日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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【時には昔の雑誌を…】『non-no』1975年(昭和50年)11月5日発行

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【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、筆者である私所有の昔の雑誌を、解説を入れながら読んで行くシリーズ記事です。今回は、1975年(昭和50年)11月5日発行『non-no』を読んでいきましょう。

 

 

『non-no』を読まなくなってはや数十年が経過してしまった皆さん、こんにちは(*'ω'*)

 

『non-no(ノンノ)』とは、主に20歳前後の女性をターゲットにした女性雑誌です。集英社が発行しており、マガジンハウス社が発行している『anan』と双璧をなす女性雑誌として知られています。

 

もちろん、令和の今現在も普通に発行されている雑誌ですが、創刊したのは1971年(昭和46年)5月と結構昭和臭漂う時代です(๑・̑◡・̑๑)

 

『non-no』も『anan』も、ファッションや美容情報だけではなく、旅行情報も載せていました。そのため、1970年〜80年代には雑誌片手に観光地を闊歩する若い女性が見られるようになりました。彼女らは"アンノン族"と呼ばれ、観光地側も若い女性に受けるような街づくりを意識しだすようになりました。

 

今回ご紹介する1975年は、まさにアンノン族が取り上げられだした時期でもあります。当時の20歳が読んでいたと想定すれば、現在70歳前後の女性が過ごしていた若き日を皆さまに雑誌を通してご紹介していきましょう。

 

 

 

<目次>

 

 

 

 

 

表紙&目次ページ

 

 

表紙の外国人モデルはマージー・ホワイトさんという方。全然ネット上に情報が出てこなかったですけど、当時資生堂のCMに出演されておられたのを発見いたしました。

 


www.youtube.com

 

1974年秋の資生堂のキャッチコピーが"海岸通りのぶどう色"だったようで、そのCMにマージーホワイトさんが起用されていました。

 

 

 

 

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裏表紙は吉沢京子さん。1975年当時21歳。

吉沢京子 - Wikipedia

 

『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』など時代劇で活躍された女優さん。毛糸の広告って今はあんまり見かけないですよね。今あんまり手編みのセーターとかマフラーをプレゼントする人ってあんまりいないのかなぁ~(*'ω'*)

 

 

 

 

目次のページ

 

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今年のコート特集


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季節は秋ですからね、ロングコート特集がされています。自分は全然ファッションの歴史とか詳しくないんですけど、70年代のファッションって令和でも通用する気がしません?80年代バブル期の主張が激しい肩パット時代と違って、古いんだけど古めかしさを感じない気がします(*'ω'*)

 

 

 


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2026年に主張が激しい肩パッドジャケットを着てたら『‥‥タイムトラベラーかな?』って思われそうですけど、これらの70年代ロングコートなら普通にヴィンテージファッションとして受け入れられそうです。

 

 

 

 

 

秋のキャンパスルック


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20歳前後の女性がターゲットなので、大学へ着ていく服のコーディネート集みたいなページもありました。ところで、1975年当時の大学進学率ってどうだったのか調べてみると、女性に限れば

 

4年制大学進学率→12.7%

短期大学進学率→20.2%

出典:学校基本調査 (参考資料)年次統計総括表 4 進学率(1948年~) | 統計表・グラフ表示| 政府統計の総合窓口

 

といった状況でした(現在は4年制が50%以上、短大が10%未満といって具合)。つまり、キャンパスライフを過ごすことが出来たのは3人に1人という計算になります。

 

 

この70年代中盤の女性ファッションの流行についてですが、その代表として挙げられるスタイルが「ニュートラ」です。

 

出典:70年代ファッションを振り返り! 一世を風靡した「ニュートラ」を解説 - JJ

 

ニュー・トラディショナルの略。神戸の女子大生から広まったとされている着こなし。シャツと膝下丈のタイトスカートの組み合わせが代表的なコーディネートで、ブランド物の小物を合わせるのが特徴でした。日本の女性が海外のブランド品を好むようになったのはニュートラの流行がきっかけとも言われています。



とはいえ、この『non‐no』ではあまりニュートラが意識されている感はないんですよね。1975年後半から流行り出したようなので11月号発行の時点ではまだ黎明期だったんですかね?

