日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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100年前の日本人はどんな悩みを抱えていたのか調べました

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現代人を取り巻く環境は複雑化してきており、その結果現代人は多くの悩みを抱えていますよね。 でも、現代人だけじゃなく昔の人たちだって悩み事を抱えながら生きていたはずなのです。

 

人々の悩みが集まる場所、現代ではSNSを始めとするネットでしょうけど、昔は新聞の投書欄でした。新聞に読者からの投書欄が初めて設置されたのは1914年(大正3年)のこと、読売新聞紙上に登場した「身の上相談」がその最初と言われています。新聞の読者から寄せられた相談事に、新聞記者が交代で答えていくというスタイルをとっていました。

 

当ブログでは、以前、読売新聞の「身の上相談」に寄せられた相談の中でも"結婚"にテーマを絞って紹介したことがあります。

100年前の人々の結婚に対する悩みに耳を傾ける記事【新聞の投書欄を読む】 - 日常にツベルクリン注射を‥

 

今回は、以前の記事の改訂版として、テーマを絞らずに私が選りすぐった相談事をご紹介していきます。時代的には大正時代、今から100年以上昔の悩みに耳を傾けていきたいと思います。

 

そこには、今では考えられないような相談事や悩みもあれば、現代人でも共感できるような悩みも寄せられています。100年経って、大きく変わった価値観もあれば、『何なら今と同じじゃん!』と思わず口にしてしまうような悩みもあるかもしれません。

 

100年前の日本にタイムスリップして、当時の人々の声に耳を傾けてみましょう。

 

 

 

100年前の文章をそのまま引用すると多少読みにくいので、私が現代語訳し、掲載しています。投書欄が掲載された日付を出典に明示していますので、気になる方はご自身で調べてくださいね(∩´∀`)

100年前の文章をそのまま現代語訳しているので、多少差別的な表現と受け取られる描写があるかもしれません。現代とは価値観が違う時代の話ですので、あらかじめご了承ください。

記事の構成は、「読者の投稿」「新聞記者の回答」を記した後、私の解説や感想を付け加えてご紹介していきます。

 

 

<目次>

 

 

 

 

 

 

キスをされて汚れてしまった私‥

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投稿:私は許嫁(いいなずけ)のある者ですが、以前ある他の男子に接吻されたことがあります。世間の事情に疎い私は、ただ熱烈な愛の表現だと、深くは考えませんでした。実は、その方から結婚も申し込まれましたが私の父母が許さず、その方は「あなたの身を汚したのだから、どうしても結婚してください」と申しておりました。果たして接吻は(中略)身も汚すも同様でしょうか?もしそうなら、こんな汚れた身をもって純潔な許嫁の夫と結婚する資格は無いと思います。それゆえ、一生独身で過ごそうと思いますがいかがなものでしょうか?それとも、もしさほど深い意味の無いものであるなら、許嫁に話し罪を詫びたらいいでしょうか?

 

回答:あなたが心を許して接吻したのではない以上、決して身を汚したとは言えません。その男があなたの身を汚したと言ったのは、あなたをもらいたかった言いがかりに過ぎず、許嫁の方に話して詫びるだけの価値のある話ではありません。しかし、どうしても気になるのであれば、笑い話として打ち明けてもいいでしょう。ただ、そういうことで思い悩むあなたをありがたく思います。どうぞ、その清い乙女心を一生失わないように‥。(1914年9月18日付け)

 

 

 

コメント:キスされたくらいで『汚された‥』って乙女すぎるわ。ベッキーも見習って欲しいわ(*'ω'*)。時代背景を説明しておくと、今でこそ人前でもキスするカップルがいますが、戦前はキス=下劣なもの、卑猥なもの、と考えられており、普通のカップルがキス(この時代だと接吻)することは無かったようです。

 

邦画で初めてキスシーンが登場したのも1946年の『はたちの青春』まで待たねばなりません。そういう価値観を考えると、キスされた=処女を奪われた、くらいの衝撃が当時はあったのかもしれませんね。

 

 

 

 

太り過ぎて人前に出るのが恥ずかしい‥

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投稿:私は21歳の女性です。この頃、あまりにも肥満し過ぎてきましたので実に赤面の至りだと思います。自然と人前に出るにも嫌になってまいりました。そして、自分の容姿の醜いのを昼夜悲しみ通しております。これまではよくかけっこなどをしておりましたが太ったためでしょうか、思うように走れないのです。しかし、身体には別に異常もございません。よく"やせる薬"の広告が出ていますが、あれは果たしていかがなものでございましょうか?

