日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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街の景色や様子の移り変わりを航空写真で比較していく記事

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【学校で教えてくれない社会科】は、社会科の教員免許を所有している私ツベルクリンが、学校で教えてくれないような役立たない社会科の授業をしていくシリーズ記事です。今回21時間目の授業は、街の景色や様子の移り変わりを航空写真で比較していきましょう。

 

皆さん、暇なときって何をされて過ごしていますか?私は1日中、国土地理院が提供している航空写真をひたすら眺めています(*'ω'*)

www.gsi.go.jp

 

航空写真」とは、飛行機に搭載された航空カメラによって撮影された写真のことです。国土地理院のHPでは、そのカメラによって撮影された地上の様子を無料で閲覧できるようになっているのです。

 

航空写真はそれこそ戦前の旧日本軍の時代から撮影されてきており、戦後も定期的に飛行機を飛ばして撮影されています。ということは、過去の航空写真を見比べることでその街の景色や様子の移り変わりを知ることが出来るのです。

 

21時間目の今回は、いくつかのカテゴリーごとに分類し、航空写真を用いて過去から現在への街の移り変わりを学習していきます。なお、航空写真の出典は全て国土地理院の航空写真閲覧サービスのページより借用しています。

出典:地図・空中写真・地理調査 | 国土地理院

 

 

<目次>

 

 

 

街の発展の様子を見比べる

 

この章では街の発展にスポットを当てて航空写真を見比べていきましょう。

 

国立競技場(東京都)

上から2009年→2017年→2019年

 

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赤丸が国立競技場。1958年に開場した旧国立競技場は、前回の東京オリンピックでも主会場になりました。老朽化のため、2014年をもって閉場。2016年から建て替え工事が進められ、2019年12月に新国立競技場が完成。

 

 

 

六本木周辺(東京都)

 

上→1992年 下→2019年

 

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六本木の顔とも言えるのが六本木ヒルズ。写真上赤丸の地点に存在します。六本木ヒルズは2003年に完成、その中にテレビ朝日が入っています。

 

現在の六本木ヒルズは、元々は木造家屋が密集している下町感あふれる住宅地でした。その住宅地のすぐ近くに旧テレ朝が存在していました。90年代以降の六本木再開発によって木造住宅群は姿を消していったのです。

 

ヒルズのすぐ右横にあるカーブ道は「けやき坂」と言って今でも残されています。秋元康プロデュースのアイドルの名前(けやき坂46。現在では改名し日向坂46)の由来となった坂です。

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出典:けやき坂 クチコミ・アクセス・営業時間|六本木【フォートラベル】

 

 

 

多摩ニュータウン(東京都)

 

高度経済成長期に大規模宅地開発が進んだ東京都多摩地区の移り変わりを見ていきましょう。まずは、多摩センター駅周辺から。

 

 

上→1979年 下→2008年

 

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多摩センター駅(写真上の赤丸)は、1974年の開業。最初は京王、その後に小田急が乗り入れました。1979年時点で(1枚目の写真)、右下の団地群(落合団地、1975年供給開始)は出来上がっていますけど、肝心の駅前はまだ更地です。

 

現在では多摩センター駅前は商業施設が立ち並び、キティちゃんの巣窟であるサンリオピューランドも駅前にあります。地方のクソ田舎の県庁所在地並みに栄えている気がします(*'ω'*)

 

 

 

1979年の時点では、多摩センター駅が終着駅のようです。2008年の写真を見ると西に延伸していることがうかがえます。多摩センター駅からさらに西側はどうなっているのでしょう。現在の京王堀之内駅(多摩センターの次の駅)付近を見てみましょう。

 

上→1979年 下→2019年

 

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赤丸が京王堀之内駅です。1枚目(1979年)の時点では駅は存在していません。右下のゴルフ場(府中カントリークラブ)はすでに開業していたようです。1989年に多摩センター駅からこの堀之内駅まで延伸開業しましたが、それと連動するように山林が開発され住宅地化していったようです。まさに、『平成狸合戦ぽんぽこ』の世界観です。観てない人は観てね。

 


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ちなみに、堀之内駅まで延伸する際にどうしてもゴルフ場を通過しなければならなかったので、ゴルフ場に多額の保証金を払ってゴルフ場の地下にトンネルを通して開通させました。

 

 

 

千里ニュータウン(大阪府吹田市)

東京の多摩ニュータウンよりも先に大規模宅地開発がすすめられたのが大阪府吹田市と豊中市にまたがる千里ニュータウンです。

 

あまりにも劇的に変わり過ぎたエリアを見比べる場合は、時代を経ても不変なものを目印にすると比較しやすいです。ここでは、各写真右下のため池(赤丸)を基準にして比べてみます。

 

 

上から1961年→1984年→2012年

 

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千里ニュータウンは千里丘陵という丘陵地に造成された街です。つまりは、1枚目の写真を見たらお分かりのようにクソ田舎です。それが、2枚目になると一気に宅地開発が進んでいます。

 

2枚目以降の写真真ん中を南北に貫く道は新御堂筋であり、鉄道も敷設されています。まさに千里ニュータウンの全盛期って感じです。

 

