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現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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【ジブリ考察記事】『火垂るの墓』の"7000円問題"について【お金の価値】

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【ジブリ考察記事】は、ジブリ好きでなおかつ社会科の教員免許を持つ私が、ジブリ作品を社会科の教師目線で考察していくシリーズ記事です。今回は1988年公開の『火垂るの墓』の"7000円問題"について考察していきます。

 

 

『火垂るの墓』とは、作家の野坂昭如氏原作の同名の小説を原作とし、1988年に高畑勲監督で映画化されたアニメーション作品です。『となりのトトロ』との同時上映作品でした。トトロを観てハートフルな気持ちになったところに、戦争映画をぶち込んでくるジブリの心意気に脱帽です(*'ω'*)

 

 

この映画で、私が気になる"ある問題"があります。それを私は勝手に「7000円問題」と呼んでいます。その問題を検証していきます。

 

 

<目次>

 

 

 

物語の概要


【特典】火垂るの墓(ジブリがいっぱいCOLLECTION オリジナル「崖の上のポニョ 保冷バッグ」) [ 野坂昭如 ]
 

 

火垂るの墓』は1945年(昭和20年)の神戸市が舞台です(原作者の野坂昭如氏が幼少の頃神戸に住んでいたので)。


主人公は清太(せいた)君14歳と節子(せつこ)ちゃん5歳。お父さんは海軍の軍人さんで出兵しているので、普段はお母さんと住んでいました。


そんな3人を襲ったのが1945年6月5日に起こった神戸大空襲。この空襲で清太と節子は、お母さんと家を失います。清太と節子は、となりの西宮市の親戚のおばさんを頼り、そこで居候をさせてもらう事になりました。

 

しかし、共同生活が続くにつれ親戚のおばさんは2人を邪魔者扱いするようになり、それに耐えきれなくなった2人は家を飛び出しました。

 

2人は近くの貯水池のほとりにある防空壕の中で生活を始めました。この防空壕生活の最中で生活をしていくのですが…

 

 


というあらすじ。結局2人とも栄養失調で死んでしまいます。

 

この『火垂るの墓』の中で、どうしても気になっているシーンというかセリフがあります。

 

 

 

7000円問題とは?

 



西宮市の親戚のおばさんところに預けられていた清太と節子。しかし、節子はいいとして清太は学校にも行かず(学校は空襲で焼けたらしい)、ただ家で節子の面倒を見ているだけであり、次第におばさんの風当たりは強くなります。

 

そして親戚のおばさんから『うちとあんたらとご飯べつべつにしましょ』と言い放たれます。

 

それを受け、自分たちの調理道具や食材を買いに行くために町に出た清太と節子。その途中で銀行に立ち寄り、預金口座の残額を確認しに行くシーンがあります。

 

『母ちゃん、銀行に7000円も貯金しとったんや!』

『7000円やで!あんだけあったら何とでもやっていけるわ!』

 

お母さんは2人のために貯金してくれていたんですね。

 

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でも、よくよく考えるとおかしいんですよね。この7000円という金額ですが、今のお金に換算すると(戦前戦後は物価の変動が激しいので一概には比較できない)、数百万円と換算することができます。

 

まあ分かりやすく7000円=現在の700万円 としておきます

 

数百万円を持っておきながら、わずか2~3か月で2人は亡くなってしまいます。今の感覚でいえば、中学生が2~3か月で700万円を使い切るのは至難の業です。これが、この作品の最大の"謎"です。

 

1945年という年は、物価の変動が激しい時期であり、一概に"現在の価値で〇〇円"といったように断定できるものでありません。あくまで、目安とお考え下さい。 

 

 

 

どうしてそんな大金があったのか?

 

この7000円の出処はどこやねん?って話ですが、これはすぐ導けます。清太と節子のお父さんは海軍のエリートなのです。

 

映画中でお父さんが出てくるシーンはあまり無く、清太の回想シーンの中で出てくるだけです。

 

その回想シーンで次のようなセリフがあります。

 

清太『兄ちゃんな、節子が産まれる前、観艦式見たことあったんや』

節子『かんかんしき?』

清太『せや、お父ちゃん巡洋艦摩耶(まや)に乗ってな、連合艦隊勢ぞろいやで』

 

 

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出典:https://news.yahoo.co.jp/

 