 

回答:お若いご婦人で「肥満して困る」という嘆きをずいぶんと伺います。(中略)お若いご婦人がお太りになるのは、ある程度までは生理上自然な現象で、肥満症でもなんでもないのですし、あなたぐらいのお年頃は、時期としてお太りになってもよろしいのです。太り過ぎとおっしゃるのは、あなた自身で誇張して考えていらっしゃるのではないですか?第三者から申しますと、痩せたご婦人よりは、お太りになっている方のほうがずっと立派に見えるものです。痩せる薬だの痩せる方法だのと余計な気苦労をなさらなくてもよろしかろうと思います。(中略)人は容姿よりも心の美しいのがよいのです。醜いなどと悲観するものではありません。(1917年5月13日付け)

 

 

 

コメント:いつの時代も女性はスタイルを気にするものです。そして、それにつけこむように「痩せる薬」とか得体の知れない薬が登場してくる流れも、いつの時代も同じのようです。 もちろん、過度に痩せることは身体に負担がかかるので絶対に止めたほうがいいですが、「思うように走れない‥」レベルならダイエットを考えたほうがいいかもです。

 

 

 

死ぬのが怖い‥

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投稿:私は田舎の少女です。私はどうしても安心な生涯を求めることが出来ません。毎日毎日、人は死んだらどうなるだろうかと、そんなことを考えて不安な日を送り悶え苦しんでいます。どうか哀れな私によい方法を‥。(1915年7月7日付け)

 

回答:お庭の片隅に何でもいいから一粒の種をまいて、親切にお世話してごらんなさい。朽ちたような種子から可愛らしい双葉が出て、やがて成長して花や実をつけるとき、きっとあなたの心にも希望の光が輝きましょう。日々のあなたの生活も、ちょうど種まきのようなものと考えれば、死という悲しいものにも光明が見えて、安心な生涯を送っていく事ができるでしょう。

 

 

 

コメント:確かに、夜寝る前に「死んだら私はどうなるのだろう‥」と漠然とした不安に襲われて夜10時くらいにしか寝付けないことはよくあります。でも、相談者様、安心してください。令和の現在、きっと相談者様はもう‥(*'ω'*)

 

 

 

 

やる気が出ない

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投稿:私は18歳の女です。昨年女学校を卒業し、燃えるような希望と固い決心を持って上京し、某学校に入学しました。ところが、4月頃から何をするのもイヤでことに授業に出たりするのがたまらなく面倒くさく、そのくせ何をするでもなく、学校も気になりながらブラブラ尊い時間を費やしています。そして、ついには悲しくなって、こんな生きがいのない生活をするのならいっそのこと死んでしまいたいと思います。これはいったいどうしたというのでしょう?どうぞ教えてくださいませ(1916年9月21日付け)

 

回答:女の人がただの娘から一人前の「女」になる頃によくそういうことがあるものです。ですから、むやみに気にかけたり悲しがったりするには及びませんが、同時にこのような時期は婦人の身にとって最も大きな危機でもあります。なるべく挑発的で俗悪な小説や感傷的で低級な物語を避けて、古今賢婦人の伝記とか、その他難しくない修養書などを愛読するようになさるのがよろしい。ことに、若い女の人に戒めねばならないのは、異性に対する緩んだ心の持ちようです。ぐっと心を引き締めて、自分の道を確かな足踏みで進んでいけるように、その身を慎み、修めるようにしましょう。

 

 

 

コメント:この時代、女性が大学に進学するということは可能性としてほとんど考えられないので、恐らくこの女性が進学したのは師範学校(教員養成学校のようなもの)ではないかと思います。文章から読み取ると、たぶんこの女性は"五月病"です。五月病は100年前の人も罹っていたんですね~。 

 

 

 

恋と友情、どちらが大事?

