日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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添乗員(登山ツアー経験者)の視点からトムラウシ山遭難事件を分析する記事

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みなさんは2009年に発生した「トムラウシ山遭難事件」を覚えてらっしゃいますでしょうか?2009年7月16日、登山ツアーで北海道のトムラウシ山(標高2141m)を訪れていたツアー客が低体温症に襲われ、ガイド1名を含むツアー客8名が死亡した事件のことです。登山ツアーとしては、現代山岳遭難史上まれにみる大惨事となってしまいました。

 

私は添乗員として登山ツアーにも同行した経験があります。山岳ガイドの視点からこの遭難事件が多く検証されてきました。ガイドの視点と被る部分も多いとは思いますが、この事件を添乗員の視点からも検証してみたいと思い、記事を書き上げました。

 

 

今記事では、事件についてその経過を詳しく辿っていきながら、添乗員の視点からこの事件についてその問題点などを指摘していきたいと思います。

 

 

<目次>

 

 

 

 

ツアー客の顔ぶれ

このツアーは株式会社アミューズトラベルが企画、主催した募集型の登山ツアーでした。ガイド3人とツアー客15名(男性5名、女性10名)の団体だったようです。

 

メンバーの詳細です。なお、このあと読み進めていく上で経過が分かりやすいように、後に遭難死してしまった方の横に「死亡」と書き加えて居ります。ご了承ください。

 

ガイドA(男性添乗員兼リーダー)61歳→死亡

ガイドB(男性メインリーダー)32歳→救助ヘリで救出

ガイドC(男性サブリーダー)38歳→救助ヘリで救出

 

女性客A(68歳)→自力で下山

女性客B(55歳)→救助ヘリで救出

男性客C(65歳)→自力で下山

男性客D(69歳)→救助ヘリで救出

男性客 E(64歳)→自力で下山

男性客F(61歳)→自力で下山

女性客G(64歳)→自力で下山

女性客H(61歳)→救助ヘリで救出

女性客 I(59歳)→死亡

女性客J(68歳)→死亡

女性客K(62歳)→死亡

女性客N (62歳)→死亡

男性客M(66歳)→死亡

女性客L(69歳)→死亡

女性客O (64歳)→死亡

 

このアルファベット表記は、後にまとめられた『トムラウシ山遭難事故調査報告書』に記載してあるアルファベット仮名をそのまま転用しているものになります。

 

このガイドを含めた18名の他に、3日目まで荷物を運ぶ役割であるポーターとしてネパール人が同行していたようです(ポーターは遭難に巻き込まれていない)。

 

 

ツアーの行程

 

ネット上を探すと、その当時掲載されていたアミューズ社の行程表を発見出来ました。日にちは違いますが、事件のあったツアーも同行程で募集がかけられていたと考えられます。

 


4泊5日の行程です。初日と最終日は飛行機での移動となっていて、2~4日目が登山になっています。来た道を戻っては行かない縦走(通り抜け)ツアーになっていました。

 

誰もが気軽に参加できたというわけではないようで、行程表にも注釈があるように「対象70歳以下」「申込基準有り」となっています。どのような基準が設けられていたのかは不明。推測すると、過去にアミューズ社の登山ツアー(トムラウシ山よりも簡単なツアー)に参加したことがあるかどうかが基準だったのかな、と思います。

 

体力的な基準を設けているとはいっても、不安が残るであろうツアー客に対して、アミューズ社は「らくらくプラン」という荷物運搬サービスを実施していたようです(おそらく別料金)。

 

寝袋やマットを貸し出していたようです。おそらくネパール人ポーターはこの寝袋やテント(避難小屋がいっぱいで入れない特器に備えて)、調理器具を運ぶ役割があったと考えられます。

 

遭難した4日目に関しては、1日遅れで同じコースをたどって来ていた同じアミューズ社の別ツアーの受け入れ準備のため、ネパール人ポーターは避難小屋に待機していました。

 

4日目はトムラウシ山を登った後は下山し、トムラウシ温泉宿泊の予定だったので、寝袋や調理器具を持っていく必要はないと考えられていたのでしょう。もし、このネパール人ポーターが荷物を持って同行していれば最悪の事態は防げた可能性はあります。

 

もっとも、そもそも4日目の悪天候の中出発せず、避難小屋にて待機していればこの遭難は防げたように思えますが‥。

 

 

 

 

ツアー全体の詳細な経過

7月13日

13時30分

広島・名古屋(中部)・仙台、各空港からツアー客&山岳ガイドが新千歳空港に集合。北海道在住のガイドがも新千歳空港で合流。全員揃った後、貸し切りバスで宿泊先である旭岳温泉・白樺荘に向けて出発。

 

出典:旭岳温泉街にある源泉かけ流しの宿 旭岳温泉での宿泊は大雪山白樺荘

 

17時00分ごろ

旭岳温泉・白樺荘に到着。到着後、ガイドが翌日からの縦走登山に不要な荷物をツアー客から集め、下山口のトラウムシ温泉の宿泊施設(4日目下山後宿泊予定)に宅急便で送る。

 

この時点でテレビ放送の天気予報を確認したガイド3人は、『14日は大丈夫だが15、16日の天気は荒れそうだ』と認識していたようです。

 

 

<コメント>

登山に不要な着替えなどの荷物を先の宿泊地に送ってしまうことはよくあります。ツアー客の中には地図やマットなど、登山に必要になりそうな物まで送ってしまった方もいたようです。

 

 

7月14日

 

5時50分

白樺荘出発。ここでネパール人ポータ(62歳)が合流。

 

6時00分

旭岳ロープウェー駅に到着。

 

出典:https://www.tabirai.net/sightseeing/column/0001725.aspx

 

6時10分

ロープウェー乗車。山上の姿見(すがたみ)駅まで乗車。下車後、体操を行う。

 

6時30分

旭岳に向けて出発。おおむね晴れてはいたが風は強かったよう。

 

 

<コメント>

旭岳ロープウェイの山頂駅(姿見駅)の標高は約1600m。ここから登山スタートとなり、まずは旭岳山頂を目指すことになりました。証言によると、すでに14日の時点で強風に苛まれていたようです。

 

 

左下に姿見駅。右上に旭岳山頂(2291m)

 

 

9時00分

旭岳山頂に到着。姿見駅から山頂まで2時間30分。ほぼ予定通りのタイムスケジュール。

 

旭岳山頂から間宮岳へ縦走。そこで昼食を取る。その際、女性客Hが嘔吐。そのため、ガイドAが付き添いながら縦走。登山グループから遅れたがすぐに追いついた。

 

11時30分

北海岳山頂に到着。遅れていた2人も全員揃い白雲岳方面に縦走開始。

 

12時30分

白雲岳分岐に到着。本体は白雲岳山頂へ、ネパール人ポーターとガイドCは白雲岳避難小屋に向かいツアー客の迎え入れ準備を行った。嘔吐していた女性客Hは白雲岳山頂に向かうことを諦め、ポーターらと共に先に避難小屋に向かった。

 

 

<コメント>

初日(14日)の登山ルートを以下の地図に表します。

 

