日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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【時には昔の雑誌を…】1981年7月10日号『アサヒグラフ』

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【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、筆者であるツベルクリン所有の昔の雑誌を解説を入れながら読んで行くシリーズ記事です。今回は『アサヒグラフ』の1981年7月10日号を見ていきましょう。

 

前回の記事はこちら

www.tuberculin.net

 

当ブログを長年ご愛読のアウトローな読者の方にはおなじみ『アサヒグラフ』。大正時代の1923年から2000年まで発行されていた週刊誌です。今回取り上げるのは今から38年前の1981年7月10日に発行された『アサヒグラフ』です。37年前なんて誰も産まれてないですよね(´・ω・`)。

 

今回の『アサヒグラフ』の特集は、"集合写真"です。特に取り上げられているのは、観光地で撮る集合写真です(団体写真とも言う)。

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修学旅行生は、旅行中どこかで必ず集合写真(クラス写真)を撮ります。また、普通の団体ツアーでも観光地で旅行会社と癒着した写真屋さんが待機しています。そして、1枚1000円~くらいの値段でふかっけるのです。

 

そんな集合写真をただ見るだけの特集を『アサヒグラフ』さんは組んでいます。なんとまあニッチな趣向なんでしょう。ちょっと見ていきましょう。

 

各写真では思い切り個人の顔出ちゃってますが、雑誌に掲載された写真であること、そして38年前の写真であるので特にご老人の団体写真なら全員すでにアレだと考えられること、以上の点をかんがみてアップしています。ご理解ください。

 

<目次>

 

 

 

各地で撮られた団体写真

 

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1枚目は鎌倉の大仏前の集合写真です。注釈によると電気会社の新入社員旅行らしいです。まぁ、80年代を彷彿とさせるパンチパーマ&リーゼントですわ。女の子の方もスケバン刑事みたいな格好しています。

 

そして、周りがいかつい髪型で決めている中、真ん中の大仏みたいな男性が魅力的です(๑・̑◡・̑๑)

 

 


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続いて奈良公園の集合写真。奈良公園名物の鹿さんが動員されています。

 

広島の宮島も鹿さんがいますが、現在も集合写真を撮る際は、写真屋さんがその辺の鹿さんを適当に連れてきてこき使っています。

 

 


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京都にある映画村での集合写真。写真を撮る際は施設の女性が江戸時代風の衣装を着て一緒に写ってくれるのですが、撮影する際にセクハラされてたっぽいです。これだからおっさん様は…(๑・̑◡・̑๑)

 

 


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埼玉県の長瀞(ながとろ)の川下り途中に無理矢理撮られる集合写真です。もちろん、現在でもこのパターンは現地で行われています。遊園地のジェットコースターのように、降りたところで写真を売りつけてきます。

 

 

 


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1981年には、兵庫県神戸市でポートピア'81っていう博覧会が開催されました。

 

小学生の服装ですが、清々しいほどの短パン&長靴下。読者の方もこういう格好をさせられていたのでしょう。

 

 

 


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北海道のクラーク像です。写っている方々の多くは明治生まれ勢だとは思いますが、そんな方々だってクラーク像の前に来たら同じポーズを取りたがるのです。

 

 

 


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鳥取県の鳥取砂丘です。高校の同窓会らしく、10年前の還暦の時に作った赤い帽子をみなさんかぶってます(つまり全員70歳)。

 

ってことは現在生きていたら108歳という計算になります。まぁ計算しなくても全員すでにアレだと思いますけどね(๑・̑◡・̑๑)

 

 

 


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ところで、集合写真って基本的に外で撮るので、雨天の場合中止になります。団体さんが来たって写真が撮れないなら、写真屋さんの売り上げは0です。

 

それが悔しい写真屋さんは、『雨で中止だと?それなら雨でも撮れるようにセット作ってやるよ!(๑・̑◡・̑๑)』と、商魂剥き出しにして作ったのが、"カラスタ"ってやつです。そのカラスタで撮影した集合写真が上の写真です。

 

屋根付きであり、でかでかと観光地の写真をバックにこしらえた屋外スタジオです。現在私が知っている限りでは、鳥取砂丘や和歌山県の華厳の滝に存在しています。正直ここまでして集合写真撮らなきゃいけないのか疑問ですが、旅行会社と写真屋さんの癒着は強固なのです。

 

 

団体写真コラム

 

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ちょっとコラムを読んでみます。

 

「旅は道ずれ世は情けなんて言葉もあるくらいで、日本人ほど団体旅行好きな民族もいませんね。修学旅行に社内旅行、パック旅行(注:団体ツアーのこと)もあいかわらず全盛です。団体旅行といえば、すぐに思い出すのが、あの観光記念写真です。富士山をバックに、いや大阪城かもしれません。観光名所をバックに、みんなでひな壇におさまって撮る写真です。自分でカメラを持ち、あちこちパチパチ撮ったうえに。プロの写真屋さんにまで撮ってもらおうというんですから、日本人の写真好きは相当なものです。」