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投稿:2つ年上の親友Tさんと私は、姉妹の契りを結んでいる仲です。そのTさんがこの頃ふさいでいるので気がかりでならず、尋ねてみたところ、Tさんは涙ながらにこの私に打ち明けてくださいました。それを聞いた私は、何とも言いようのない悲しい思いでした。私は彼女に何でも打ち明けていましたが、ただ1つ、話さずにいたことがあったのです。それは、私の家に来るKさんのことでした。そして、Tさんが打ち明けたのもKさんのことでした。Tさんの頼みですから、私はどうしてもKさんを諦めねばと思いました。しかし、Kさんの優しい言葉などを思い浮かべると、どうしてよいのか分かりません。Tさんと仲良くしていくためには、私が諦めねばならないのでしょうか。私はどうしてもTさんと縁切りすることは出来ません。ですが、Kさんのことも思い切れません。私のとるべき道をお教えください。(1919年1月28日付)

 

回答:あなたが理想的な立派な女となるためには、自身を犠牲にして親友の思いを達してやることです。それには非常に悲しみが伴いますが、あなたはそれによって心を修練することができ、ダイヤモンドのような光を発することでしょう。苦しみは十分にご同情いたします。

 

 

 

コメント:はい、三角関係です。平安時代の『源氏物語』の時代から男女間の三角関係は存在していたみたいですし、たかが100年前ならあちこちで三角関係に思い悩む男女が存在したことでしょう。ってか、勝手に「私が諦める」とか「相手に譲る」みたいな話になってますが、肝心の男性の気持ちは誰も考慮してないんですね(*'ω'*)

 

 

 

結婚に希望が見えない‥

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投稿:私は19歳です。私の友人に不幸な結婚をして嘆いている者があり、私の従兄もまた家庭内の不和から味気なき日々を送っております。それらを見るにつけ、私は看護婦となって一生独身で送りたいと思っております。どうか私の望みを遂げる道を教えてくださいませ。(1914年8月31日付)

 

回答:独身で送る決心はともかく、看護婦になられることは差し支えないでしょう。どなたかこの方を雇ってあげてください。

 

 

 

コメント:100年前だと結婚はほぼ親が決めた「見合い結婚」がほとんどだったでしょう。ろくに知りもしない相手と結婚していた時代でしょうから、そんな結婚に不安を抱く人がいても不思議ではありません。一方、令和の現在は多くが恋愛結婚でしょうから、さぞ結婚に対する不安が解消されたかと思いきや、案外そうなっていない気が‥(∩´∀`) 

 

 

 

女子だけどパイロットになりたい

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投稿:私は17歳の少女です。小学校を卒業しただけで(当時は小学6年間のみ義務教育)今はある会社に勤めておりますが、私は飛行士(パイロット)になりたくて仕方ありません。お母さんにも願ってみましたが、笑って取り上げてくださいません。学資の出所も無いから諦めろと言われます。けれども、私はどうしても断ち切れません。いっそ、無断で家を出て東京へ行き、どこかで奉公しながら、勉強して自分の思いを遂げたいと思います。この先どうしたらよいでしょうか。どうぞ教えてください。(1922年9月28日付け)

 

回答:(前略)家出など絶対にいけません。男でも女でも都会で食っていくということは大事業なのです。よく、地方から上京してくる若い男女がありますが、もしどん底に落ちていない者がいれば、それはよほどの例外でしょう。「出世物語」などたいがいは過去の話か空想です。今の時代、そんなうまい話はまずどこにも転がっていません。くだらない考えに毒されないように。くれぐれもご注意ください。

 

 

 