ただ、1980年代に成長のピークを迎えたようで、3枚目(2012年)でも特に発展している様子は見受けられません。実は、千里ニュータウンを始めとする高度経済成長期に造成された各地のニュータウンは現在、少子高齢化に悩まされています。

 

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出典:https://newtown-sketch.com/blog/20140517-9287

 

子供は独立したら家を出ていきますし、でもニュータウンは住み心地がいいから親世代はそのまま留まるので、必然的に平均年齢は上がっていきます。田舎でもないのに、限界集落(人口の50%以上が65歳以上のエリア)化してしまうニュータウンも出てきており、今後の対策が必要です。

 

 

 

高蔵寺ニュータウン(愛知県春日井市)

大阪の千里ニュータウンと同時期に開発されたのが愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンです。例の如く、ため池(赤丸)を基準にして見比べましょう。

 

 

上から1965年→1974年→2000年

 

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こちらも、丘陵地帯を開発して大規模住宅地を開発しています。最初に左側(西側)を開発し、70年代以降に右側(東側)が整備されていったようです。右下の緑が残っているエリアには、自衛隊の基地があります。


大阪の千里ニュータウンは、宅地開発とともに交通網の整備(鉄道)が為されましたが、高蔵寺の方は『どうせマイカーで移動するっしょ(๑・̑◡・̑๑)』的思考で、交通機関はバスのみです。

 

となると、高齢化が進み免許返納を考える人も増えていくと、高齢者の足の確保をどうするのか、という問題が生じてきます。丘陵地帯に住宅地作っちゃったので、アップダウンが激しい土地ですからね、膝にダメージが(๑・̑◡・̑๑)

 

 

 

百道海岸の埋め立て(福岡県)

埋め立てによる港湾(ウォーターフロント)開発も町の様子を一変させます。福岡県福岡市の開発の様子を見ていきましょう。

 

 

上→1975年 下→2020年

 

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福岡県福岡市の港湾開発の様子です。2つの写真に引いてある赤線は同じ位置です。旧海岸線は百道(ももち)海岸と呼ばれ海水浴場になっていました。『サザエさん』の作者、長谷川町子氏がサザエさんのキャラクターの構想を練ったのもこの海岸だと言われています。

 

1980年代に開発が進み、埋め立てによって陸地が広がりました。現在では、埋め立て地に福岡PayPayドーム(青丸)が建設され、福岡ソフトバンクホークスの本拠地になっています。

 

 

 

普天間基地(沖縄県)

戦後、日本各地にアメリカ軍が駐留し基地が新設されていきました。アメリカ軍基地の存在はその地域にどのような影響を与えるのでしょうか?

 

 

上から1945年→1977年→2019年

 

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普天間基地は、沖縄戦真っ只中に普天間地区を占領したアメリカ軍によって作られました。作られる前は熱帯雨林のような場所でした。

 

反発を招くような表現になりますが、沖縄のアメリカ軍基地の恩恵を述べるならば、基地は雇用を生むのです。2枚目、3枚目を見ていただければ、基地の周りに人が集まっている事が分かります。

 

基地の周りには、基地で働く人(もしくは基地で働く人に対して商売する人)が集まります。そして、さらに基地で働く人に対して商売する人に商売する人も集まってきます。一面的な見方なんですけど、公共事業と同じで、基地はその地域の雇用を生み出すという側面もあるのです。

 

 

 

 

 

 

災害の発生前後を見比べる

 

この章では、災害などによって街がどのように変わってしまったのか、航空写真で見比べていきます。

 

南三陸町(東日本大震災)

2011年3月11日に発生した東日本大震災は各地に甚大な被害をもたらしました。地震そのものよりも津波の被害が大きく、街を一変させてしまいました。

 

 

上から2008年→2013年→2019年

 

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2011年に発生した東日本大震災によって南三陸町は壊滅的被害を受けました。2枚の写真を見比べてみると、津波が街を飲み込んだ情景が想像出来ます。

 

そして、2019年の写真を見てみると、少しずつですが復興が進んでいる様子が分かります。よく見ると山地を切り開いて土地が高い場所に新しく住宅地が造成されていることもうかがえます。

 

 

岡山県真備地区(平成30年7月豪雨)

続いて、平成30年(2018年)7月豪雨で被害を受けた岡山県真備地区の様子を見ていきます。

 

 

上→2007年 下→2018年

 

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写真下部(南側)の小田川が氾濫し、真備町だけで51名が犠牲になっています。2007年の写真(上)で確認出来る様に、真備地区では稲作が行われており、豪雨当時も穂が植えられていたと思われますが、全滅しています。

 

 

 

長崎県島原地区(雲仙普賢岳噴火)

日本を襲うのは地震や水害だけではありません。火山の噴火によって被害を受けた長崎県島原地区を見ていきましょう。

 

 

上→1975年 下→1992年

 

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1990年より噴火活動が活発になった雲仙普賢岳は、1991年6月3日に大爆発を起こし火砕流が発生。2枚の写真上赤枠は同じエリアを指し、1991年の噴火ではこの赤枠エリアに沿って火砕流が襲いました。

 

 

