日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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【保存版】今は消えた昭和の仕事をまとめました

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 【保存版】シリーズは、筆者であるツベルクリンが色々なジャンルの有益かつ無益な情報を書いていくシリーズ記事です。今回は「今は消えた昭和の仕事」をまとめました。

 

定期的に特集されるネタとして「10年後には無くなる仕事!」みたいなヤツがあるじゃないですか。

10年後、AIによってなくなる仕事13選。なくならない仕事も紹介 | テックキャンプ ブログ

例えば、スーパーやコンビニのレジ打ちなんてその最たるものです。10年後にはたぶんほとんどの商店で無人レジが導入されているんじゃないでしょうか?

 

このように、将来的な技術の発達によって無くなってしまいそうな仕事って結構あります。ってことは、令和の現在においてすでに無くなっている(もしくは絶滅危惧種)仕事が存在するはずです。

 

例えば、「電話交換手」などがそれに当たります。

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出典:http://www.historia-kuji.jp/

昭和40~50年代までの電話は、電話を掛けたい相手に直接つなげることが出来ず、電話交換手を通じて電話回線をつなげてもらう必要がありました。たぶん平成生まれ世代には何言ってんのか分かんない話だと思います。

 

昭和中期までは、人力でなんとかなっていたのですが、やがて電話の保有台数が増えていくと人力では対応が難しくなっていきました。そこに、自動の電話交換機が発明され、電話交換手の仕事は消えていったのです。

 

このように、技術の発達や社会の変化に伴い消えていった昭和期の仕事をいくつかご紹介していきましょう。

 

 

<目次>

 

 

 

 

 

紙芝居屋

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いくら当ブログの読者の年齢層が高いからと言って、子供の頃に紙芝居中毒になっていた人はいないでしょう。いないよね?(∩´∀`)

 

謎のおじさんの太鼓を鳴らす音が聞こえると、紙芝居中毒の患者たちがソロソロと集まってくるのです。子供たちにとって紙芝居は誘蛾灯みたいなもんです。

 

紙芝居といったら付き物なのが水あめです。そもそも平成生まれの私は水あめを食べたことがありません。もし、私が昭和30年代に生まれてたら絶対水あめを割りばしでこねくり回してたわ(*'ω'*)。得体のしれないおじさんが汚れた手でこねくり回したとかそんなん関係ないもの。

 

もちろん、紙芝居屋はボランティアではなく、れっきとしたビジネスです。水あめを10円(現在の50~60円ほど)で子供たちに売りつけ、水あめを買ってくれた子にだけ紙芝居を見せていたのです。なので、基本的には水あめ販売を先にやっていたのです。

 

しかしながら、紙芝居屋さんの労働時間って小学生がビジネス相手ですから午後4時~午後6時の2時間くらいですよね(土曜日は"半ドン"だったから多少労働時間が伸びたのかしら?)。収入はたいしたことないでしょうが、少し羨ましい部分もあります。

 

 

 

 

三助

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出典:https://mainichi.jp/

平成生まれはおそらく「三助(さんすけ)」という言葉さえ知らないのではないでしょうか?三助とは、銭湯で背中流しをしてくれる男性従業員のことを指します。

 

入浴料とは別に「流し代」を支払うと(流し代は入浴代と同じくらいの金額)、ちょうどいいタイミングで三助の人が浴場にやってきて背中はもちろん身体全体を洗い流してくれる(ついでにマッサージなんかも)のです。三助の仕事は、人目に付く背中流しの他に、湯沸かしや浴場の掃除など目につかない仕事もありました。

 

 

今では考えられないですが、男性の三助さんが女湯に入り、女性客の背中を流すことも普通にありました。もちろん、三助さんも女性客もお互い何とも思わなかったのです。むしろ、イケメンの三助さんは女性から人気だったようです。

 

現在では銭湯そのものの数が激減していますから、年々三助さんの数も減少し、ついに2013年には"最後の三助さん"が引退してしまいました。

“最後の三助さん”がいた、東京・日暮里の「斉藤湯」 (2016年11月2日) - エキサイトニュース

 

 

 

 

桶屋

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風が吹けば桶屋が儲かる」ってことわざがあるじゃないですか。知らない人はwikiってね!

