皆さんは「伝単(でんたん)」という言葉を聞いたことがありますか?伝単とは、戦時下において敵の戦意を低下させたり降伏を促すためにばらまかれる宣伝チラシのことです。
飛行機が本格的に戦場に導入された第一次大戦以降に数多く用いられ始め、第二次大戦時には各国が競うように伝単を印刷し敵に向かってばらまかれました。
伝単については漫画家手塚治虫も自身の作品において触れています。
出典:手塚治虫著『やまなし」原画より
伝単を調べてみると各国の特徴が鮮明に浮かび上がってきます。今回は特に太平洋戦争下において日本とアメリカが製作した伝単をご紹介していきたいと思います。
後述しますが、アメリカ製作の伝単は確実な情報を載せた真面目路線であるのに対し、日本製作のそれはプロの漫画家を多く動員して描かせたバラエティに富んだおふざけ路線の傾向が見られます。
敵の戦意を喪失させるという目的は同じなのに、国によって伝単の特色は全く違うものとなっています。それらをくらべるのことは非常に興味深いことです。ではご覧ください。
※冒頭の伝単‥右側はアメリカ大統領ルーズベルト。ルーズベルトが持つ棒の先にはアメリカ兵。棒の先に吊るされたアメリカ兵は、攻撃をモロに受けています。結局のところ、ルーズベルトの立場を守るためにアメリカ兵は前線に駆り出されてるんだぞ、と揶揄している日本軍製作の伝単。
<目次>
日本軍が製作した伝単
『君は必要とされている!』
"どうしてあなたは私を置き去りにしたの?寂しくて耐えられない。この沈黙、この溢れ出る、満たされぬ情熱‥。どうして私1人が苦しまなければいけないの?なぜ帰って来てくれないの?なぜ?"
これから日本軍が対連合国軍(アメリカ、イギリスなど)向けに作った伝単をご紹介していきます。日本軍の伝単の特徴として、祖国に残してきた恋人や奥さんに対する感情を揺り動かして戦意を喪失させようとする狙いが見受けられます。
日本軍が製作した伝単の特徴として、描かれている絵そのものが風刺が効いていて、漫画としてはクオリティの高い(ただしエロ要素も強い)伝単が多い傾向が見られます。
『お願いだから帰ってきて!死なないで!お互いに必要な存在なのよ‥』と呼びかける女性。このあたりまではまだ真面目な恋愛感情路線です。
過去:彼女との口づけも自由に楽しめた
現在:同じく口なのにサメの口とは‥
サメと口づけを交わすなんて、サメだけにシャークに障ります(∩´∀`)
キスをする恋人同士。この伝単には仕掛けがあって、真ん中から開けるようになっています。開いてみると、
『もし君たちが抵抗を続ければ、美しい満月の下で死ぬことになるだろう』
祖国に残した恋人や妻が恋しければ、速やかに投降せよ!と兵士の心を揺さぶってきているのです。
『私のように健康で一人前になった女性が、あなたの退屈な手紙ばかりで、満足できるわけないじゃない。あくびが出ちゃうわ‥』と、戦地から帰ってこない男性のことを揶揄しています。「帰って来ないのなら浮気するわよ」ってことです。このあたりから段々Googleポリシー的に雲行きが怪しくなってきます。
そして祖国に残された女性は自由に生き始めます。
『(戦場から帰ってこない男性に対して)私は自由よ!激しくキスをして!もっと人生を楽しみましょ♬』
ついに浮気相手とイチャつき始めました。
こちらも見開き仕掛けがある伝単。早く祖国へ帰らないと恋人や妻を寝取られるぞ!って煽っているのです。
こちらも、"寝取られるぞ"系伝単。日本軍は結構エロ伝単がお好きなようです。ただ、天皇陛下の軍隊(皇軍)と自称していた軍隊がこんなアウトローなチラシをまき散らしちゃって大丈夫だったんですかね。皇軍ポリシーに引っかかりそうですけど。
日本軍が進出したアジア地域において、現地住民に対しばらまいた伝単も存在しています。
日本軍が太平洋戦争勃発初期に進出したマレー半島(マレーシア)にて日本軍がばらまいた伝単。右側の白人はイギリス兵。『イギリスのために働いてもこんな酷い目に遭うぞ!』って言いたげです。
お次はインドでばらまいた伝単。
インドは太平洋戦争時、イギリスの支配下にありました。像がイギリス人を持ち上げる様子を描き、『今こそ立ち上がるべきだ!』とインド人に訴えているのです。
これら日本軍の伝単は、現役のプロ漫画家を動員して描かせたものです。内容はともかく、漫画として見ると非常に面白味を感じます。
アメリカ軍が製作した伝単
戦争初期に日本が占領した太平洋の島々も今やアメリカ軍の手に落ちた。沖縄も含めて。次は日本本土だ!と威圧してきています。
アメリカ軍の伝単の特徴としては、内容が真面目でかつ情報が正しく、冷静さを持っている点にあります。日本側は若干おふざけが入っているのに対し、アメリカ側は本当に真面目なのです。まあ、冷静に情報を提供してくる方が伝単としての役目を果たしそうではありますが‥。
日本とアメリカのアラスカ州の間にアリューシャン列島があります。その中のキスカ島という島を日本軍が占領してました。1943年、キスカ島をアメリカ軍が攻めた際に島に立てこもる日本軍向けにばらまいた伝単です。
『日本本土からは3600キロも離れている。そんな遠くからじゃ援軍も来ないだろう』という状況を鑑みて"お気の毒様"と揶揄しているのでしょう。もっとも、日本軍はアメリカ軍の隙をついて全軍撤退に成功しています。日本が撤退したとも知らず、島へ総攻撃をしかけ、戦力を浪費してしまったアメリカ軍こそ"お気の毒様"です。