 

 

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このあたりのファッションは時代を感じるんですよね~。こう上手く説明できないんですけど、令和世代のファッションって昭和時代ほど色鮮やかじゃない気がするんですよね。はっきりとして色の服を着るのが昭和って感じがします(個人の意見です)

 

 


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ニュートラの特徴として、靴や小物に金具の飾りをあしらっていたという点が挙げられます。上の小物一覧を見る限りでは、まだその流行の波は来ていないっぽいですね。

 

 

 

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文房具は急に70年代感が爆発しています。私の母方のおばあちゃん家に母親(1959年生まれ)が使っていた部屋が残っているんですが、こんな感じの文房具が無造作に置かれてましたわ(*'ω'*)

 

 

 

スカート研究ページ

 

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『あなたは、これだけは、というお気に入りのスカートを持っていますか?』という挑発から始まるスカート特集ページ。とりあえず写真バンバン貼っていくので各自懐かしんでください(*'ω'*)

 

 

 


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とにかくストレートスカートのゴリ押し。裾が広がったフレアスカートが対抗馬として挙げられるでしょうが、1975年の『non-no』はとにかくストレート(*'ω'*)

 

 

 

 

秋冬のセーター特集

 

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こちらはバルキーセーターのページ。バルキーとはかさばった&大きいという意味があります。今ではバルキーニットという呼ばれ方もされます。

 


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このあたりは令和の今でもファッションのカテゴリーとして存在しているので、このページのセーターをそっくりそのまま現代に持ってきても十分街中で浮かない気はします。

 

ってかバブル期の肩パッドジャケットが異常であって、それ以前の70年代ファッションは色味さえ気を付ければ今でも十分着こなせそうな気はします。

 

 

 

 


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資生堂の美容相談のページ


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一般女性の美容のお悩みに資生堂がお答えするページ。1975年11月号では小高智子さんという方が登場しています。

 

文章を読むと『智子さんのお父さんは、元ゼロ戦のパイロット。日本の撃墜王だったそうです。厳格に育てられた智子さん、ただ今花嫁修業中。』とあります。

 

親がゼロ戦パイロットって時代を感じますわ(*'ω'*)。撃墜王って呼ばれてたってことは有名なパイロットだと思うので調べたら、ヒットしました。

 

 

 

"総撃墜数は単独共同含め105機撃墜、潜水艦2隻撃沈(中略)復員後、1946年看板塗装業、鈑金業に従事。1954年からオートバイ修理販売業に従事し、1961年松本市にホンダ代理店の小高誠輪社を創立、社長に就任。オートバイのセールスマンとして日本一の成績を挙げて表彰されたこともあった。経営のかたわら、所有するセスナ機を自ら操縦して飛んでいた"

出典:小高登貫 - Wikipedia

 

 

なんかすごい(*'ω'*)

 

 


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花嫁募集ってありましたけど、娘さんをくどき落とすよりお父さんを落とす方が難しいんじゃ‥(*'ω'*)

 

 

 

 

 

尾瀬特集ページ

 


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『non-no』ファッションだけではなく、旅行ガイド特集も組まれていました。『non-no』で学んだファッションで女子旅に出かける、みたいなノリが70~80年代にかけて流行ったのです。

 

1975年11月号では、尾瀬が特集されています。尾瀬とは、福島・新潟・群馬・栃木の4県にまたがる、本州最大級の高原湿地帯を指します。現在では、トレッキングコースが整備されてハイキングを楽しむことができます。

 

 

尾瀬に行ったことが無くても

 

出典:尾瀬ナビ - 尾瀬ヶ原・尾瀬沼/広大な湿原を進む、尾瀬の王道ハイキング - 尾瀬ハイキングコース | 山と溪谷オンライン

 

この景色に見覚えがあったりしませんか?ここです(*'ω'*)

 

 

 

昭和20~30年代に尾瀬ブームが起こり、全国から観光客が押しよせた結果、ゴミの放置や湿原を踏み荒らすなどの環境破壊行為が目立つようになりました。観光客が行きやすいように新たに道路建設も計画され、一部工事が開始されたことで尾瀬の環境破壊は進む一方でした。

 

 

 

出典:ふくしま尾瀬

上2枚の写真は、昭和20~30年代の尾瀬で撮影されたものです。湿原の中を歩いたり立ち入って座って写真撮影とか今の尾瀬の常識に照らし合わせたらファンキーそのものなんですが、これらが普通に行われていました。

 

 

 

 

また、ゴミを持ち帰る習慣がまだ無かったころなので、尾瀬ヶ原のゴミ箱はこんな感じ。私は添乗員時代に複数回尾瀬に行っていますが、今考えたらありえない光景ではあります。

 

 

昭和40年代以降、環境保護の動きが活発になり、道路建設は中止。湿原保護のため木道が整備され、湿原内は立ち入り禁止に。またゴミ箱が撤去され、ゴミ持ち帰り運動がはじまりました。これは1960年代後半から70年代にかけての動きです。

 

 