まず、観艦式(かんかんしき)について解説しますと、海上での軍艦パレードと思っていただけたらイメージしやすいかと思います。

観艦式 - Wikipedia

 

たくさんの軍艦を集めて一堂にパレードを行うことで「どうだ、わが海軍はすごいだろう!」と国民や外国にアピールする場だったのです。

 

清太は神戸の人ですから、神戸で行われた観艦式を調べると出てきました。

 

"特別大演習観艦式1936年(昭和11年)10月29日、神戸沖。参加:計100隻(58万0,133トン)、飛行機100機。特別大演習観艦式指揮官:連合艦隊司令長官高橋三吉海軍大将、空中分列指揮官:第一航空戦隊司令官佐藤三郎海軍少将"

引用:観艦式 - Wikipedia

 

1936年に神戸で観艦式が行われています。清太5歳くらいかな?

 

 

その観艦式の回想シーンでお父さんが出てくるのですが

 

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出典:https://power-shower.com/hotarunohaka-seita-father

 

 

お父さんの着ている軍服の紋章などから、1936年の観艦式当時のお父さんの階級は、大尉(だいい)であることが推測されます。

 

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大尉とは、現在の警察の役職で言えば、刑事に相当する役職です。軍人の階級としては、幹部クラスと言っていいでしょう。

 

つまり、清太と節子は上流階級のボンボンということができます。映画の中でもまだお父さんと一緒に暮らせている時期に当時としては珍しい"カルピス"を2人が飲んでいるシーンも挿入されています。

 

しかも、お父さんの大尉という階級はあくまで1936年当時の話です。たぶん昇進していると思われるので、給料はさらに上がっている可能性もあります。

 

私の予想では、観艦式から9年後の1945年には少なくとも「中佐」くらいには出世しているのではないかと思います。あくまで想像ですが…。

 

 

 

 

どうしてそんな大金を持っていたのに2人は死んだのか?

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お父さんがエリートなので、現在の価値で700万円という貯金があっても何の不思議はないということを前章で書きました。問題は、この700万円を手にした清太と節子がわずか2~3か月のうちに、栄養失調で死んでいるのです。 

 

 

 この『7000円もあったのに何で死んでもうたん?』問題を検証していきます。

 

 

 

お金<物品という世界観

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現在の感覚でいうと、お金をお店にもっていけば商品と交換してくれますが、当時は極端な品不足です。お金を持っていたとしても商品がなければ仕方ありません。終戦前後は、お金よりも物自体の方が価値を持つようになっていたのです。

 

映画中の中で親戚のおばさんが清太のお母さんの着物を持ち出して、お米と交換してくるという描写があります。

 

お金ではなく、着物を持ち出す。つまり、価値はお金着物なのですね。

 

その証拠に、映画中後半で空襲の際に清太が火事場泥棒を働くシーンがありますが、清太が盗むのはお金ではなく着物の類でした。

 

 

親戚の家を飛び出すという「愚行」

 

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手厳しいタイトルですが、清太と節子が親戚のおばさんの家を飛び出したのは‥。まさに「愚行」なのです。

 

なぜ、愚行と言えるのか?それは、この時代に関係している2つのキーワードで説明していきます。「配給制度」「隣組」です。

 

配給 (物資) - Wikipedia

隣組 - Wikipedia

 

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出典:https://newspicks.com/

 

「配給制度」とは、戦時下の品不足に対応するため、政府によって家庭に行きわたる生活必需品の量を制限しようとした政策です。

 

お米、砂糖、みそ、酒など50品目以上の食品が配給の対象となりました。対象の品目は、各家庭によって買える量が決められました。そして、各品目の配給所に行かないと購入できないしくみだったのです。

 

基本的に配給は隣組(となりぐみ)を通して行われます。隣組とは、5~10世帯ずつを1つのグループとして相互協力、相互監視を目的として作られた今でいう町内会みたいなものです。 隣組に所属していないと、配給を受けることはできません。

 

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すなわち、清太と節子が親戚の家を飛び出した(=隣組を離脱した)という行為は、配給チャンスを自ら手放す「致命的な」行為なのです。

 

 

配給チャンスが無くなった清太は、知り合いの農家に野菜を分けてもらえるようお願いしに行くシーンがあります。

 

 

農家のおじさん『うちは農家やいうても、人に分けられるほど作っとらんのや』

農家のおじさん『やっぱりあの家に(清太たちが飛び出した親戚の家)に置かしてもらったほうがええ。第一、今は何でも配給やし、隣組に入っとらんと暮らしてはいけん』

 