コメント:ライト兄弟によって飛行機が発明されたのが1903年、その19年後の時点で、しかも女性で"パイロットになりたい"という願望を抱く少女がいたとは驚きです。実はこの1922年という年、兵頭靖という女性が日本人女性初の飛行機操縦士免許を取得した年なのです。新聞等で大きく取り上げられたので、それに触発されてのことかもしれません。

 

 

 

ミカンをめっちゃ食う夫

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投稿:私の夫は28歳で、ある専門学校を卒業して今は外国商館の輸出係長を務めております。毎朝、飯が不味いと言って食べません。ただ、牛乳を1合飲んで出ていきます。午後4時半頃に帰宅して、夕食を済ませるとミカンを1度に20個くらい食べます。甘いものは食べませんが、何か衛生上悪いことはないでしょうか?(1915年1月31日付け)

 

回答:そうそうミカンばかり食べては身体のためになりません。それゆえ、ミカンの他にリンゴなどを食べるようにお勧めなさい。朝飯は食べなくとも、牛乳1合飲めば差し支えありません。

 

 

 

コメント:まぁ、「リンゴが赤くなると医者が青くなる」って言いますしね。そして、答えは出てるような気がします。「飯が不味い」って夫は言ってるしね。もちろん、『だったら夫が自分で作れよ!』って批判も出来るんですけど、「男子厨房に入らず」が当たり前だった100年前ですからね、価値観が全く違う事を認識することも必要でしょう。ってか、仕事から4時半帰宅って羨ましいな、おい(๑・̑◡・̑๑)

 

 

 

消毒しまくる妻

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投稿:私の妻は25歳になります。6年前私と結婚し、今では二児の母です。一昨年ほどから、ふとしたことで皮膚病や禿頭病などを非常に恐ろしがるようになりました。’(中略)日に何度となく衣類や物品に色々な消毒剤をふりかけますので、破損したりシミが出来たりしています。ひどい時には、楓や松の鉢植えにまで消毒液をかけますので、ついには枯れてしまいました。不経済なのはともかく、そのために家庭不和を引き起こすのでたまったものではありません。私の実母は70歳の老齢ながら、ついにはいたたまれなくなって北越の故郷に帰りました。2人の子供は頭から薬を浴びせられて、泣き叫び、目も当てられぬ惨状を演じます。また、親類や友人が遠ざかるようになりました。(中略)仕方がないから、毎日毎日「そんなに恐ろしい物ではない」と説諭して聞かせていますが、いっこうに効き目がありません。おかげで何の仕事もいたしません。ただ、手を洗うこと、器具や室内の消毒にのみ熱中していて、一切の家事を放棄していますので、子供たちが炊事をしています。このままだと離縁するほかはなくなってしまいます。妻のこんな性格は治らないものでしょうか?(1918年6月5日)

 

回答:病気が恐れるに足らないことを力説するよりも、これを異常に恐れる奥様の非常に弱い精神を、生理的ならびに心理的に均衡がとれるよう、療法を施されたらどうでしょうか?「そんなに恐ろしい病気ではない」と言っても、奥様は怖いのだから仕方ありません。ただ、そこに誇張があり、異常があるのが問題なのでしょう。離縁の何の言わずに、出来るなら異常な神経を鎮める機会を与えるようにしてみたらどんなものでしょうか?

 

 

 

コメント:コロナ禍の現在、なんとまあタイムリーな相談ですわね。おそらくこの奥様は過度の潔癖症なのでしょう。潔癖症と言うかヒステリックというか‥。この奥様が100年後のコロナ禍の現代にタイムスリップしたらどうなるんでしょうね?(´∀`)

 

 

 

子宝に恵まれない夫婦

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投稿:私どもは結婚してから10年にもなりますが、まだ子供がありません。けれども医者からも万が一でなければできる望みはない、と言われておりますので、私自身は子を産むことが出来ない者として諦めているのです。しかし、丈夫な身体を持っている夫の身になれば、どんなに残念なことだろうと思われます。世間には、私どものような夫婦もたくさんあるようでございます。しかし、それは寂しさから逃れるために、別れることの出来ぬ人たちではないでしょうか。私どもはそうまでして結ばれていなければならない、とは思わないのです。夫はまだ35歳にもならないのですから、これから新しい家庭を作ることができるだろうと思います。また、私としましても、弱い身体で主婦の務めを不完全に尽くすよりも、他にもっと適当な仕事があるのでは、と思います。ただ、1つの気がかりは、離婚によって夫の名誉を傷つけるようなことがあるかどうかでございます。(1917年3月16日付け)