 

「記念写真を撮るなんてのは、ほんの一瞬の出来事です。同じ風景の中で、何万人という観光客が同じ記念写真を撮っているはずなのですが、おばさんたちはそんなことには興味はありません。いまごろは旅の帰りにもらったこの記念写真を取り出し、旅の思い出話に花を咲かせているでしょう。なんたってこの一枚の写真こそが旅の唯一の思い出なんですからね」

 

 

私が同行するツアーの場合、アイコンに登場しているふなっしーも一緒に写らさせてもらっています。たぶん、集合写真を購入した人は、あとで写真を見返す時、『ああ、ここはふなっしーの添乗員さんと一緒に行ったねぇ~』と思い出してくれている事でしょう。

 


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これはなかなかマニアックな場面を収めた写真です。修学旅行では決まった場所でクラス写真を撮ります。高校の修学旅行なんかは10クラス分とかありますから、こんな感じで"待ち"の状態が発生します。

 

また、人気の観光地だと添乗員による場所取り合戦が地味に行われています。ガイドさんは生徒さんを誘導しながら来ますから、添乗員が先に行って場所取りするのです。全く誰にも気づかれない添乗員の地味な仕事です(´・ω・`)。

 

 

 

天橋立の移り変わりを集合写真で


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集合写真を撮るような場所は、誰もが『あぁ、ここね』と分かるくらい有名なポイントで撮るものです。撮るポイントは、時代が変わっても変わらないのです。ここでは、京都府の天橋立で撮られた集合写真を時代ごとに見ていく、これまたマニアックな企画です。

 

1枚目(上の写真)は大正初期(100年以上前)に撮影されたものです。天橋立は高いところから見なければなりません。当時から展望所は傘松公園として整備されており、現在ではケーブルカーもありますが、この当時は徒歩(もしくは籠)で登っていたようです。100年前だったらそりゃ全員和装ですわね。

 

 

 

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時代は下って昭和8年(1933年)。ちょっとモダンな香りがしてきます。そしてまあ空気抵抗の大きそうな車。前列真ん中の女性は、傘松公園のお茶屋さんのお嬢さんだそうです。

 

 


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その翌年、昭和9年(1934年)に撮られた集合写真。ここにも、前列にお茶屋さんのお嬢さんが写っています。なに仕事さぼって写真に写っちゃってるんですかね(´・ω・`)。

 


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昭和13年(1938年)に撮影された家族写真です。この時期になると、戦争の足音が聞こえるようになってきます。この兵隊さんは息子さんなんでしょうかね。

 

当時、天橋立の近くには舞鶴港という重要な軍港がありました。まだ、余裕がある時期には兵隊さんがこの天橋立に観光に来ていたようです。

 

 

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昭和15年(1940年)の集合写真です。写っているのは、京都府の京都女子師範(しはん)学校の女子生徒です。師範学校とは、現在の教育大学にあたり、教師を要請する専門の学校でした。だいたい15~19歳の年齢に当たります。

 

基本的に師範学校を卒業すると学校の先生(おもに小学校)に就職できたのですが、彼女たちが教職についたころはまさに戦時中の激動の時代だったと思われます。彼女たちのその後を考えると、色々と思うところがあります。

 


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昭和20年(1945年)の写真。終戦直前です。もうこのころになると観光どころではなく、やってくるのは兵隊さんくらいでした。

 

ところで、迷信として"3人で写真を撮ると真ん中の人が早死にする"というものがありました。現在ではそんな迷信信じている人などいませんが、戦前はかなり根強かったようです。なので、それを回避するために、その辺にいる子供を引っ張ってきて無理やり写らせる(4人にする)ことをやったようです。

 

でもさ、4人って"4人=死人"になるけど、そういうのは気にしなかったんでしょうかね?(´・ω・`)

 


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戦後、昭和22年(1947年)の写真です。再び天橋立にも観光客が戻ってきた時期です。

 


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昭和32年(1957年)撮影。近くの舞鶴港に寄港した船員さんたちです。花なんか持ってカッコつけてます。

 


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昭和46年(1971年)撮影。女子大生のグループです。この当時、日本では"ミニスカート"が流行しました。1967年に来日したイギリスの女優ツイッギーがミニスカートを履いていたことにより、ミニスカートを履くっきゃない状態になりました。

 

ちなみに、当時の女性の大学進学率は20%程度です。ですから、そこそこのお譲さんだといえます。

 

そして、現在の天橋立(傘松公園)はこんな感じです。

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出典:「海の京都」天橋立観光ガイドー天橋立観光協会|日本三景|

またずいぶんとシャレオツなステージが出来上がってます。ここで現在は集合写真を撮っています。

 

 

 

終わりに…

これからも時々このようなマニアックな記事をお届けしていきます。皆さん何とかついてきてくださいね(´・ω・`)

 

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