通過したポイントを黒枠で表示しました。左側すがたみ駅から縦走開始。旭岳→間宮岳→北海岳→白雲岳分岐→白雲岳山頂→白雲岳分岐→白雲岳避難小屋、というルートです。白雲岳分岐において、ポーター及びガイドCはツアー客迎え入れ準備のため、先に避難小屋に向かいました。

 

嘔吐した女性についてですが、軽い高山病にかかっていたと思われます。一部報道などでは、この嘔吐が遭難事件への伏線だとセンセーショナルに報道されたりしましたが、個人的見解を言わせてもらえば、直接的にはあまり関係無いと思います。

 

もっとも、後述しますが、標高2000m前後で高山病の症状が出始めるようだと(一般的には標高3000mを超えると症状が出てくるようになる)トラウムシ山に挑むのは体力的な面で準備不足の感は否めません。

 

 

 

 

14時40分

ツアー本隊が白雲岳避難小屋に到着。2階建ての小屋の1階部分をアミューズ社ツアー客が使用することになった。ガイドたちがお湯を沸かし、インスタント食品等を持参していたツアー客にお湯を配った。なお、嘔吐していた女性はお茶とスープしか口に出来なかった模様。

 

18時00分

夕食後自由時間。ガイドが携帯の天気予報サイトを確認。翌日午後より天候が悪化しそうなことを確認。ガイド3人による打ち合わせの結果、翌日の出発を30分早め午前5時にすることに決定。ツアー客に伝える。19時ごろ就寝。

 

 

<コメント>

このツアーでは縦走中の宿泊施設として避難小屋を利用しています。よく聞く「山小屋」と「避難小屋」の違いについて触れておきます。

 

山小屋のほうが設備が良く基本的にはスタッフが常駐しています。食事が付いている場合も有ります。有料で宿泊できる施設と言えます。一方の避難小屋は、基本的には「動けなくなったりした際に使用する小屋」というニュアンスが強く、利用料は無料ですが施設は最低限度のみで寝具や食事は自分で用意しなければなりません。また、無人施設である場合がほとんどです。

 

 

出典:白雲岳避難小屋|利用例集(建築)|一般社団法人 日本CLT協会|CLT(Cross Laminated Timber)

 

ちなみに、14日にツアー客が宿泊した白雲岳避難小屋はスタッフが常駐していました。利用料金が2000円かかりますが、通常の避難小屋よりは過ごしやすかったのではないでしょうか。

 

もっとも、避難小屋は文字通りあくまで「避難」小屋であり、臨時的に使用することが前提です。行程表の時点で「避難小屋宿泊」と最初から設定してあるのは、いささか違和感を感じてしまうのです。

 

 

7月15日

5時00分

白雲岳避難小屋を出発。天気は小雨、全員雨具を着用。視界は悪くなかった。忠別岳から五色岳の山頂をそれぞれ経由し、ヒサゴ沼避難小屋を目指しました。

 

雨はずっと降り続いた模様で、特に忠別岳付近ではかなりの強風に悩まされたようです。身体の冷えを防ぐため、休憩は5分以内で立ち休みで進んだようです。

 

15時00分ごろ

宿泊地のヒサゴ沼避難小屋に到着。休憩を短くしたおかげで、悪天候の中でもほぼ予定通りの時間に到着できたようです。避難小屋の2階には静岡の6人組登山グループと夫婦の個人客がいたため、ツアー客一行は1階を使用。

 

17時00分ごろ

ガイドが沸かしたお湯を使用し夕食。ほぼ全員が本日の縦走で雨具や靴がびしょ濡れになっており、各自ロープなどで乾かそうとしましたが、小屋の内部に雨水が染み込んできていたこともあり、ほとんど乾かなかったようです。

 

19時00分ごろ

ガイドから翌日の出発時間が午前5時とすることがツアー客伝えられます。前日の天気予報の記憶から、「16日は午前中は荒れるが午後からは回復する」という認識をガイドが持っていたと後の聴取で明らかになっています。ただ、このヒサゴ沼で最新の天気を調べた形跡は確認されていません。

 

生存者の証言によると、翌日の注意事項や天気に関する情報提供はガイドからはなされていなかったようです。

 

 

<コメント>

15日のルートを確認しておきます。

 

白雲岳避難小屋を出発後、高根ヶ原分岐を経由し

 

 

高根ヶ原分岐から、忠別岳、五色岳と経由し、ヒサゴ沼避難小屋まで降りてくるというコースです。

 

 

ツアー客が宿泊したヒサゴ沼避難小屋がこちらです

出典:ヒサゴ沼避難小屋 │ 山小屋.info

現在は改修されて新しくなっています。

 

前日の白雲岳避難だけと比べてやはり設備面では劣ると言わざるを得ません(まああくまで避難小屋ですからね‥)。

 

事故報告書や報道でも言及されていますが、濡れた雨具や靴が乾ききらなかったようです。亡くなった方の死因が低体温症という点を踏まえても、着用する衣類の渇き具合はかなりの影響を及ぼしたであろうと考えられます。

 

もっとも、生還した男性客F『山はすべて自己責任が基本。雨になることが分かっていたのだから、その対策を各自が講ずべきだ。それをしなかったメンバーの対応の不備に、少々むっとした(出典:事故調査報告書』とツアー客の雨対策に苦言を呈していたようです。

 

 

7月16日

3時45分

起床。ガイドが湯を沸かしツアー客に配る。各自お湯をもらってインスタント食品を口にする。

 

5時00分前

ガイドAから出発時間を30分遅らし5時30分とすることがツアー客に伝えられる。

<コメント>

恐らく天候を見ての判断だと考えられますが、3人のガイドがどのように話し合ったのか、またなぜ30分なのかという根拠は報告書で触れられておらず不明です。

 

5時30分

出発。ガイドAから『今日の僕たちの仕事は、皆さんを山から無事に下すことです。なのでトラウムシ山には登らずに迂回ルートを通るので、了承しておいてください』とツアー客へ挨拶をしました。

事故報告書には「特に異論や質問は無かった」と記述されていますが、男性客Fは一部のツアー客から「えー」「なんで」という声が上がったと証言しています。

 

なお、同日夕刻には同じアミューズ社の他ツアーがヒサゴ沼避難小屋にやって来る予定になっていたので、ネパール人ポーターが運んで来た10人用&4人用テントと調理器具、寝袋などを避難小屋に置いていったようです。

 

<コメント>

悪天候のため出発時にトラウムシ山には登らないことを伝えた際にツアー客から異論が出たかどうかについてははっきりと分かっていません。個人的な感想を言えば、恐らく異論は出たんだろうなと予想しています。

 

このツアーの目玉は日本百名山である「大雪山(旭岳のことを指す)」「トラウムシ山」の山頂に登ることです。旭岳は初日の縦走で登頂していました。登山客の中には日本百名山の全部登ることを人生の目標としている方もいらっしゃいます。日本百名山の1つであるトラウムシ山に登らないとなった以上、例え悪天候とは言え、多少の苦言は出たと思うのです。

 

