日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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【学校で教えてくれない社会科】17時間目:大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公、明智光秀ってどんな人?

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【学校で教えてくれない社会科】は、社会科の教員免許を所有しているツベルクリンが、学校で教えてくれないような役立たない社会科の授業をしていくシリーズ記事です。17時間目の今回は『"麒麟がくる"の主人公、明智光秀ってどんな人?』というテーマで授業していきます。

 

誰かさんのせいで放送開始が延期になってしまったNHK大河ドラマ『麒麟がくる』。主人公は織田信長の家臣であった明智光秀(あけちみつひで)。大河ドラマの主人公になるくらいですからまあそこそこ有名な人物なのですが、従来の彼のイメージは"裏切り者"です。

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天下統一が目前に迫った織田信長、その彼を京都の本能寺において謀反を起こし死に追いやった主君殺しのイメージが強く、一昔前ではそんな悪人を大河ドラマの主人公に据えるなど考えられませんでした。

 

ところが最近では、風向きが変わり彼の業績を見直す動きが出てきました。今回は元社会科教師である私が、大河ドラマを見るにあたって知っておきたい明智光秀の功績を授業していきます。これさえ読めば、もう大河ドラマなんか見なくてもいいですね!!

 

<目次>

 

 

 

 

青年時代までの光秀

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そもそも、いつどこで誰の息子として生まれたのかはっきりしていません。謎多き人物です。

 

生まれた年ですが、1528年説が有力です。信長よりも6歳年上です。生まれたのは美濃、現在の岐阜県であると推測されています。

 

父親は明智光綱(みつつな)という武将とされています。もう"されています""と思われます"のオンパレードであり、逆に脚本家がやりたい放題出来るってわけです。

 

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出典: 斎藤道三 - Wikipedia

 

明智家は、当時美濃に一大勢力を築いていた斎藤氏に仕える一族でした。斎藤家が勢力を伸ばしたのは、斎藤道三(どうざん)のカリスマ性が大きい要因でした。この斎藤道三に明智家の小見(おみ)の方という女性が嫁いだので、斎藤家と明智家は親戚関係でもありました。

 

ちなみに、道三と小見の方の娘として生まれたのが帰蝶(濃姫)であり、後に織田信長の奥さんとなります。そして、この帰蝶を演じているのが川口春奈(沢尻エリカ)です。

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出典:https://www.change.org/p/

 

斎藤家はその後、道三とその息子義龍(よしたつ)が親子喧嘩をします。明智家は道三側について戦ったのですが、義龍側から攻められて明智家は一家離散状態になります。当時20代の青年武将だった光秀も命からがら美濃を脱出します。

 

 

 

織田信長と出会うまでの光秀

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1553年(くらいと思われる)、照子(ひろこ)と結婚したっぽいです。美濃を離れジプシー状態になっていた光秀の動向は詳しくは分かっていません。一説によると、若狭(現在の福井県)に勢力を誇っていた朝倉氏の家来として勤務していたとされています。

 

この朝倉氏を頼ったのが、後の室町幕府15代将軍、足利義昭(よしあき)です。

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出典:足利義昭 - Wikipedia

当時、室町幕府の力は衰えていました。強い大名が自分の言うことを聞く足利家の人物を将軍に据え、将軍の側近として権力をふるっていました。

 

義昭自身は、系図的に言えば将軍になれるポジションの人物ではありませんでしたが、非常に政治力がある人物で、自力で自分を将軍として担いでくれる武将を探していたのです。そして、義昭が頼ったのが朝倉氏だったわけです。

 

その時に、義昭が目を付けたのが当時朝倉氏の家来だった明智光秀なのです。義昭は光秀を自分の家来として招き入れました。

 

ちなみに、義昭と光秀が直接やり取りしたというよりは、義昭の家臣であった細川藤孝(ほそかわふじたか)とのやり取りが多かったらしく、以後光秀と藤孝は親密な関係になっていきます。

 

※ドラマでは細川藤孝役を眞島秀和さんが演じています

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出典:クランクイン! - エンタメの「今」がわかる 映画&エンタメニュース

 

光秀は義昭に対し、朝倉家ではなく織田信長と連携を取ることを勧めます。先ほども説明していたように、織田信長の奥さんの帰蝶のお母さんが明智家の人間であり、明智家と織田家は親戚だったのです。そういった関係性以上に、光秀は信長の能力を見抜いていたと考えられます。

 

1568年、義昭と信長は光秀の仲介によって対面し、以後しばらくの間協力関係を維持します。信長は義昭を警護しながら京都へ進軍。京都を制圧し、義昭を室町幕府第15代将軍として擁立しました。

 

義昭は信長の軍事力を手に入れ、信長は将軍の義昭の権威を手に入れました。2人は互いにwin-winの状態だったのです。もちろん、それを仲介したのは光秀です。

 

