日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

【スポンサーリンク】

【旅行用心集を読む】(第1回)江戸時代のガイドブックを読むブログ

スポンサーリンク

スポンサーリンク

f:id:tuberculin:20190301221358j:image

当ブログにおいては、【時には昔の雑誌を‥】というシリーズで、筆者であるツベルクリン所有の昔の雑誌をご紹介してきました。

シリーズ一覧はこちらから

【昔の雑誌を読む】 カテゴリーの記事一覧 - 日常にツベルクリン注射を‥

 

そして、今回より新しく【旅行用心集を読む】シリーズをスピンオフ企画として立ち上げることにしました。これから全何回になるか分かりませんが、『旅行用心集』という雑誌っていうか書籍を読んで行きたいと思います(*´ω`)

 

最近しょうもない記事ばかり書いてましたが、それはこのシリーズを立ち上げる準備をしていたからです(๑・̑◡・̑๑)

 

『旅行用心集』とは、今から209年前の1810年(文化7年)に発行されたガイドブックです。今で言う『地球の歩き方』の国内旅行verみたいな本です。著者は八偶芦庵(やすみろあん)という、旅行好きなただの一般人です。その江戸時代に書かれた本が手元にあるので、ご紹介していきます。

 

当時は、まず根本的なルールとして勝手に自分の住んでいる藩(今で言う県)を出ることは禁止されていました。勝手に出ちゃった場合、いわゆる"脱藩"という犯罪になります。つまり、旅行とかできなかったわけです。

 

もっとも、理由があれば旅行の許可がおりました。認可される理由としては

①温泉に入って病気を治したい

②神社仏閣にお参りしたい

この2ついずれかを理由として村の役人に申請すれば、旅行の認可が下り、全国どこの関所も通過できる"通行手形"がもらえたのです。つまり、ちゃんと手続きを踏めば、自由に日本全国を旅行することができたのです。

 

でも、今と違って旅行に行きたいと思ってもそのノウハウを持っていません。それこそ、人生に1度旅行に行けるかどうかの時代です。今で言う宇宙旅行に行く感覚ですわね。しかも、移動手段は徒歩ですし。一般庶民は、旅行の方法が全く分からなかったのです。

 

そこに登場したのが、この『旅行用心集』です。著者の八偶芦庵は、この時代には珍しい"旅行マニア"だったらしく、知り合いから『旅行ってどうやって行くの?』って聞かれまくっていたので、答えるのがめんどくさくなり『よっしゃ、こうなったら旅行のハウツー本書くわwww』って調子に乗って書いた本なのです。

 

この本は、そこそこベストセラーとなったようで、現在でもそれなりに当時の原本が残っているみたいです。主に大学の研究機関や郷土の歴史博物館、もしくはツベルクリンの家に保管されています。このシリーズでは、この『旅行用心集』を読解していきたいと思います(´・ω・`)

 

21世紀の現在でも通用することも書いてあれば、今やったら犯罪になっちゃうことも書いています。実践する場合は、ご自身の責任でお願いしますね(*´ω`)

 

本日第1回目は、序論というか"はじめに"みたいな部分を読解していきます(´・ω・`)

 

 


f:id:tuberculin:20190301221354j:image

ツベルクリン所有ということを示すために、"ツベルクリンのもの"と書いた紙を添付しています。今までは割りばしの袋を使ってましたが、幅が広すぎるので、今回はレシートの裏を使いました♪

 

1ページ目を開いてみますね
f:id:tuberculin:20190301221348j:image

209年前の本なんでボロボロですわ(;´・ω・)

右側のページ上には"文化7年庚午秋開彫"とあります。文化7年とは1810年のこと。庚午(こうご・かのえうま)は干支のこと。この時代はコピー機なんてないので、本を出版するときは木版印刷(つまり版画)でした。開彫とは版画の文字を彫る、もっといえば出版した、という意味ぐらいに考えておきましょう。

 