実際、ツアー行程で予定されていた山に登頂できなかった経験は私にもあります。現地到着の飛行機の遅れであったり、ツアー客の体力的な問題による時間的な制約(日没までに下山が困難になる可能性のあるペースでしか歩けない)などが原因でした。

 

現地でガイドさん及び私から説明はしたのですが、アンケートには山に登らなかった(登れなかった)ことに対し苦言を呈す文書が書かれていたことがあります。

 

もちろん、ツアー客からどんなにクレームを言われようが、100%全員を下山させることが困難と思われる場合、躊躇なく登山を中止しなければならないのです。問題は、旅行会社側がそのような一部ツアー客のクレームからガイドや添乗員を守ってくれるのか、という点なのです。

 

現在では、会社から何と言われようとも『無理な登山強行はトムラウシ山遭難事故の二の舞になりますよ』の一言で会社を言いくるめることが出来ますが、2009年当時はどうだったのか疑問です。

 

また、勘の良い方はお気づきのように、テントや寝袋、調理器具などを置いていったことが後に致命的になってきます。当該ツアー一行はその日のうちにトラウムシ温泉に入る予定でしたから、ツアー客全員が入れるほどの量のテントは不要と考えられていたのでしょう。

 

 

 

 

6時10分

ヒサゴ沼分岐の雪渓部分に到着。ネパール人ポーターが先行しスコップで足場を刻みながら進む。

 

出典:大雪山からトムラウシ縦走 究極のお花畑

↑ 現地の雪渓(夏期でも局地的に残っている積雪のこと)のイメージ。晴れていれば大きな問題は無いんですが‥ 

 

雪渓通過後、ネパール人ポーターは次ツアー客の場所取りをするためここでツアー本隊と別れ、ヒサゴ沼避難小屋へと戻りました。

 

雪渓を超えた時点ですでに隊から遅れるメンバーが出始めていたようです。要因として強風のため大きな岩がごろごろしている雪面の上を歩くのに手間取ったことが挙げられます。

 

ここでひとまず16日の行程をお伝えしておきます。

 

ヒサゴ沼避難小屋を出発後、すぐに雪渓ゾーン(150mほど)。雪渓ソーンを抜けるとヒサゴ沼分岐。その後天沼→北沼分岐。本来であれば北沼分岐からトラウムシ山を目指す予定だったのですが、悪天候のため登らずにトラウムシ分岐へと進み、そのまま縦走しながらトラウムシ温泉方面へ下山する予定だったようです。

 

<コメント>

一部報道や証言によると、一部のツアー客がトラウムシ山登頂回避に不満を表したため、ガイドAが『北沼分岐到達時点で再度トムラウシ山に登るか検討します』と言ったそうです。もしこの話が正しいとすると、最終的な決断を先延ばしにしていたのではないかと思うのです。ツアー客のクレームがガイドの判断を鈍らせていたといえます。

 

 

8時30分

北沼手前のロックガーデンまで到達。避難小屋出発から3時間経過。通常コースタイムの2倍近く時間がかかって到達。

 

↓ ロックガーデンはこのような場所です

出典:大雪山国立公園連絡協議会|the Daisetsuzan National Park Council

 

事故報告書によると、このロックガーデン付近ですでに異変が見られたツアー客が発生していたようです。

 

「ロックガーデンの登りで、男性客 M(66 歳)さんが脚を空踏みし出して、ふらふら歩いていた。支えて歩かせていたが、次第に登る気力が失せたのか、しばしば座り込むようになった。これでは自分の体力が持たないと考え、ガイドに任せた(女性客Gの証言)」出典:『トムラムシ山遭難事故調査報告書』

 

この状況を踏まえ、生存したガイドBは後の証言で『ヒサゴ沼では風はそれほどではなかったので、とりあえず主稜線まで行ってみようと思った。その時点でもしもの場合は、天人峡へのエスケープルートを採らざるを得ないだろうな、という心積もりはあった』(出典:『トムラウシ山遭難事故調査報告書』)と言っています。

 

<コメント>

生存したガイドはエスケープルート(トラブルの際に安全に下山できるルートのこと)に変更する心積もりがあったと証言していますが、実際にはエスケープルートは採用されませんでした。そもそも、ガイド3人がしかるべきタイミングでエスケープルートを採用するかどうか検討した痕跡や証言は存在していません。

 

 

エスケイプルートとされていた天人峡ルートについてですが、

 

右下水色枠が出発地点であるヒサゴ沼避難小屋、予定のルートが地図下のトムラウシ山方面、黄色枠がエスケイプルートと考えていた天人峡ルート。

 

天人峡方面の方が早く標高が下がるルートです。天人峡ルートへ下っていれば状況は変わったかもしれません。

 

 

 

9時30分ごろ

ロックガーデンを登っている途中で避難小屋で一緒だった静岡の登山グループ6人(アミューズ社ツアーとは別団体)が追い越していった。このロックガーデンで明らかに団体の足並みが乱れ始めていたようです。

 

<コメント>

同じ条件下で同じルートを歩いた静岡の登山グループ6名は全員無事に下山しています。静岡グループは『彼ら(アミューズ社ツアー客)はあまりにも遅すぎるという印象だった』と証言しています。

 

 

 

10時00分ごろ

ロックガーデンを通過し北沼付近に到達。避難小屋から北沼までは通常3時間コース。この日は6時間近くかかっていた。暴風雨のため北沼の水があふれ登山道が川のようになっていました。

 

↓ 北沼

出典:トムラウシ山遭難事故 - Wikipedia

 

一行は川の中に立ったガイドBとガイドⅭの助けを借り何とか渡りきるが、ツアー客全員が渡りきるまで吹きさらしの場所で待機することになり、多くの人がずぶ濡れになっていました。

 

その際、川に入っていたガイドⅭは客を支えている際によろめいて全身を濡らしてしまいました。ガイドCはこれ以降、低体温症の症状に悩まさられることになります。

 

 

<コメント>

全員が川状態になってしまった登山道を渡り終えるまでツアー客はその場で待たされました。時間にして30分ほど。この待ち時間が体の体温を奪い後々まで響いてきます。また、この渡河の際にガイドCがよろめいて転倒。全身を濡らしてしまいます。このことで低体温症が進み、ガイド3人の間でのコミュニケーション不足につながったとの指摘もあります。

 

 

午前10時30分ごろ

全員が北沼を渡り切る。ここで女性客J(68歳)が低体温症と見られる症状で動けなくなってしまう。3人のガイドが暖かい飲み物を飲ませたり背中をさすったりするものの、容体は悪化していった。女性客J(68歳)の介抱をしている間(1~2時間)、他のツアー客は暴風雨の中でひたすら待機させられたよう。

 

待機中、女性客K(62歳)が奇声を上げながら嘔吐。この状況を危惧した男性客Ⅽ(65歳)がガイドA(61歳)に『これは遭難だから早く救助要請をすべきだ!』と詰め寄った。

 

ここにおいてガイドAは行動不能になった女性客J(68歳)と共にその場に残って付き添い、残りガイド2名にツアー本隊の引率を任せることにした。男性客Ⅾ(69歳)は持っていたツェルト(小型簡易テント)をガイドAに貸し与えた。

 