信長自身も光秀のことを気に入り、自分の家来として雇用しました。光秀は義昭の家来でもあり、信長の家来でもあった、やや複雑な状況であったらしいのです。

 

 

 

織田家の筆頭家臣に

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ところが、義昭と信長は次第に対立するようになり、義昭は反信長の勢力をかき集め信長に戦いを挑みました。両者を仲介した光秀は、この時点で義昭を見限り信長側に立ちました。以後、織田家の筆頭家臣として活躍していきます。

 

※ちなみに、同じく義昭の家来として働いていた細川藤孝も義昭を見限り、信長の配下となっています。以後光秀と藤孝は協力しながら信長の天下統一事業に邁進していくのです。

 

光秀は、信長から琵琶湖のほとりに領地をもらい、そこに坂本城というお城を築きました。信長の下で一国一城の主になったのです。

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それから光秀は休む暇もないほど各地を転戦し、織田家の中で立場を高めていきます。戦だけではなく、1581年に京都で実施された織田家の軍事パレード(馬揃えと言う)の責任者も務めました。武将としての強さだけでなく、政治能力も持っていた非常に優秀な人物だっとされています。

 

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出典:長篠の戦い - Wikipedia

 

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なぜ光秀は本能寺の変を起こしたのか?

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出典:本能寺の変 - Wikipedia

1582年6月2日、中国地方の毛利氏を攻めるため、その途中の京都・本能寺に宿泊していた信長一行を、同じく毛利氏攻めのため出陣していた光秀が急襲しました。信長は討ち取られました。光秀は、近くの二条城に滞在していた信長の長男・信忠もついでに討ち取りました。これが、本能寺の変です。

 

その後、同じく毛利氏攻めに参加していた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が、"主君のかたき討ち"という名目で、光秀を山崎の戦いにおいて撃破。光秀は逃走途中に落ち武者狩りに遭い、命を落とします。光秀の"天下"はわずか11日間でした。

 

光秀がなぜ信長を殺したのか?長年の謎として研究が進んでいます。まず、意見が分かれるのが本能寺の変を起こしたのが「光秀単独犯」なのか「黒幕がいる」のか、です。

 

単独犯か?それとも‥

「黒幕がいる」場合、誰が黒幕なのか、これも色々な説があります。

〇秀吉

‥この本能寺の変で最も"得"をしたのは誰か?それは光秀ではなく、その後天下を取った秀吉です。光秀をそそのかして謀反を起こさせ、その後光秀を裏切って抹殺した、とも考えられます。

 

〇天皇家

‥信長の天皇家に対する圧力は日に日に高まっていったとされています。天皇の即位に口を出したり、前述した京都の馬揃えも朝廷に対する牽制だったという説もあります。それに怒った天皇家側が光秀に指示して信長を殺させた、という説です。

 

〇キリスト教の宣教師たち

‥信長はキリスト教を保護し、布教活動も認めていました。一見すると信長とキリスト教宣教師たちの中は良好だったと言えるのですが、信長は自分が"神"になろうとした形跡があります。それは、後に徳川家康が自らを"東照大権現(とうしょうだいごんげん)"という神として日光に祀るように指示したのと似ています。イエスキリスト以外の神を認めないキリスト教の宣教師にとってそれは危険思想と思われたようです。

 

〇足利義昭

‥前述したように、足利義昭は信長によって京都を追放されましたが、粘り強く反信長活動を行っていました。元部下である光秀に信長の暗殺を働きかけたとしてもおかしくはありません。

 

他にも、徳川家康説なんかもあります。が、もし黒幕がいたとしても、光秀の敗北後、その証拠は"抹殺"されているでしょうから、現代で立証を行うのはなかなか難しいと思われます。

 

 

 

謀反を起こした理由

いわゆる、本能寺の変を起こした動機ですが、これもよく分かっていません。よく言われるのが、「他の家来の前で叱責された」「身内が殺された」「信長の傍若無人な振る舞いに我慢できなくなった」「信長から天下を奪うため」など、挙げたらキリがありません。

 

ってかwikipediaの本能寺の変のページに紹介してある光秀の動機の説が、56種類もあったんですけど(*'ω'*)

本能寺の変 - Wikipedia

 

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私も色々考えたんですけど、結局のところ『あれ?もしかして今この状況で信長はん襲撃したら天下取れるんちゃう?やったね!』説な気がするんですよね。

 

普通、大物を襲撃する際には、大物の敵対勢力に事前に根回しするもんなんですが、その形跡がなく、信長暗殺後のビジョンもほとんど持っておらず場当たり的に行動していたっぽいので、突発的な行動だったと思います。

 

 

みなさんも『麒麟がくる』を観よう!

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まあ、おそらく本能寺の変がドラマの山場だと思いますから、どのようにドラマで描くのか楽しみです。みなさんもぜひ『麒麟がくる』を観て、NHKさんから受信料をむしり取られましょう!

 

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