前述したように、(第1回)では、"序論"部分を読んで行こうと思います

f:id:tuberculin:20190301234642j:image

 1行目から現代語訳していきます

「旅行へ行く人は、それぞれ仕事の合間に時間を見つけて、伊勢神宮へお参りする計画を立て、一緒に旅行へ行く約束をした人と日程の調整をし、いつ旅立つのが吉なのか確認して、みんなからお小遣いをもらい、旅の出発に向けてテンションが上がっていきます。」

「いざ、旅立ちの日が来れば、親戚や友人が見送りに来てくれるし、送別会も開いてくれるし、旅のアドバイスを書いたものを親切に渡してくれるし、そういう光景を見てると羨ましいですよね」

 

1行目に"伊勢神宮"という文字が確認できると思います(たぶん)。やはり一番人気の観光地は伊勢神宮であり、人生に1度はお参りをしたいと思っていました。この頃の伊勢神宮参拝者数は200万人にものぼり(新幹線とか無いのに)、めっちゃブームだったんですね。

 

歩いて行くのでめっちゃ日数かかるし、めっちゃ費用もかかります。そのために、当時の人々は伊勢神宮へ行きたい人同士で「伊勢講(いせこう)」というグループを結成していました。毎年みんなでお金を出し合って、代表者2~3人の旅費としていたのです。『今年は〇〇さんと〇〇さんがお伊勢さん行って、来年は〇〇さんと〇〇さんやね』みたいに、1回は伊勢神宮に行けるようにグループ内で配慮がされていました。

 

もちろん、出発前に貰える餞別やお小遣いも貴重な旅費となりました。全行程徒歩のため、多少の危険を伴います。そのため、必ず2~3人1組で旅行をしていたようです。

 

 

f:id:tuberculin:20190301234708j:image

 1行目から3行目

「旅行であっても、仕事であっても全国へ旅立つ人は、老人であろうが若人であろうが張り切っています。これほど頼もしいことはありません」

 

4行目からの"東国の人は~”の部分

「東日本に住んでいる人は、伊勢はもとより、奈良、京都、大阪、四国、そして九州まで旧跡や神社仏閣を巡り、西日本からの人は伊勢から始まり、江戸、鹿島神宮(茨城県)、日光(栃木県)、松島(宮城県)、善光寺(長野県)とか見ると良いですよ」

 

8行目からの部分

「そして、家内安全、商売繁盛、。家の主人はもちろん、家族親戚や奉公人のお願いを伊勢神宮にお届けすることは、きっと日本全体のご利益へとつながっていくでしょう。」

 

今も昔も、旅行前は張り切っちゃうってことですね。そして、とりあえず東日本の人も西日本の人も伊勢神宮に行きましょうってことですね。

 

f:id:tuberculin:20190302000512j:image

2行目下のほうに"士農工商"というワードがあります。そこからの訳です

「そもそも士農工商というのがあっても、みんながそれぞれやるべき事をしっかりと果たせば、一日も貧しい思いをすることはなく、生涯楽しく暮らすことができます。これは、神様や仏様の教えを守ることにもつながります。」

 

6行目下の"その中に富貴~"から

「その中には、お金持ちでも病気で精神的に弱っているひともいるでしょうが、自分の足で旅に出かけ、珍しい景色を見ながら山越えをして霊場へたどり着くことが大事です」

 

タクシーなんて使うな、歩きやがれ!ってことですわ(*´ω`)


f:id:tuberculin:20190302000452j:image

1行目から

「病気を理由に、金を使って駕籠(かご)で旅行したって、貧しくとも健康である人たちの得る旅行の楽しさにはかないません。つまり、貧乏であろうが金持ちであろうが、旅行が出来る丈夫な身体を持っていることが一番大切なのです」

 

7行目冒頭の"扨(さて)、旅行する人~"から

「さて、旅行する人に、旅立ちの日から心得て欲しいことがあります。たとえ、家来が同行する旅行でも、服や草履の準備は自分自身で行ってください。旅行中の食べ物も、いつも食べられると思わないでください。これもいい修行と思いましょう」
f:id:tuberculin:20190302000456j:image