ガイドAがビバークした地点を「第1ビバーク地点」とします。

 

 

<コメント>

「ビバーク」とは行動不能に陥った際にテントを張ってその場にとどまることを言います。

 

↓ ツェルトはこんな感じ

出典:登山での緊急時や幕営にも使える「ツェルト」その使い方とは? | アウトドア雑貨・小物 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル

 

本来であればある程度難易度のある登山をする場合は1人1個は持参しておきたいものではありますが、前述したらくらくプランを申し込んだようなツアー客はこれらビバーク用の装備を持っていなかったはずです。

 

なお、第1ビバーク地点に残ったガイドAと女性客Jはその後救助ヘリに収容されるも死亡しています。どのような経過をたどって死を迎えたかについては、2人とも亡くなったためはっきりとは分かっていません。

 

 

11時30分ごろ

北沼分岐点に到達。この時点で新たに3名の行動不能者(女性客N62歳・女性客H61歳・女性客 I 59歳)が発生。女性客 I の介助に元気な男性客Ⅾ(69歳)が付いていた。ガイドB(32歳)とガイドⅭ(38歳)で協議した結果、ガイドBが北沼分岐点に残り、ビバークすることになった(これを「第2ビバーク地点」とします)

結論を言ってしまえば、後に第2ビバーク地点では3名の行動不能者のうち女性客Nと女性客Iは意識不明に陥り後に死亡が確認されてしまいます。女性客Hは奇跡的に生還。

 

付き添いとして男性客Ⅾもその場に残り合計5名でビバーク、ガイドⅭがその時点で歩行可能な残りのツアー客10名を率いて下山することとなった。

 

 

<コメント>

地図で確認します。

出典:調査報告書添付の地図を編集したもの

 

水色が当日スタート地点のヒサゴ沼避難小屋。赤丸が第1ビバーク地点(ガイドA)、青丸が第2ビバーク地点(ガイドB)です。

 

事故報告書においてガイドⅭ(生存)は『ガイドBに"10人連れて行ってくれ"と言われたが、この時点で僕も低体温症の症状が出ていて、道も知らないし、正直言って自信無かった。』とコメントしています。

 

前述しましたが、北沼を通過する際、川のようになった登山道でガイドⅭは転倒しており、恐らくすでにこの段階で低体温症の症状が出ていたと思われます。もっとも、ガイドBはガイドⅭがそのような状態とは知らなかったようです。

 

 

 

 

12時00分過ぎ

ガイドⅭの『動ける人は私に付いてきてください』という掛け声で残りのツアー客10名が下山開始。ビバーク地点から少し歩いた大きな岩陰のあたりで短い昼食休憩。この時、女性客K(62歳)が意味不明な奇声を発し始めた。

 

昼食休憩後、出発してすぐに男性客M(66歳)が直立不動のまま動かなくなる。そばにいた男性客F(61歳)は、他の女性客を先に行かせ、男性客Mの介抱に当たった。

 

男性客Mが歩行不能に陥った地点の少し先の地点で今度は女性客L(69歳)と女性客K(62歳)が行動不能となる。2人の介抱を女性客A(68歳)が1人で行っていたよう。

 

 

<コメント>

男性客1名&女性客2名が新たに行動不能に陥っていた時、ガイドⅭは遅れてくるツアー客を待たずに下山&救助要請を優先させどんどん下りて行った、と一部のツアー客は証言しています(ある程度待ってから進んだ、との証言もあり)。

 

いずれにせよ、この時点でガイドⅭ自身も低体温症が進行しており、歩行は可能であるものの、思考能力は著しく失われていたと考えてよいでしょう。

 

 

13時00分くらい

男性客F(61歳)は男性客M(66歳)を介抱しながら、南沼キャンプ場付近まで降りてきた。その地点で男性客Mは立つことも問いかけに返事をすることも出来なくなった。男性客Fは介抱を諦め、男性客Mをその場に残し先に進むこととした。

 

出典:南沼キャンプ指定地 : 気まぐれ写真館

 

女性客A(68歳)が行動不能になった女性客2人を懸命に介抱しているところに後から来た男性客Ⅽ(65歳)が通りかかった。女性客Aは男性客Ⅽにサポートを依頼。男性客Ⅽはしばらく介抱したのち、『これ以上のことは、自分がなすべき義務の範囲を超えている』と思い、サポートを打ち切り1人で先へ歩いていった。

 

 

13時30分くらい

再び1人で2人の介抱をすることになった女性客A(68歳)のところに、男性客F(61歳)が追い付く。女性客Aは先導するガイドⅭがテントを持っていたことを思い出し、ガイドⅭに助けを求めることを決意する。そこで男性客Fに女性客2人のサポートを依頼し、先に進むことにした。この時女性客K(62歳)はぐったりしており、女性客L(69歳)は奇声を発していた。

 

 

13時40分くらい

女性客2人(K&L)の反応が完全になくなってしまったので、男性客Fはその場に女性客2人を残し、下山することを決意。

 

 

14時くらい

ツアー先頭を歩いていたガイドⅭ(38歳)と女性客G(64歳)が前トム平手前まで到達。この地点においてガイドⅭは座り込んで動けなくなってしまう。女性客Gがガイドに行動食を与え『あなたには家族がいるんでしょ。ここで動けなくなって死んだらダメよ。家に帰らないと』と励ました。すると、ガイドは再び立ち上がり歩き始めた。

 

出典:トムラウシ山 短縮コース登山口から往復 - トムラウシ山 - 2017年7月8日(土) - ヤマケイオンライン / 山と溪谷社

 

 

15時00分ごろ

先頭のガイドⅭと女性客G(64歳)が前トム平に到着。

 

15時54分

女性客Gの携帯電話に夫からの着信が入る(夫は遭難していることは知らない)。その様子を見たガイドⅭが女性客の携帯電話で110番通報するように依頼。

 

15時55分

最初の110番通報。警察に現在地を聞かれガイドCに電話を代わったが、ガイドCはろれつが廻らない状態だった。やがて携帯電話のバッテリーが切れたため、ガイドCは自分のザックから携帯電話を取り出して連絡を試みたが、ガイドCはハイマツの上に寝そべってメールを打ち続けた。

 

そのうち男性客E(64歳)が下りてきて、女性客G男性客EとともにガイドCを40分以上励まし続けたがガイドCは歩くことができず、ガイドCを残して2人(G)で下山を続行した。

 

 

16時ごろ

トラウムシ山分岐と前トム平の中間地点(トラウムシ公園あたり)で、本隊から遅れていた女性客B(55歳)と女性客O(64歳)が歩行困難に陥る。

 

16時28分

比較的元気だった女性客Bが110番通報するも不通。同行していた女性客Oの意識が無くなった。

→1人で下山するのは危険と判断した女性客Bはビバークを決意。女性客Oのカバンから寝袋を出しそれをOに被せ、自分はマットを引き持参していた自分の寝袋に潜り込み救助を待つことにした。

 

<コメント>

ここで地図を確認しておきます。

 

北沼分岐あたりでガイドAならびガイドBがそれぞれ行動不能者とともにビバーク。その後、トムラウシ山分岐前後で男性客M(66歳)と女性客K(62歳)、女性客L(69歳)が行動不能に陥ります。

