日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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『100日後に死ぬワニ』を読んで思い出した友人Mの話

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どっぷりと流行に乗った話題で申し訳ないのですが、イラストレーターであるきくちゆうき氏の漫画『100日後に死ぬワニ』が先日完結しました。彼のtwitter上で100日前の2019年12月から連載されていたのです。

 

twitter.com

 

『100日後に死ぬワニ』の内容は、主人公のワニをはじめとする周囲の人々(動物だけど)との何気ない日常を4コマ漫画として描いています。大きな特徴が、漫画の欄外で"死ぬまであと〇〇日"とカウントダウンされていっているという点です。ワニが〇〇日後に死ぬことは読み手である読者しか知りません。ワニ自身や周囲の人々は知る由もないのです。

 

そして、100日後を迎えた2020年3月20日、ある意味予定通りワニは死にました。 

 

読み手である読者は、ワニの死を知っていますので、『なんで死ぬのが分かっているのに漫画の内容はあまりに日常的なんだ?』と違和感を感じるかもしれません。伏線は多少あるものの、ワニが体調を崩したりとかいう死へのダイレクトな描写は存在しないのです。そして、察しの良い読者はこの違和感の正体に気付くのです。『死は日常に潜んでいる』『だから何気ない日常それ自体が特別なんだ』と‥。

 

 

 

 

この『100日後に死ぬワニ』を読んでいると、私は友人だったMを思い出しました。

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私とMは、高校で出会いました。3年生の時に同じクラスになって、体育会の役員を一緒にやったりと長い時間を一緒にいた友人でした。私とMは同じ地元の大学の教育学部を第一志望にしていました。私が社会科、Mは国語科でした。先生になりたいという気持ちは、恐らく私よりMの方が強かったのではないかとさえ思います。

 

結界的には、私は合格。Mは不合格でした。まあ、試験の出来具合から何となくMは察していたようで『明日から浪人生やね~(笑)』と笑っていました。

 

私が大学生活を過ごしている間、Mは予備校に通い必死に受験勉強をしていました。そして、1年後無事に志望校である私が通う大学の教育学部に合格したのです。

 

私が2年生に上がり、Mは1年生として入学してきました。歳は同じなのに『先輩、よろしくお願いします(笑)』とおどけながら。そして、楽器サークルに入り希望に満ちた新生活をスタートさせたのです。

 

ただ、いかんせん社会科と国語科では教棟が違いますし、私は私で授業&部活&バイトと今よりも忙しい生活をしていたので、入学後なかなか会う機会が無かったのです。『なかなか会わんね(笑)』とメールが来たのは、桜が散ってしまった頃の話です。

 

 

 

 

そんなMが首を吊って自殺したという知らせが舞い込んできたのは、Mが大学に入学して1ヶ月が過ぎた新緑の頃でした。それは、あまりにも突然すぎる知らせでした。Mは遺書も残さずに、何の前触れも無く、自らの人生を終わらせてしまったのです。

 

Mは当時流行っていたSNSであるmixiに、日常の様々なことを書き残していました。そこには、人間関係に悩む様子はこれっぽちもなく、楽しい新生活が綴られていました。Ⅿが死んだ理由はいまだに分かりません。考えられるとしたら、望んでいた学生生活が始まってその渦中に身を投じていると、どこかの瞬間で燃え尽きてしまったのではないか、と思っています。

 

『絶対に自殺はしてはいけない』と何となくぼんやりと思っていた私でしたが、それを強く認識させたのは、Ⅿの葬式に参列し、Mのご両親の姿を見た時でした。

 

子が親より早く死ぬ、なんて決してあってはなりません。これがまだ病死ならば、残される家族も覚悟が出来ていると思います。しかし、突如として20年間育ててきた子供が死を選ぶなんて、そんな覚悟が出来ている親なんていません。Ⅿのご両親の憔悴しきっている姿を見て、両親をそんな目に合わせるMに憤りを感じたのも事実です。

 

ただ、ここからは勿論推測の域を出ないのですが、Ⅿ自身も自分が死を選ぶとは、直前まで思ってもいなかったのではないかと考えたりするのです。自殺する予定の人が、受験勉強を乗り切れるわけがありませんから。苦しかった受験勉強を乗り越え、合格を勝ち取り、新しい新生活が始まったタイミングで、"ぼんやりとした憂鬱感"が襲ってきたのではないか、まるで電気のスイッチを切るように、ふぅっと人生という名のスイッチを切ってしまいたい衝動に駆られたのではないか、色々考えてみるものの、答えは出ません。

 

ただ、仮に推測が正しければ、Ⅿとワニは状況が似ています。Ⅿもワニもありふれた日常生活を送っていて、まさか自分が死ぬなんて夢にも思っていなかったでしょう(少なくともワニはそうだと思う)。ただ、「」というのは、日常に潜んでいて、ふとしたはずみに襲って来て、人の人生をまるでスイッチを切るように奪っていくのです。

 

『100日後に死ぬワニ』の作者であるきくちゆうき氏は、作品について次のように語っています。

 

見ている人が終わりを意識してくれるようにしたかった。僕らもいずれ死んでしまうが、それを考えながら生活すると、今やるべきこととか、これは今やるべきことじゃないなとかが見えてくるのではないかなと思った

 

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当ブログ『日常にツベルクリン注射を‥』のタイトルにも、「日常」ってワードを入れています。"平凡な日常に刺激ある注射のようなブログを‥‴みたいなコンセプトがあるのですが、よくよく考えてみると"平凡な日常"など存在しないのです。日常そのものは、特別な瞬間の積み重ねで成り立っているのですから。

 

不謹慎な表現ですが、もしかしたらすでに100日後のカウントダウンが始まっている人もいるかもしれません。日本国内だけで見ても、毎日3280人が亡くなっていると統計上の数字として出されています(厚生労働省:日本の1日より)。カウントダウンが残り32日の人もいれば、2日の人もいるはずです。そして、そのうちの何割かは自分の死など気にもせず、日々を過ごしているのです。Ⅿだって、大学に入学した時にはすでに、カウントダウンが始まっていたのです。

 

でも、決してMのように自ら100日後を決めてはいけないのです。死ぬことは生まれた瞬間から決まっていることですが、自殺によって決まっていることを具現化してはいけないのです。

 

私たちが出来ることは日々を懸命に丁寧に生きることです。もちろん、『100日後に死ぬワニ』に出てくるワニのように、特に意味のない緩い日常を送ることもあるでしょうが、それもかけがえのない時間なのです。

 

私たちの頭上には、目には見えませんが神様だけが知っている「死ぬまであと〇〇日」というカウントダウンが表示されているのです。それは、100日かもしれないし1万日かもしれません。ただ、そう考えてみると、少しだけ日々を丁寧に過ごしてみたいとは思いませんか?

 

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