2行目"されど泊土地~"から

「でも、宿泊するところでは、その土地によって塩加減が違っていたり、自分が普段食べている物と味付けが違うことがあります。このことは事前にしっておいてくださいね」

 

4行目から

「旅行中は、雨風が強くなったり、旅館の都合で早朝より霧の中を山越えしなくてはならなかったり、旅館の布団が薄くて寒かったり、旅仲間と喧嘩したり、足を痛めて遅れる人が出てきたり、寒暖の差で病気になったりとあらゆるトラブルが起こりうるのです。」

 

ホテルの布団が薄くて寝れないんだけど的クレームは、今でも受けますね(;´・ω・)

 


f:id:tuberculin:20190302000507j:image

1行目より

「病気やけがに関しては自分で手当てをしたりしないように。長旅にはトラブルがつきものです。旅は若者のよき修行といえます。ことわざでも"かわいい子には旅をさせよ"っていうじゃないですか。」

 

かわいい子には旅をさせよ"ってことわざは、この頃からすでに浸透していたようですね。

 

5行目真ん中の"旅行せぬ人~"より

「旅行しない人は、身分にかかわらず旅行の大変さを知りませんから"旅行なんて娯楽だろ?"と勘違いしているので、人情が薄く、人との接し方を知らないタイプの人間になりやすいと言えます。陰で指をさされ笑われることもあるでしょうね」

 

旅行しない人=人間のクズ、らしいです(*´ω`)

 


f:id:tuberculin:20190302000444j:image

前ページ最終行"大名公家~”より

「大名や公家などの、身分が高い人でも、風の強い悪天候の日や増水による川止め(川を渡れないこと)などは、自分の思い通りにならないので、一般庶民と同じように我慢しています。」

 

江戸時代の旅行中に一番つらいのが、川の増水による川止めでしょう。この当時は、大きな川には橋がかけられていませんでした。造る技術が無かったわけではなく、江戸幕府が『橋を作るな!』と指示したのです。大名が反乱を起こして江戸へ攻めてきた場合に、川で足止めを食らわせるためです。

 

そのため、大きな川には、川渡し屋さんがいました。

f:id:tuberculin:20190302013009j:plain

出典:https://kotobank.jp/word/%E5%B7%9D%E4%BC%9A%E6%89%80-48180

こういうイメージ。駕籠は値段が高いので、普通はかたぐるましてもらって渡っていました。川の深さによって値段が変動したようです。

 

増水すれば川を渡れませんので、川止めを食らいます。すると余計に日数がかかったわけですね~(´・ω・`)

 

 

2行目下"世上の人~”より

「世間の人は、旅の困難を乗り越えることで人情を理解し、他人を思いやることを覚えます。そういう人は"良い人"といわれ、立身出世をし子孫繁栄につながるのです。"かわいい子には旅をさせよ"という教えは、そういうことを言っているのです。」

 

 

6行目下"余若きより~"より

「(筆者である)自分は若いころか旅行が好きだったので、旅行へ行く友人から助言を求められた際には、その都度注意書きをメモして渡しておりました。」



f:id:tuberculin:20190302000501j:image

 1行目より

「ただ最近は、年をとったので筆をとるのも煩わしくなってきて、なかなか個々にアドバイスをすることが出来なくなってきました。そこで、これまでいろんな人にアドバイスしてきた内容をまとめて、本にすることにしました。これを"旅行用心集"と名付けて、これから旅行に出かける皆さまへの良きバイブルとなればいいなと思います」

文化庚午6月 八偶芦庵

 

 

といった感じで、この『旅行用心集』を読んで行きます。次回以降は、具体的な旅行のアドバイスが書いてある部分をご紹介していきます。江戸時代の人々がどんなことに気を付けて旅行をしていたのか、うかがい知ることができますわ(´・ω・`)

 

とりあえず、江戸時代の本にコーヒーこぼさないように気を付けますわ(*'▽')

 

はてなブックマークはてなスターーー乱射、なんでも大歓迎です♪

読者登録はこちらから出来ますわ♪

 

【スポンサーリンク】