よって、『non-no』が尾瀬を特集した1975年というのは、尾瀬の環境保護が進められ始めた時期でもあるわけです。


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尾瀬の地図イラストから70年代ユースホテル全盛期感が漂ってきます。ユースホテル泊まったことないけど、ユースホテルの雰囲気は好きです(๑・̑◡・̑๑)

 

 

 

 

読者からのお便りコーナー

 

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読者が好き勝手手紙を送ってきてそれに編集者(ここではペンネーム冷やっこさん)が適当に答えるという、Twitterみたいな空間のページです。50年の時を超えていくつかお便りを紹介していきますね(๑・̑◡・̑๑)

 

 

 

  • チクショー!女にフラれたのだ。女心は分からない。6回もキスしたのに。冷やっこ、いや全国の女性よ、キスとはどういうもいのなのか。そんなにポイっと捨ててもいいものなのか。(J君
  • 何十回キスをしよと、捨てられる時は捨てられるのだ(冷やっこ

 

いきなり切り捨ててきたわ(*'ω'*)

 

 

 

 

  • かわいいでしょ?私の赤ちゃんですヨ(チンパンジーを抱いた写真)。とってもかわいいところが似てるの。とっても人になついていて、まるで人間の赤ちゃんと一緒です。私にチューしてくれました(真致子
  • 人間にしてもらえないものだから、チンパンジーで我慢しているのだな(冷やっこ

 

もうさっきのJ君と真致子さんでキスして来いよ(*'ω'*)

 

 

 

 

  • 寅年生まれのさそり座の女、独身。20歳で恋愛、22歳で結婚、25歳で出産という計画表だった。20歳で恋愛、これはよかった。22歳で失恋、ここで大きく人生変わってしまったのだ。もうすぐ25歳というのに、ノンノをむさぼり読んでいるということが、だいたいにしておかしいのだ。計画表によれば、育児書を読んでいなければならないはずなのに…(あせりぎみの直ちゃん
  • 私も計画表によれば今ごろは、言い寄る男をバッタバタと投げ倒しているはずだった…(冷やっこ

 

1975年時点の女性の平均初婚年齢は24.7歳でした。20歳前後がターゲットのノンノを25歳になっても読んでいると自虐している時点で、相当生き遅れている感を感じていたんでしょうね(*'ω'*)

 

 

 

 

 

広告のページ

 

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今では受験合格祈願チョコに昇格しちゃってるキットカット。1930年代にイギリスで誕生したお菓子で、日本には1973年に上陸しました。

 

 

 

 


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ニベア400円(140g)って書いてます。これ今と値段あまり変わら無くね?(*'ω'*)

 


ニベア スキンミルク しっとり 120g 花王 Nスキンミルク シツトリ120
 

 

120gで385円で売ってました。

 

ちなみに、1975年当時の大卒初任給は8万93000円。単純に考えると当時の物価は今の半分いかないくらい、ってことになります。

 

 

 

 

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トリートメントの広告。容器のデザインがもう70年代感香ばしくて好きです。

 

ちょっと話はそれますが、今では考えにくいことですけど、この時代はシャンプーするのは週2、3回程度であったとされています。毎日シャンプーするのが多数派になったのは90年代半ば以降だと言われています。

 

 

 

 

 


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この時代はビンの方が主流だったと思われます。80年代以降は缶が増え、90年~00年代以降はペットボトルが主流になっていった感じですかね。

 

 

 

 


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ネスカフェのゴールドブレンドシリーズ。通常verは金色、カフェインレスは赤色ラベル。モデルはピアニストの中村紘子さん。

 

 

 

 

 


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ヘアードレッサーの広告。この姿かたちがもう70年代(*'ω'*)

 

 

 

 

 


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日本航空(JAL)の広告。定期的に客室乗務員の制服って変わっていってるんですが、この当時は5代目制服(1970年~77年)の時代だったようですね。

 

制服の歴史-JAL客室乗務員|会社情報|JAL企業サイト

 

 

 

 


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おばあちゃん家にありがちなブルボンシリーズ。レーズンサンドが好きだったわ(*'ω'*)

 

 

 

 

終わりに…

 

色々偉そうに解説してきましたけども、この時代に生きていないので当時の詳しい世情が分からないんですよね。失礼を承知で引用いたしますが、この時代に青春を過ごしていたであろう、ちえ様(ちえのシニアライフ)とmiyako様(♛Queens lab.)にご伝授いただきたいと勝手に思っています(*'ω'*)

 

 

 

<懐かしさが込み上げてくる過去記事>

 

www.tuberculin.net

 

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www.tuberculin.net

 

 

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