 

農家のおじさんが言う通りなのです。私が予想するに、2人は7000円を使い切れずに死んでしまったのではないかとさえ思うのです。

 

 

戦時下の暮らしについては過去記事でも取り扱っています。

 

www.tuberculin.net

 

 

 

そもそも『火垂るの墓』はフィクション

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主人公の清太のモデルは、原作者の野坂昭如氏本人です。もちろん、原作者は14歳で亡くなっていないので『火垂るの墓』は"事実を基にしたフィクション"作品だということができます。

 

 

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出典:https://toyokeizai.net/

 

映画中では、7000円の貯金を手にしながら清太と節子は亡くなっていますが、これに対し、スタジオジブリの宮崎駿監督はこう批判しています。

 

‥‥‥‥‥‥‥

それから、巡洋艦の艦長の息子(清太のこと)は絶対に飢え死にしない。 それは戦争の本質をごまかしている。 それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対飢え死にしない。 

 

海軍の士官というのは、確実に救済し合います、仲間同士だけで。 しかも巡洋艦の艦長になるというのは、日本の海軍士官のなかでもトップクラスの エリートですから、その村社会の団結の強さは強烈なものです。 

 

神戸が空襲を受けたというだけで、そばの軍管区にいる士官たちが必ず、 自分じゃなかったら部下を遣わしてでも、その子どもを探したはずです 

 

(稲葉振一郎インタビュー「ナウシカ解読」より引用)

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 

 

まず、断っておきたいのが宮崎駿氏は清太のお父さんが「巡洋艦の艦長」だと論じていますが、映画中において「艦長」であると断言できるシーンはありません。分かっているのは、「巡洋艦の乗組員」であった、ということだけです。

 

しかしながら、清太のお父さんが艦長までとは行かなくても、「中佐」レベルのエリートであることは前章までの私の記事で書いてきたとおりです(艦長は大佐という階級まで昇進しないと任命されない)。

 

 

宮崎氏の意見をくみ取ると、幹部クラスの軍人の息子や娘(清太と節子)が、防空壕で路頭に迷っているなんて現実的には考えられない、ということになります。

 

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出典:https://www.sankei.com/

 

旧海軍の場合、同期のことを「クラス」と呼びます。クラス同士の横のつながりは、宮崎氏も述べているように非常に強いものがあります。

 

仮に清太のお父さんが戦死したとしても、お父さんのクラスが必ず清太や節子を見つけ出して保護しているはずなのです。そこまでが海軍士官の"任務"なのです。

 

ちなみに、このような海軍のクラス同士の結びつきについては、同じジブリ作品の『コクリコ坂から』で少し触れられています。

 

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出典: https://search.yahoo.co.jp/

 

まとめると、「7000円の貯金を持っているような中佐階級の軍人の息子や娘が路頭に迷うことは、当時の常識からして考えられない。だから、火垂るの墓はフィクションだ」ということです。

 

 

 

終わりに‥

 

この物語は、反戦という側面以上に、「人間は地域共同体の中でしか生きられない」ことを示唆している気がしてなりません。清太が終戦を知るのは8月15日よりだいぶ後になってから、というシーンがあるのですが、そのような重要な情報さえも共同体を離脱した状態だと中々耳には入って来ないものです。隣組の件もそうですが、いくら金を持っていようが、共同体に属していない子供2人に出来ることは限られていると言えます。

 

もちろん、戦争が無ければ子供2人が地域共同体から離脱することはなかったことでしょう。親の貯金7000円である程度の高等教育も受けられたはずです。仮に清太の両親が事故や病気で亡くなったとしても、平常時であれば地域の共同体の力によって守られた最低限の保護(餓死はしない)は受けられた可能性はあります。戦争はこのような地域共同体の力が失われていた時代でもあると思うのです。

 

現代では日本が直接的に戦争に巻き込まれる危険は少なくなったとはいえ、コロナ禍であったり社会全体の貧困化や格差社会の出現によって、80年前と似たような世相になる危険性をいつでもはらんでいると言えます。他者への関心が希薄になってしまった世の中では、第2の清太や節子が出現しても決しておかしくはないのです。

 

 

 

<過去の戦争に関する記事はこちら>

 

www.tuberculin.net

 

 

www.tuberculin.net

 

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