風が吹けば桶屋が儲かる - Wikipedia

 

桶屋とは文字通り、桶を造る職人のことを指します。

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木材をどうやってこんなに円い器にできるんでしょうね?ということからも分かるように、桶を造ることはかなりの職人技を必要としました。なおかつ、昭和時代までは木材の桶の需要が高かったので、職人も数多く存在したのです。

 

もちろん、昭和期になれば金属製の桶も出回るようになりましたが、人々は金属製よりも木製の桶を買い求めました。味噌や漬物を金属の容器に保存しておくと金属が塩分で侵され風味が失われてしまうからです。

 

もっとも、1964年の東京オリンピック以後は、ポリエチレン製のバケツや洗面器が普及したことから、木製の桶の需要が低下し、それに伴い桶屋の数も激減していったのです。

 

 

 

靴磨き・靴修理

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昭和期において、革靴は非常に貴重な物でした。それに昔の道路は舗装されていなかったので、革靴はすぐに汚れたのです。そのため、靴を磨くことが職業として成立していた時代があったのです。

 

お客はサラリーマンが多いと思いきや女性客もいたようです。

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出典:https://www.pinterest.jp/

 

 

戦後すぐの頃は、戦争で親を亡くした子供たちが靴磨きに従事することが多かったようです。

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出典:http://hpmmuseum.jp/

 

戦争によって家や家族を失った戦争孤児は、終戦直後で12万人ほど日本にいたとされています。そんな彼らの生きる希望が靴磨きだったのです。

 

そんな靴磨きも、安い合成皮革の革靴が普及し、汚れても水洗い出来るようになりました。それに道路の舗装が進み、そもそも汚れないようになっていき靴磨きの数は減っていたのです。

 

 

 

 

汚穢屋(おわいや)

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平成生まれの私が小学生低学年のころまで、おばあちゃん家は「ボットン式」でした。昭和期の家庭のトイレは水洗トイレではなかったのです。

 

ボットンされたうん〇は、当然溜まったら業者に回収してもらわねばならないのですが、昭和中ごろまではそのう〇こをお金を払ってまで回収してくれる人たちがいました。各家庭をまわって、〇んこを回収してくれる人を「汚穢屋(おわいや)」と呼んだのです。

お金を出してまで回収したうん〇を何に使っていたかと言うと、農作業に用いる肥料代わりとして使用していました。昭和期はまだ化学肥料の値段が高く、購入するのが難しい農家もたくさんいました。零細農家ならば農家自身で、各家庭を回っていたのでしょうが、ある程度大きな農地を持つ農家であれば、人を雇ってう〇こを回収していたようです。

 

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出典:https://www.nakakamado.com/

回収してきたうんこは、肥溜めという大きな穴で熟成させていました。熟成後、柄杓などで畑に熟成うんこをばらまいていたのです。ですから昔の畑はそれはそれは香ばしい臭いがしたのです。それに、当時の小学生はクラスに1人、絶対肥溜めに落ちたヤツがいるはずです。

 

ただ、時代が下ると水洗トイレが普及し、安価な化学肥料が出回るようになったので、ウンコの出番が激減してしまいました。それに伴い、汚穢屋さんも消えたのです。

 

ちなみに、うんこを集めた桶のことを英語で「ハニー・バケット」と言います。なんとまあ皮肉の効いた表現だこと(*'ω'*)

 

 

 

貸本屋

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出典:貸本 - Wikipedia

昭和の中頃までは、一般庶民が気軽に本を買える時代ではありませんでした。現在の価値にして1冊2000円くらいしたのです。『買えないなら安い値段で貸してあげるよ~』と誘惑してきたのが貸本屋さんです。

 

貸本屋は、現在の価値で1冊100円(1泊2日)くらいで雑誌や漫画を貸してくれました。昭和期のTSUTAYAみたいな存在です。1 ~2週間前に発売された新刊を安く貸したので、貸本屋は大繁盛しました。

 

もっとも、時代が下ると本の値段が下がり始め、一般庶民でも普通に本を購入できるようになりました。それに、図書館が整備され始めたので、お金を出してまで借りる人が少なくなってきたのです。

 

もっとも、TSUTAYAは2007年より書籍のレンタルを始めました。個人経営の貸本屋は衰退してしまいましたが、漫画や雑誌のレンタルの需要はいまだに残っているようです。貸本業は古くからあるし、なおかつ新しい業種でもあるのです。