 

回答:子供が産めない身体だからと、離婚してもらったほうが良くはないかというあなたの考え方はどうかと思います。結婚生活の自然の成り行きとして子供は生まれるのです。結果から見れば、結婚は子供を産む理由のように見えますが、これは偏った見方で、そうとばかりは言えないでしょう。あなたの考えはご自分ばかりを主としたものだと思われます。あなたの今すべきことは、第一にご主人に打ち明けて相談なさることです。(中略)第三者から見ますと。結婚は子供を産む理由ではないので、子供がいないということは天命と諦め、そのために感じる心の欠陥は他の方法で補うべきだと考えます。

 

 

コメント:令和の現在ですら、「早く孫の顔を見たい」とか「お子さまはまだ?」なんていう、言葉を投げかけられる状況があるのに、100年前だと「結婚した女性は子供を産んで当たり前」「子供が産めないなんて役立たず」という考えが当たり前に存在していたことでしょう。

 

そして、この当時だと「子供を産める身体じゃないから離婚したい」と妻側が考えざるを得ない世相があったことがうかがえます。まあ、この夫は子供を産めない妻だからと言って離縁状を突きつけるような人物ではないような気がしますけどね。

 

 

 

女子にも男子と同じ教育を受けさせたい

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投稿:私は女学校に入ったばかりの娘がいる父です。将来はぜひ一芸で身を立てて、経済的に独立できる者にしてやりたいと思っております。娘は幸い学校の成績は良好ゆえ、将来、好む学科を専門に研究させたく思います。他の女子たちがお琴だお茶だと言っている間にも、英語のひとつもよけいに覚えさせたい。それゆえ、家事の手伝いもあまりさせる気にはなりません。自然と男の子並みに育てるようになり、私はそれでもかまわぬと思いますが、非難する人もいます。非難する人は、「そのように教育すれば24、5まで結婚出来ず、またそれはよいとしても、苦心して修めた学問とて結婚後どれだけ利益があるのか、むしろ女らしく育ててきれいにしてお嫁にやったほうが良い」と言うのです。それが幸せかもしれませんが、私にはどうしてもそうは出来ないのです。(1915年4月14日付け)

 

回答:お考えには至極賛成です。今時の親たちが皆あなたのようなお考えを持っていたら、娘たちが将来どんなに幸福かしれません。結婚後も、離縁になったり夫に先立たれたりして、いつ何時、独立せねばならぬかもしれません。これからの婦人は一芸を修めた者でなければ良妻賢母にはなれぬと思います。

 

 

コメント:100年前の日本にここまで進歩的な父親が存在したとは驚きです。「女子に学問など要らぬ。花嫁修業をさせて良き家に嫁ぐのが女の幸せだ」って疑うことなく思っていた父親がほとんどだったからでしょうから。そして、記者さん(性別は分かりませんけど)が、この進歩的な考えに賛同していることも立派です。もっとも、「離婚した後の生活のために一芸を‥」と、結婚することが前提なのが当時の価値観の限界かもしれません。「結婚だけが女の幸せじゃない!」と考えるのは、平成時代以降でしょうね。

 

 

 

