貌です。明治維新後に崎津集落には小さな教会が建てられましたが、昭和になってからこの大きな教会がつくられました。1934年に完成しています。
側面に周ると、手前はコンクリート製なのに奥は木造です。理由は『やべぇ、コンクリートで造ってたら予算足りなくなったわ!残りは木製にしよ(´・ω・`)』です。
昨今は御朱印ブームですが、なんと崎津天主堂の御朱印が存在します。日本と海外の文化の融合です。"恵方巻きロールケーキ"みたいなものです。
ぜひ、皆様も天草へお越しの際は崎津天主堂へお越しください(^o^)
終わりに…
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