右手はアメリカ側(軍人マッカーサー)、左手は日本側(山下奉文大将)。将棋のルールが分かる人ならお分かりだと思いますが、日本側は「詰んで」ます。すなわち、勝利はアメリカ軍の手にある、ということを言いたいのです。
「桐一葉(きりひとは)」は慣用句の1つです。桐の葉が落ちるのを見て秋を感じること、そこから衰亡の兆しを感じることを言います。日本軍もその兆しが見えてるぞと暗示しています。
出典:【日本人の心 楠木正成を読み解く】第1章 時代を駆け抜けた5年間(7)湊川前夜…今も心揺さぶる「桜井の別れ」 - 産経ニュース
『日本の兵士諸君。もし楠木正成が今日生きていたならば、諸君に向かって次のように教えただろう。「汝(お前)は無用の戦闘に犬死するのは、国家のために将来の責任を逃れようとする卑劣な行為である』
楠木正成(くすのきまさしげ)とは、鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した武将です。天皇側の味方で戦い続け戦死しました。最後まで天皇(当時は後醍醐天皇)に従い続けた立派な人物だということで、戦前は教育現場で必ず教えられていた人物です。
ちなみに、伝単に描かれている情景は、楠木正成が最後の戦いに赴く前に息子を故郷に返した場面、いわゆる「桜井の別れ」のシーンです。息子には"生きて今後も天皇の手助けをしろ!"と諭したとされています。この桜井の別れも当時の日本人なら誰もが知っていたエピソードです。『楠木正成が息子に諭したように、生きて国の将来に役立てよ!』ってことです。
将棋と言い桐の葉といい楠木正成といい、当時のアメリカ軍は日本の文化をかなり深い部分まで研究していたことが分かります。
寿司の絵を載せただけの伝単。戦争末期になると日本軍は食料の補給もままならず、常に飢えに苦しんでいた兵士にとって、かなり心を揺さぶられる伝単だったのではないでしょうか?
こちらは沖縄戦(1945年4月~6月)においてばらまかれた伝単。
戦後の再建のために兵器を置いて降参し生き残れと訴えています。
当時の日本軍の兵隊に対しては上層部より「生きて虜囚の辱めを受けず」という訓示がされていたようです。「生きて捕虜になるくらいなら死ね」と言ってるようなものです。また、捕虜になってもアメリカ兵に惨殺されるという風潮が蔓延ってもいました。
捕虜になる抵抗を減らすため、アメリカ軍は捕虜になった日本兵の様子を写真付き伝単としてばらまきました。
なお、捕虜になったことがバレると残された家族が酷い目に遭う可能性があるので目隠し加工して印刷されてあります。アメリカ軍の配慮が見えます。もちろん、ヤラセの部分もあるでしょうけど。
伝単の多くは裏側に「安全通行証」などと書かれており、伝単を拾った兵士が投降する際の段取りなどが記載されていました。これも敵兵が投降しやすくするためのものでした。まあ、戦時下ですからこの伝単を持って投降した者全員が手厚い保護を受けられたかどうかは分かりませんが‥。
伝単をばらまく対象は兵隊だけでなく一般市民にも及びました。アメリカ軍による日本本土空襲が本格的になってくると、爆弾と一緒に伝単をバラまくようになりました。庶民のレベルからも戦意の低下を狙ったのでしょう。
上の伝単は空襲予告伝単です。日本の様々な都市でばらまかれ、その後実際に予告した都市への空襲を行いました。そのことで伝単の信用性を高め、庶民の戦意喪失を狙ったのです。
「爆弾には目も心も無いからどこに落ちるか分からない。日本が戦争を続ける限りは爆弾は落とされ続けるのです」とあります。
なお、伝単の情報に惑わされないように、一般市民に対しては伝単は読まずに警察に届けよとの命令が出されていました。伝単を持っているとスパイ扱いされたので、ほとんどの市民は伝単をバラまかれても無視するか破り捨てたと考えられます。
せっかくばらまいても拾ってくれないと意味がありません。ですからアメリカ軍は伝単に日本のお札を印刷することにしました。
お金っぽい伝単なら拾うだろうと踏んだのです。
個人的に好きな伝単
こちらの伝単は第二次世界大戦時に連合国軍側がヒトラー率いるナチスドイツに対してばらまいた物です。一見すると4匹の豚が描かれているだけです。真ん中には『5匹目の豚を見つけろ』と書いています。
折り曲げていくと‥
ヒトラーの顔になりました。5匹目の豚はヒトラーって言いたいんですね。
終わりに…
伝単というアナログな方法は、平成に入っても例えば1991年に起こった湾岸戦争においても実戦に投入されています。もっとも、現代ではチラシをばらまくより、SNSを使用した情報合戦に移行しているようです。
ただ言えるのは、伝単だろうがSNSだろうが、情報を意図的に流し相手を感情を揺さぶることは一定の戦果を挙げることが出来るということです。これは決して戦時中だけの話ではなく、平時においても情報に接する機会が多いほどそれだけ揺さぶられる機会が多いことを意味します。情報を精査していく意識は、戦時中も平時も備えておかなければいけないのかもしれませんね。
戦場に舞ったビラ 伝単で読み直す太平洋戦争【電子書籍】[ 一ノ瀬俊也 ]