出産後に職場を解雇された同僚

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投稿:私は今年の4月から7月まである会社に女事務員として勤めていた者です。同じ仕事をやっていた方で、私の就職前からお産のために休んでいた方がおられました。その方は2か月ほどお休みになると、生後18日のお子さんをよそに預けて出社されました。ところが事務長は、あまりにも長いこと欠勤したというのを理由に、その方をそっけもなく解雇してしまいました。(中略)出産のお休み中も色々と手紙で事務長にお頼みになっていたそうですが、いっこうに役に立たなかったということです。それから間もなく、その方を復職させてくださるようお願いして私が辞職しました。そんなにしてまで身を引く者はいないと言われましたが、いったん口を切ったものですから、断然辞職しました。しかし、私の真心が足りなかったものか、その方はついに復職することが出来ませんでした。これは他人事ではありません。私だってこの先々、妊娠の身を無理に運んで働かなくてはいけない場合もあると思います。こんな事件についてどういう考えを持っていったらよいでしょうか?(1917年8月14日付け)

 

回答:事務長たる人がもう少し情を重んじ、また男子と違ってお産の大役を背負っている女性としてこの女事務員を扱っていれば良かったのですが、さりとて、2か月に渡って欠勤しなければならないようでは、仕事の忙しい会社ではそうそう情を重んじてばかりもいられない場合もあるかもしれません。(中略)この問題はいわゆる婦人と職業の問題を考える人にとっては見逃すことの出来ない好材料でしょう。今日のように生活の厳しい世の中で、職業婦人としては、そんな悲劇に遭っても自らを損なわないだけの雄々しい決心があって欲しいと思います。

 

 

 

コメント:100年前だと、そもそも女性の多くは実家で花嫁修業をして他家へ嫁いでいたことでしょう。会社で働くにしても結婚する時点でほぼ強制的に"寿退社"させられていたと思われます。産休、という概念がそもそも存在していないのです。

 

相談者の同僚は、2か月しか休んでいないということは、8か月目まで働いてその後産後18日後に出社してきたようです。今考えるとあり得ないんですけど(現在の法律では産後8週間を経過しない女性を就業させることが禁止されています)、例え2か月ちょっとでも、職場から離れられたら(それが出産のためとは言え)、上司的にはもう不要な人材ということになるんでしょうね。

 

当時は、工場法という今で言う労働基準法のような法律が存在していました。しかし、5週間の産後休は認められていましたが、産前の休暇は法律で言及されていませんでした。結婚後も働き続ける女性の存在が想定されていなかった時代だったのです。回答者である新聞記者も、多少の同情を寄せる一方、2か月も休めば仕方ないという認識のようです。これは、やはり時代を感じます。

 

 

 

キラキラネームを改名したい

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投稿:私はある官職についている者です。名が変なので、名を見るたびに人々は妙な顔つきをします。私も気が引けて仕方ありません。何とか改名したいと思いますが、同姓同名の者もいないので困っています。何とか改名が叶う方法はないでしょうか?(1915年8月9日)

 

回答:どんな妙な名前でも、あなたに立派な人格さえあれば憂えるに足らぬとは思います。妙な名前の方が、類がなくてかえって良いではありませんか。

 

 

 

コメント:最近では「光宙(ピカチュウ)」とか「黄熊(ぷう)」みたいな、『あっ‥(察し)』となってしまう独創的な名前(キラキラネーム)が話題ですけど、キラキラネームを付ける親の存在は今に始まったことではないようです。相談者の名前については言及が無いですが、100年前も変な名前を付ける親がいたようです。『最近の親ときたら‥』ってセリフ、たぶん100年前も言われてたセリフかもしれませんよ。

 

 

 

終わりに…

江戸時代~明治時代までは、親の職業をそのまま継ぎ、親の決めた相手と結婚し、といった感じで自らが人生を決めていくというより親の敷いたレールを走っていく人生を歩む人が多かったと思います。その流れが変わり始めたのが大正時代です。民主主義や個人主義の考えが少しづつ世間に浸透していき、人々が多少の自由を獲得していった時代であると言えます。

 

自由を手に入れるということは、人生を歩んでいく上で選択の場面が増えることを意味しています。職業を選んだり、自由恋愛で結婚相手を探したりと選択肢が誕生することで、それまでの時代では無かったような人々が思い悩む場面が増えていったのです。読売新聞の「身の上相談」は、そんな新しい時代において悩める日本人に手を差し伸べるような存在だったのでしょう。

 

 

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