 

前トム平の手前で女性客B(55歳)と女性客O(64歳)が歩行困難に陥ります。女性客Bはこれ以上の下山は危険と考え、持参していた寝袋と共にビバークすることを決断します。この決断が彼女の命を救ったといえます。

 

 

 

 

 

ツアー本隊が脱落者を出しながらも下山していく最中、北沼付近で第2ビバーク地点でビバークしていたガイドB(32歳)にも動きがありました。

 

16時30分ごろ

ツエルト内部に女性客3人を寝かしたガイドBは、一緒に女性客に付き添っていた男性客Ⅾに留守番を頼み、携帯電話がつながるかもしれない南沼キャンプ場へ1人で移動した。

 

16時38分

ガイドBは南沼キャンプ場へ向かう途中、アミューズ社の札幌営業所に社長宛てで『すみません。7人下山できません。救助要請します』『4人くらいダメかもしれないです』と切迫したメールを送信した。南沼キャンプ場付近では倒れている男性客M(66歳)を発見するが既に脈はなかった。南沼キャンプ場には登山道整備業者が残していたテントや毛布、ガスコンロがあったため、ガイドBはそれらをビバーク地点に持ち帰った。

 

17時04分

再度会社にメール。『すみません。8 人です。4 人くらい駄目かもしれないです。リーダーA(61 歳)さんも危険です』

 

→その後、会社と電話が通じ、すでに警察が動いていることを知る。女性客 I (59歳)と女性客N(62歳)の意識が無くなる。女性客H(62歳)の意識は回復。男性客Ⅾ(69歳)と交代でガスコンロの火を一晩中炊き続け保温に努めた。

 

 

 

 

再びツアー本隊の動きにもどります。

 

17時21分

ガイドⅭは朦朧とする意識の中で110番通報する(発信履歴あり)も、再び意識を失う。

 

17時21分以降

ガイドCが倒れている所に、男性客Ⅽ(65歳)と追いついてきた女性客A(68歳)がやってくる。2人ともガイドCに声をかけるが意識が朦朧としており返答なし。男性客Cは先に降りていく。

 

女性客Aはその場にとどまりトイレをしていると、男性客F(61歳)が降りてきたので、は一緒に下山することにした(この後、男性客Cに追いつき、声をかけたが、Cから『歩くのが遅いから先に行ってくれ』と言われ、追い抜き下山を続行)。

 

 

23時55分ごろ

先行していた女性客G(64歳)と男性客E(64歳)がトラウムシ温泉まで到着。途中、遭難事件の取材に来ていた報道陣の車に合流し救出される。

 

最初(15時54分)の110番通報を受け、警察のヘリによる捜索が始まってはいたが視界不良のため捜索を中断していた。23時45分には自衛隊へ救助要請がなされる。

 

 

 

 

7月17日

 

0時55分

女性客A(68歳)と男性客F(61歳)がトムラウシ温泉まで下山。報道陣の車と合流し救出。

 

3時40分

ビバークしていた女性客B(55歳)が下山を再開。前トム平付近まで進む。

 

4時38分

救助ヘリが意識不明の女性客()を発見、収容。後に死亡が確認される

 

4時45分

男性客C(65歳)が自力でトムラウシ温泉まで下山、救助。

 

5時01分

救助ヘリが意識不明の女性客()を発見、収容。後に死亡が確認される。

 

5時16分

救助ヘリが自力歩行可能な女性客B(55歳)と意識不明の女性客O(64歳)を発見。救助。後に女性客Oは死亡が確認される。

 

5時35分

救助ヘリが男性客M(66歳)を発見、収容。後に死亡が確認される。

 

6時50分

救助ヘリが第1ビバーク地点および第2ビバーク地点で意識のあるガイドB(32歳)と男性客D(69歳)、女性客H(61歳)、ならびに意識不明のガイドA(61歳)、女性客J(65歳)、女性客I(59歳)、女性客N(62歳)を救助。のちに意識不明者4人(ガイド1人+女性客3人)の死亡が確認される。

 

10時44分

他の登山者により倒れていたガイドC(38歳)が発見される。救助ヘリで救出され無事に生還。

 

 

→遭難者を全員発見。捜索を終了した。

 

 

 

以下の章でこの遭難事件の要因や教訓とすべきことを考えていきたいと思います。

 

 

 

ツアーの参加人数について

 

今回の遭難事件では、参加人数15名に対しガイド3名(+一部行程にポーター1人同行)の一行でした。すなわちガイド1名に対しツアー客5名という割合です。

 

アミューズ社はどうだったのかわかりませんが、大手旅行会社では登山のレベルに応じてツアー客に対するガイドの人数が明確に定められています。

装備・レベルについて|あるく国内|登山・ハイキング・ウォーキング 旅行・ツアー│クラブツーリズム

 

例えば山歩きに力を入れている旅行会社クラブツーリズムでは、登山入門レベルのツアーでは「お客様8名~10名につき引率者1名」、登山中級以上だと「お客様6~8名につき引率者1名」と基準を定めています。この基準を当てはめれば、この遭難事件ではツアー客15名に対し引率者3名ですから、数だけ見ると十分足りているとお感じになるでしょう。

 

ただ、この基準はあくまで"ツアー客及び引率者が全員きちんと歩行できる"ことが前提です。今回の遭難では、ガイド2人が介抱についたため最終的にはガイドBが1人で10名を率いて下山することになりました。体感的には、2000m級の山を悪天候の中1人で10人のツアー客の対応が出来るかといえば、かなり難しいと思います。

 

 

 

ツアー参加者のレベルについて

じゃあ、引率者の人数を増やせばいいのかという話ですが、あまりに増やしすぎても人件費の高騰につながりますし、そもそも登山シーズン最中に1ツアーに何人もガイドを同行させることが出来るほどガイドの人手が足りているのか、という問題もあります。

 

現実的な問題解消の1つとして考えられるのが、「ツアー参加者の体力レベルを可能な限り合わせる」という方向性の考え方です。

 

例えば、ある程度難易度の高い(山小屋宿泊を伴うような縦走ツアーなど)登山ツアーの場合、同じ会社の初級の登山ツアーに参加し無事歩行できた人のみ中級以上の登山ツアーに参加できるようにする、という方法があります。「ご一見さんお断り」ってことですね。また、ある基準の年齢より上の者の参加を制限する(条件付き参加)ことも考えられます。

 

最初に触れた様に、アミューズ社も独自の基準(年齢制限など)を設けていたようです。その基準が適切だったかどうかは疑問が残るところではありますが…。

 

もっとも、アミューズ社はハイキングや登山を専門に扱う旅行会社でしたから、そんな会社のツアーに参加するような人々は、平均的な人々よりも参加者の体力はあったと思います。しかしながら、15名のツアー客の中には、2000m級のトラウムシ山縦走に耐えうるだけの体力が無かった方もいたように思えてならないのです。

 

ここでいう"体力"とは、ただ山歩きが出来るということではなく、"重たいザックを抱えてコースタイム通りに遅れず歩きとおせるか?"という点を考えた上での体力でなければなりません。