 

 

 

ポンポン菓子屋

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私が小学生の頃の楽しみの1つが、通学路にたまに現れるポンポン菓子屋さんから、少しの"おこぼれ"をもらうことでした。

 

平成生まれの私が小学生の時は、まだ通学路にポンポン菓子を販売する露天商の人が来ていたのです。大きな機械で爆発音を鳴らしながら作られるポンポン菓子を、物欲しそうな目で眺めているとたいてい手招きしてくれて、手のひらに出来立てのやつを乗せてくれたのです。『あとでお金をもらって買いにおいで』という露天商の人の期待があったのでしょうが、ついに1回も買いに戻ったことは無かったのです。ごめんなさい。

 

もちろん、スーパーとかでポンポン菓子売ってるんですよ。

 
9月5日限定\エントリー&楽天カード利用でP22倍以上/にんじん{お菓子 駄菓子 ポン菓子}{徳用 個包装 小分け 配布 問屋 業務用 景品}{イベント 子ども会 幼稚園 施設}【色柄指定不可】

 

なぜポンポン菓子の袋が三角形になっているかというと、途中で食べ残しても縛って保存できるようにしてあるからですよ。

 

ただ、大変申し訳ないのですが、スーパーとかでポンポン菓子を買う気にはなれません。やっぱり、出来立ての香ばしいポンポン菓子が数倍美味しいのです。そういう意味では、ポンポン菓子は移動販売向けのお菓子と言えます。

 

そして、もし今ポンポン菓子の露天商がいても、30歳を超えた私の手のひらにはもう乗せてくれないんだろうな~って思うと悲しくなります(*'ω'*) 。30歳ならその場で買えよ、って話ですよね。

 

 

 

産婆(さんば)

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産婆(さんば)」という仕事は、その仕事自体が無くなったわけでなく、呼称や仕事のあり方が変わった例だと言えます。昭和期に産婆と呼ばれていた仕事は、現在では助産師と呼称が変わっています。

 

産婆さんとは、お産のケアをする人のことを指します。「へその緒」を切るのも産婆さんの手で行われてきました。現在の助産師にあたる人のことを産婆さんと呼んでいた時代は、お産は自宅で行うのが当たり前でした。産婆さんは、妊婦の自宅へやってきて出産のケアを行ったのです。

 

昭和の中頃になると、お産は自宅ではなく病院で行う人が増えてきました。1965年ごろには、病院分娩の数が自宅分娩の数を抜きました。現在では、毎年100万人ほどの新生児が生まれますが、自宅分娩で生まれる新生児はそのうちの1500人ほどしかいません。

 

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ちなみに、よくクイズ番組で出される問題で『江戸時代、大名行列を横切ることが出来る職業が2つありました。どんな職業の人でしょう?』というものがあります。その答えは、「飛脚」と「産婆」です。江戸幕府は割と命を大切にする組織だったようです。

 

 

 

エレベーターガール

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私はとある都道府県の中心都市の生まれなのですが、その都市にあったデパートにはかつてエレベーターガールが勤務していました。私が小学生低学年の頃の話です。

 

時代が下り、エレベーターガールはおろかそのデパートさえ無くなってしまったのですが、親に「ご褒美」として連れて行ってもらっていたデパートにいたエレベーターガールの印象は未だに強く残っています。

 

エレベーターガールの仕事は多岐にわたります。エレベーターの操作はもちろん、車イスやお手伝いが必要なお客のケア、フロアや商品の案内など。お客から質問されて『分からない』では、デパート全体の印象が落ちてしまいます。エレベーターガールはまさにデパートの顔だったのです。

 

そんなエレベーターガールも、バブル崩壊によって人員削減策の対象となり次々と廃止されていきました。現在でも、例えば観光地(東京タワーなど)には残っているところもありますが、個人的にはエレベーターガールにはやっぱりデパートに居てほしいわけ(*'ω'*)。

 

ってか、一日中あの狭い"箱"の中で立ちっぱなしとか絶対キツいですよね。後ろから膝カックンとかしたら崩れ落ちそうだもん。

 

 

 

終わりに…

消えていく仕事があれば、新しく誕生する仕事もあるでしょう。たとえそれがどんな仕事であろうと、誇りを持って働いていきたいですね。

 

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