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出典:水無川 (長崎県) - Wikipedia

赤枠に沿って水無川という川が存在します。文字通り降雨の際にしか水が流れない川で、この川に沿って火砕流が普賢岳から流れてきたのです。

 

 

 

阿蘇大橋(熊本地震)

同じ九州で平成28年(2016年)4月に発生した熊本地震の影響を航空写真で見ていきましょう。

 

上→2013年 下→2016年

 

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赤枠の場所には阿蘇大橋が架けられていました。上の写真(2013年)で橋の存在が確認できると思います。私も熊本のツアーで通過したことがある橋です。2016年の熊本地震で土砂崩れが起き、その影響で橋は崩落。地震発生当時、付近を通過していた大学生が車ごと流され亡くなったのは皆様のご記憶にもあろうかと思います。

 

阿蘇大橋はその後、同じ場所で再建することは不可能と判断され、元の位置より600m下流に新しく架けかえられました。なお、元の崩落した阿蘇大橋は残存した橋桁を震災遺構として残すことが決まってます。

 

 

 

広島市(原爆投下)

災害では無いですが、1945年(昭和20年)8月の広島は取り上げなければならないでしょう。

 

上→1945年7月26日 下→同年8月11日

 

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赤丸は原爆ドーム(旧広島産業奨励館)、青丸は広島城です。広島城は1945年まで現存天守としてその雄姿を誇っていましたが、原爆によって全壊してしまいました。

 

原爆投下候補地として広島市を挙げていたアメリカ軍は、広島に対してあえて空襲を行いませんでした。45年7月の写真を見れば、街がほとんど被害を受けていないことが分かります。

 

ちなみに、この写真撮影したのはアメリカ軍ですからね。原爆投下前に視察に来ていたのです。航空写真を見ると、人の住む街にあのような大量破壊兵器を投下したことの是非を問わずにはいられないのです。

 

 

 

 

 

テーマパークが出来る前と後を見比べる

 

テーマパークはその範囲が広いので、出来上がるとその土地の様子は一変します。いくつかのテーマパークの建設前後を見比べていきましょう。

 

東京ディズニーリゾート(千葉県)

まずは東京ディズニーランド&ディズニーシーから。

 

上から1975年→1984年→2009年

 

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ディズニーランドがある千葉県浦安市の海岸には、戦前まで行徳塩田という塩田が存在していました。戦後、塩田の埋め立てが進み倉庫群として活用されてきました。

 

1981年より工事が始まった東京ディズニーランドは1983年4月に開業、その後2001年9月に隣接する形で東京ディズニーシーが開業しました。

 

 

 

ユニバーサルスタジジャパン(大阪府)

 

上から1985年→1999年→2007年

 

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赤枠がUSJの位置を示しています。もともとこの地区は「此花西部臨海地区」という工業地域でした。大阪市側がここに誘致したのです。1998年から工事が進められ、2001年3月31に開業しています。

 

1枚目(1975年)の写真を見ると、真ん中に線路が通っているのが分かります。これは当時の国鉄桜島線です。USJ建設のため、線路を建設予定地外の南側にずらしました。

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現在ではUSJ南側のトンネルの中を走行しています。国鉄桜島線は現在ではJRゆめ咲線と改称しており、新しくユニバーサルシティ駅が新設されました。

 

 

 

志摩スペイン村(三重県)

 

上→1975年 下→2019年

 

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志摩スペイン村は、近鉄が運営しているテーマパークで1994年に開演しました。もともと近鉄が所有していた社有地に建設をしました。林を切り開いて無理やり作ってる感溢れます。なお、本当はもっと大規模にリゾートを展開したかったようですが、バブル崩壊のため白紙になってしまったようです

 

なお、2枚目の写真でも分かるように、スペイン村と道路を挟んで反対側に新しくソーラーパネルが設置されています。これも近鉄所有であり、2013年に完成しました。

 

 

 

ハウステンボス(長崎県)

 

上→1975年 下→2010年

 

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オランダをモチーフにした長崎県佐世保市のテーマパーク、ハウステンボス。1992年に開業しています。広さはディズニーランド&シー2つ合わせた面積とほぼ同じ、日本最大級のテーマパークです。

 

元々は、長崎県が工業誘致していた土地だったのですが、工業用水の確保が難しい土地だったらしく、誰も買い手が付かず放置されていた荒れ果てた土地でした。そんな荒廃した土地にハウステンボスは建設されたのです。

 

ヘドロで埋め立てられた土地だったので土壌環境は最悪でした。テーマパーク建設に際して、まずは土壌の改良から行われました。そんな背景を持つ故、ハウステンボスは環境に優しいテーマパークを目指して今日まで運営されてきました。

 

ハウステンボスが他のテーマパークと違う点は、ハウステンボスそのものが住所になっている点です。ハウステンボスの住所は「長崎県佐世保市ハウステンボス町1‐1」です。テーマパークっていうか町です(*'ω'*)

 

 

 

 

終わりに…

こういう記事面白かったですかね?もし興味を持ったとしても『私の趣味は航空写真を見ることです』とか言ったら98%引かれちゃいますのでお気を付けください。

 


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