 

登山リュックの中に栄養補給用の行動食や着替え、1人用テント、マット、寝袋などを詰め込めば軽く10キロ~15キロにもなります。その荷物を持って10時間近く歩き通せる体力があるのかどうか、という問題です。

 

アミューズ社は寝袋などの携行品をポーターが代わりに運んでくれる「らくらくプラン」というサービスを実施していたことは先ほど触れました。自分で寝袋や寝具マット等を運べないような体力しかないツアー客に、トムラウシ山縦走ツアーはふさわしくなかったと言えるのではないでしょうか。

 

 

ツアー客の中に体力不足の人がいることの危険性について

 

個人の登山客の場合、自分のペースで登れますが、登山ツアーの場合は一番ペースが遅いツアー客にペースを合わせます。具体的に言うと、体力に自信が無いツアー客をなるべく列の前の方に配置し、体力があるツアー客はなるべく後ろの方に配置します。

 

各地の山やハイキングコースには、歩行時間の目安となる「コースタイム」が設定されています。

 

 赤い数字がコースタイム。「1.15」は1時間15分以内に歩きましょう、という目安(休憩時間は除く)。

 

いくら体力に自信が無いからと言って、この設定されたコースタイム以内で歩けないのであれば、その山に挑む体力がまだ備わっていないと言えます。トムラウシ遭難事故では、遭難当日の歩行スピードはコースタイムの倍かかっていたようです。悪天候を考慮したとしても、参加者の中には体力的な準備が備わっていなかったツアー客もいたようです。

 

ペースが遅いツアー客がいれば、他のツアー客の待機時間も増えてしまいます。天候の急変に見舞われる可能性も高くなります。今回のケースでは、ガイドが歩行困難になったツアー客の介護をしている間(1~2時間)、他のツアー客は悪天候の中その場に待機させられたようです。これが他ツアーの体温を奪い低体温症を進行を早めた結果になったと考えられます。

 

結局のところ、登山グループの中に体力不足の者がいれば、その者が全体の足を引っ張る形となり、集団全体の安全も脅かされるということが言えます。

 

同じ日に同じコースを歩いていた静岡の登山グループ6名は、おそらく全員の体力&装備が十分であり登山グループとしての力の統率が保たれていたから、無事全員下山できたのでしょう。

 

 

 

 

"初級の山"なら問題は無いのか?

今回の遭難事件のツアーは、歩行時間や登山道の歩きにくさ、さらに山小屋宿泊の縦走という点を踏まえれば、旅行会社の設定する登山レベルでは「登山中級」あたりに相当すると思われます。

 

では、日帰りで帰って来られるような登山初級相当のツアーなら問題は無いのでしょうか?個人的な意見を述べると、登山初級ツアーは初級ツアーなりの難しさがあると思います。

 

旅行会社が設定している初級とか中級とかいうレベルの基準は歩行する標高差とか歩行時間により決められます。

<登山初級A>『初心者にもおすすめ! アルプスの日本百名山2座へ 乗鞍岳・木曽駒ヶ岳 2日間』【新宿・立川・八王子発】<ワクチン・検査パッケージ適用ツアー>|クラブツーリズム

 

例えば、こちらのツアーだと日本百名山に数えられる乗鞍岳&木曽駒ケ岳に登る行程になっています。どちらも標高3000m級の山ですがレベル設定は「登山初級A」です。

 

これらの山は標高2600mくらいまでロープウェイや観光バスで登れます。実際に歩いて登るのは標高差400mくらいなので登山初級扱いになっていると思います。登山初級レベルということは、年齢制限や経験値に関係なく基本的には誰でも参加を受け付けているのです。

 

出典:木曽駒ケ岳 | 山ガールのための山歩きガイド コースガイド 女性のための登山情報サイト 山ガールネット

↑ 木曽駒ケ岳の登山道

 

実際私も添乗員として木曽駒ケ岳と乗鞍岳に言ったことがあります。確かにどちらの山も標高3000m級の山の中では登りやすい部類には入ると思います。しかしながら、標高3000m級の山であれば当然高山病の症状も出てきます。一気にロープウェイや観光バスで高標高エリアまで行くのでなおさらです。さらには、上の写真のように岩場を登る部分もあります。

 

登山中級レベル以上の登山ツアーの場合、ツアー参加に制限があるので極端な初心者や体力に問題がある客は参加していません。すなわち参加者のレベルはある程度同じといえます。一方で、登山初級ツアーは色々な体力レベルの客が参加してきます。登山初級ツアーだから事故は起こらない、とは言えないのです。

 

 

 

登山ツアー参加基準の見直しが必要では?

 

旅行会社の登山ツアーでは、登山中級レベルの山でも旅行会社の設置した参加基準をクリアすれば、誰でも申し込むことが出来ます。体力や装備の細かいチェックはありません。

 

山岳愛好会や山岳部なのであれば、"目的の山に見合った体力や技術が無ければ連れて行かない"という選択肢も取られますが、収益を気にする旅行会社であれば基本的にはウェルカムの姿勢です。

 

もちろん、各旅行会社のHPで登山のレベルを提示したり等、努力はしているとは思います。私が考える登山中級レベル以上のツアーや数日間に渡る縦走ツアーへの参加を受け付けるの基準としては

 

・重い登山装備(10~15キロ)を余裕を持って背負える

・1日10時間以上余裕を持って歩ける

・1日10時間以上の歩行を3日間連続で歩ける

装備や山登りに関する知識を学習している

・簡易テントを1人で組み立てられる

 

 

 

5点を基準とすべきかと思います。もちろん、参加する際はどうしても自己申告を信じるしか無いのですが、パンフレットにこれらの基準をはっきりと明記しておけば、ある程度は体力不足者を除外できるのでは、と思います。もし、このような基準を厳しいと思うのであれば、そのような上級者向けツアーに参加するのは難しいでしょう。

 

 

 

登山客を旅行会社が"養成"していくという考え方

 

 

登山ツアーに参加しようとする場合、多くの参加者は各個人でハイキングやウォーキングなどをして日ごろから体力を高めているとは思います。しかしながら、そのトレーニングが実際の2000m~3000m級の山で発揮できるものかといえば疑問が残ります。

 

先ほどの章で上級者向けツアーに参加する基準を提案しましたが、なかなかハードルが高いのも事実です。個人でそこまで意識して準備が出来る人は、きっと登山ツアーには参加しない(1人もしくは少人数パーティーで登る)のではないかと思います。

 

ならば、直接登山ツアーに参加できうるツアー客を養成していこうと考える旅行会社も出てきています。

山旅スクール│クラブツーリズム

 

大手旅行会社クラブツーリズムは、自立した登山者の育成を目指す「山旅スクール」というものを開校しています。机上研修で登山道具の知識や荷物のハッキングの仕方等の講習を受け、実際に山に入り、岩場やロープの使い方などを学んでいくカリキュラムを組んでいるようです。

 

カリキュラムは2~3年に渡って行われるので、カリキュラムを無事修了した参加者は自立した登山者として行動できることでしょう。

 

もっとも、これら山旅スクールは関東や関西圏のみの開催であり、地方在住者にとってはまだまだ参加ハードルは高いと言えます。

 

 

 

行程を変更することに対する"抵抗感"

そもそも、この遭難事故は4日目の朝の時点で出発せずに、避難小屋で待機していればここまでの被害は出さなかったことは明白です。何らかの心理的な要因があって悪天候の中出発したとしたら、その要因も探る必要があります。

 

観光のツアーでも同じですが、旅行会社はツアー客に対し「安全配慮義務」と「旅程保証義務」が課せられています。安全配慮義務は、ツアー客全員を無事に帰着させることであり、旅程保証義務はツアー客に渡してる行程表通りにスケージュールを進めていくことを約束することです。安全配慮義務と旅程保証義務を両立させながら、ツアーを進めていくことが添乗員の役目ではあります。

 

この2つの約束を両立させることは、特に登山ツアーでは難しいことです。その両立に縛られ過ぎると判断ミスを犯してしまい、このような遭難事故が起きてしまう要因になってくるのです。

 

もちろん、安全配慮義務が絶対に優先されるべきです。しかしながら、悪天候による停滞によって旅程が変更になった際の手配のやり直し(宿泊先や交通機関)をツアー客全員分一から行うのはかなりの困難を伴うのは事実です。ツアーの場合、予約がガチガチに固まっているので、ツアー出発後の予約の変更は可能な限り避けたいのが旅行会社の本音でしょう。現場の添乗員としても、帰りの交通機関に間に合わなくなることは何としても避けたいと思っているはずです。

 

 

実は、遭難事故の当日、トムラウシ山温泉登山口から、同じツアー登山のクラブツーリズム名古屋支店の21名からなるツアー一行がトムラウシ山を目指していたようです(もちろん同日にアミューズツアーが遭難していることは知らない)。

 

 

そのツアーは悪天候を考慮し、添乗員とガイドの判断によりトムラウシ山への登頂を諦め、途中で引き返し、全員無事に下山することが出来ました。このケースでは、日帰りで山頂を目指すコースであり、登頂を断念したところでツアー全体の行程に影響は与えないケースであったために、容易に下山の判断が出来たとも言えます。

 

 

逆に言えば、現在進行形で山中にいて、下山しなければスケージュールが狂ってしまうアミューズツアーの場合、避難小屋に待機すると言う判断が容易にできなかったのではないかと思うのです。行程に影響を与えるかどうかという点が、ある判断を下す際の足かせになってしまう可能性があるのです。

 

 

添乗員は旅行会社からの圧力だけではなく、ツアー客からの圧力にも悩まされます。ツアー客はお金を払っているので、ツアーはつつがなく進行するものだと思いこんでいます(それが登山ツアーであっても)。確定的な情報ではありませんが、該当事件でもガイドがトムラウシ山には登らず下山することをツアー客に告げた際に、一部のツアー客から異論が出たとされています。

 

明らかに無理(例えば大地震が起きるなど)の場合の撤退は理解が得られるでしょうが、行くかどうかでツアー客内の意見が割れた場合の判断は非常に難しくなってしまいます。場合によっては、後からクレームを入れてくるツアー客も存在します

 

私が添乗員として働きだしたのは2013年からで、遭難事故の後です。あのような大惨事が起こったあとでも、自分が添乗員として登山ツアーに同行し登頂を断念した際には、旅行後のアンケートにおいて登頂を断念したことを批判する文章が書かれていたりしたのです。

 

アンケートの評価はそのまま添乗員の評価につながり、給料や仕事の入り具合に影響してくる可能性があります。私はそのような批判意見に関しては無視してきましたが、添乗員の性格によっては、現場での判断を鈍らせてしまう要因になってしまうかもしれません。

 

 

添乗員の登山経験レベルについて

 

 

登山ツアーに限らず、フリープラン以外は基本的に添乗員はツアーに同行します。添乗員の仕事はツアーの行程管理が主であり、「旅程管理主任者」という資格を持っていなければ添乗員として働くことは出来ません(もちろん私も持っています)。

 

すなわち、全ての登山ツアーには添乗員が必ず同行しています。では、登山ツアーに同行してくる添乗員の登山経験レベルはきちんと備わっているのでしょうか?

 

トムラウシ山遭難事件では、亡くなったガイドAが添乗員と登山ガイドを兼ねていました。このケースは少数派で、多くの登山ツアーは添乗員と登山ガイドは明確に分かれています。

 

登山ガイドは名前の通り、山岳ガイドの資格を保持しているかどうかは別として、登山にある程度精通した者であることは揺るぎないと思います(問題のあるガイドもいるでしょうけど)。しかし、添乗員の登山経験については、添乗員によってかなりのばらつきがあります。

 

このブログで幾度となく指摘しているように、添乗員のほとんどは旅行会社の正社員では無く、人材派遣会社から派遣されてきた派遣社員です。

 

www.tuberculin.net

 

旅行会社から派遣会社にツアー添乗の依頼が降りてきて、派遣会社のアサイナー(業務を人に割り振っていく人)が派遣社員に添乗の仕事を割り振っていきます。その中には当然登山ツアーも含まれています。

 

正直な話ですが、私はただ若いというだけで登山ツアーが振り分けられてきました。登山の経験は小中学校の遠足程度の経験しか無いのにもかかわらず、です。これはある意味仕方のないことで、添乗員派遣会社に入社した者の中でゴリゴリに登山経験のある者は体感的には数十人に1人といった割合でしか存在しません。

 

登山好きな人は添乗員ではなく、山岳ガイドや山小屋管理人、登山用品店への就職を目指すでしょうから、添乗員派遣会社にそのような人材がいないのは当たり前の話ではあるのです。

 

 

 

旅行会社よっては、自社の定められた登山研修を受けなければ、派遣添乗員の自社登山ツアーへの添乗を認めない、という決まりがあったりします。例えばA社の登山ツアーに添乗に行きたいと思う派遣添乗員は、A社の実施する登山研修に参加する必要があるのです。

 

旅行会社内で実施される研修は、基本的に座学講習と実際に近くの山に日帰り登山(標高数百m程度の山)する実地研修を両方受けます。ただ、どちらの研修も1日のみの場合が多く、これらの研修だけでは、山小屋宿泊が必要な縦走ツアーや3000m級の登山技術の習得は難しいのではないかと感じています。

 

最も、数日間の研修を実施したところで、その間の給料は出ません。なぜなら繰り返しになりますが、添乗員のほとんどは派遣社員であり、歩合制だからです。登山研修は仕事と見なされないので、支給があったとしても交通費程度です。

 

給料の面で言えば、添乗員の日当は経験値によっても変わってきますが、だいたい1日1万円もらえれば良い方(私の場合、5年経験時点で9500円でした)です。登山ツアーの場合、手当てが付きますが、1日1000円~2000円程度です。

 

普段のバスツアーでさえ待遇は良くないのに、危険を伴いながらツアー客の命を守らなければならない登山ツアーの日当がたかだか1万円ちょっとでは、責任の重大さと待遇がかみ合っていない気がするのです。

 

それに、バイト程度の賃金(非正規なので社会保険や年金も自分で加入しなければならない)で、数万円以上はする登山用品を自費で準備するのも結構大変なものがあります。ある程度は有名なメーカー品を準備しない(最低限モンベルくらい)とお客からの信頼も得られないんですよね。お客は添乗員がどんな装備(どこのメーカーの用品か)で来ているか結構チェックしてますからね。

 

 

登山ガイドに添乗員の資格を取らせた方が早い

 

 

 

登山ツアーを実施するためには、「旅程管理主任者」の資格を持った添乗員が必ず同行する必要があります。そして、前述したように、添乗員になりたくて添乗員業界に入って来る者のほとんどは、登山に関しては素人と言っていい状況にあります。そんな者たちにたかだか1日程度で終わる日帰り登山研修を受けさせたところで、十分な登山ノウハウが見につくとは思えません。

 

 

ならば、発想の転換で、現在登山ガイドとして活躍している人に添乗員の資格を取らせて登山ツアーにガイド兼添乗員として添乗させた方が早いのではないでしょうか。

 

同じことが事後調査報告書の中でも触れられています。

"旅程管理者(添乗員)が登山活動を管理することは困難と承知の上で、旅行業法や観光ツアーなどの運営方式や慣行によって、ツアー登山を運営させていないだろうか。ツアー登山においては、旅程管理者に登山教育を施すよりも、実力のあるツアー登山ガイドを養成すべきである。あるいは、登山ガイドに旅程管理者資格を取得させることも解決策のひとつであろう。"

出典:『トラウムシ山遭難事故調査報告書』46ページ

 

 

添乗員の資格は正直社会人としての常識があれば誰でも短期間で取得できます。添乗員に登山経験を積ませるより、登山ガイドに添乗員の資格を取得させた方が何倍も早いと思います。

 

 

登山ツアー自体がそもそも登山の常識から逸脱している

 

添乗員側の立場でこのような疑問を投げかけるのもなんですが、そもそも何十人も引き連れて登山道や山小屋を占領するような登山ツアーの存在は、従来の登山の常識から逸脱している気がするのです。

 

時間とお金に余裕のある高齢者の間で登山ブームが起き、旅行業界がそれをビジネスチャンスと捉え、登山をツアー化しだしたのはここ30年の話です。旅行会社が利益を追求することは、資本主義経済下においては悪いことでは無いのですが、登山を安易に"商品化"してはなかっただろうか、という疑問が浮かび上がってくるのです。

 

普通のバスツアーと同じように、登山ツアーのプランニングをし、たいしたリスクマネージメントも考えず、事前に必要な注意喚起や装備の説明も適当な状態でツアーを出発させてしまう旅行会社も残念ながら存在しているのです。

 

登山ツアーではありませんが、以前尾瀬ヶ原へのハイキングツアーに添乗したことがありました。

 

難易度の高い登山コースではありませが、それでもきちんとしたトレッキングシューズと上下に分かれたレインウェアは必ず必要なコースではあります。私が添乗したとある旅行会社では、事前のツアー客への装備や服装に関する注意喚起も十分なされているとは思えなかったのです。

 

案の定、あるツアー客は普通のスニーカーと100均の雨合羽でツアーに参加してきました。見かねた私が現地でレンタルさせましたが、やはり旅行会社の事前の注意喚起が弱いとこのような"山を舐めた"ツアー客が参加してくることになるのです(他の会社の似たようなツアーに添乗した際は、比較的事前のアナウンスがきちんとしており、そんな軽装をしてくるお客はいませんでした)。

 

 

"登山ツアーを出せば儲かる!"といった程度で登山ツアーを設定するのは、安易な発想と言わざるをえません。もし、どうしても登山ツアーを実施したいのであれば、事前の注意喚起や綿密なスケジューリング、エスケープルートの設定などのリスクマネージメント、これらをしっかりと理解し、ツアーを企画していく必要があります。

 

 

 

 

ツアー登山客の統率力を高めることが大事

 

「ツアー登山は常識から逸脱している」、は言い過ぎかもしれませんが少なくとも山岳会や登山愛好会とは比べて、登山ツアーは集団としての統率力が低いと言わざるをえません。

 

旅行会社が募集して集まった登山ツアーは、その場限りのグループであり、団体としての統率はあまり高いとは言えません。この登山ツアーグループの統率力の低さについては、『調査報告書』でも指摘されています。

 

"一般にツアーの参加者は、単独では山に行けないのでツアーに参加する、という人が多く、パーティとしての参加意識が薄く、時には参加者同士の繋がりをも避けたりする傾向があるようだ。これでは、ひとたびガイドが機能しなくなると、パーティの瓦解という最悪の事態を招くことになる。"

出典:『トムラウシ山遭難事故調査報告書』47ページ

 

と指摘したうえで

 

"寄せ集め集団といえども、いったん行動を開始したら一つのパーティである、という強い認識と協力意識を持ちたいもの。"

出典:『トムラウシ山遭難事故調査報告書』47~48ページ

 

と訴えかけています。

 

添乗員やガイドが最初の段階で『チームとして行動していきましょう!』と声かけしておけば、幾分効果はあるかと思います。と同時に、やはりツアー客自身が意識を高めて行動していくことが求められます。

 

統率力あるツアー客集団になるためには以下の事が必要だと思います。

 

・ガイドや添乗員を信頼し、その指示に忠実に従うこと

・最終的には自己責任であると肝に銘じ、自立した登山者として自らを律していくこと

 

ただお客さんとしてガイドの後ろを付いていくだけでは自立した登山者としては不十分です。事前に登山ルートや時間配分をある程度自分自身で下調べをしておき、ガイドの指示に従いつつも、自立した登山者として行動していくことが求められてくると思います。

 

個々の意識が高ければ高いほど、集団としての統率も増していくと思うのです。これらを兼ね備えたツアー客の集団であれば、遭難事故を防げる可能性も高まっていくことでしょう。

 

 

終わりに…

 

事件の検証とその解決策について長々と論じてきました。事故からすでに14年が経過しましたが、この事故を丁寧に分析し、今後の教訓とし続けていくことが、亡くなった方々へのせめてもの弔いになれば、と思います。

 

2020年からのコロナ禍の影響で、団体ツアーが敬遠される時期が長く続きました。2023年現在、コロナウイルスが5類に引き下げられ、登山ツアーも本格的に再始動していくことになるでしょう。久しぶりの登山ツアーになるので、多少の混乱やトラブルが起こる可能性もあります。

 

まとめてしまえば、旅行会社側とツアー客側の双方が意識を高めていくしか遭難事故を防ぐ手立ては無いのかなと思います。ツアーが再開され始めたこの時期だからこそ、双方が再び気を引き締めていく必要があるのです。

 

 

 

<参考文献&参考サイト>

 

羽根田治ら著『トムラウシ山遭難事故はなぜ起きたのか』(2010年)

トムラウシ山遭難事故 - Wikipedia

『トムラウシ山遭難事故調査報告書』

 

 


トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか 低体温症と事故の教訓 (ヤマケイ文庫) [ 羽根田治 ]
 

 

 

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