
【学校で教えてくれない社会科】は、社会科の教員免許を所有しているツベルクリンが、学校で教えてくれないような役立たない社会科の授業をしていくシリーズ記事です。22時間目の今回の授業は「江戸時代のお仕事(職業)」について学習していきましょう。
皆さんは働いていますか?どうせ働いてますよね(*'ω'*)。世の中には仕事ってたくさんありますけど、時代によって誕生する仕事もあれば消えていく仕事もありますよね。
江戸時代の職業は機械化されていない分、現代以上に細分化されています。そんな、現代では見かけないであろう職業を、今回の授業ではいくつか解説していきたいと思います。
<目次>
江戸時代のお仕事(職業)まとめ

呉服屋

現在の大手百貨店、三越の前身は三井越後屋という呉服店でした。呉服店が後のデパートになっちゃうんですから、さぞ儲かったのでしょう。
もちろん、三井越後屋(1673年創業)が開業する前から江戸の町には呉服店が存在しました。ところが、それまでの販売方法はお金持ちの家に店員が訪問して販売する訪問販売の形式をとっていました。支払いも、お盆と年末にまとめて支払う"ツケ払い"方式でした。ツケ払いなので商品代金に利息が加わったのです。
この訪問販売&ツケ払い方式を三井越後屋は、店頭販売&その場現金支払いに変えていったのです。これは、お金持ちではなく一般庶民向けの販売スタイルでした。お客も、お店で数多くの種類の呉服を品定めすることができるし、その場現金支払いなので利息を払う必要が無かったので、商品を安く購入することが出来たのです。
さらに三井越後屋は、お客の必要な長さ分だけ生地を切って販売する切り売りも始めました。一般庶民の目線に立った商売方法が成功を収めたのです。
油売り

現代では電気が通っているので夜でも明るいですが、江戸時代における照明は提灯(ちょうちん)や行灯(あんどん)が灯すわずかな光しか存在しませんでした。そのわずかな光を灯すのに必要なのが油です。

江戸時代の油といえば、菜種油でした。その菜種油を油売りが街中を練り歩いて販売していたのです。
油売りは、桶を天秤棒でかついで油を売り歩きました。注文が入ると、桶から急須のような形をした容器にいったん移し、そこから各家庭の容器に移す2段階方式でした。これがまあ時間がかかる作業だったので、お客さんと雑談しながら行っていたようです。
この光景が『あいつ客と喋ってばっかりで全然仕事してないじゃん(*'ω'*)』と周囲から見えたので、「油を売る=サボる」という慣用句が生まれました。
菜種油は大変貴重で、1合(約0.18ℓ)で500円ほどしました(江戸中期ころ)。一般庶民にはなかなか手が出ない値段なので、代わりにイワシなどの油を使用した魚油が用いられることもありました。ただ、クソ魚臭かったので『ほんならもう寝るわ!!』という人も多かったようです。
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針売り

今でこそ服が買いたけりゃユニクロでもしまむらでも行けばリーズナブルな価格で服が販売してますけど、江戸時代はある程度の服は自分で仕立てたり、ほつれたら修繕をしていました。裁縫が出来る人が重宝された時代なのです。
となると必要になってくるのが針です。店頭販売もしていましたが、行商人の売り歩く商品にもなっていました。1本だいたい50円~250円ほどで売られていました。
江戸期においてもっとも名を馳せた針屋さんは京都の三条大橋付近にある「みすや針」です。針と言うのは、生地にすっーと入っていく感触が大事なわけ。なので、売り歩きをしている時は、お客さんの服にぶっ差し、針の使い心地の良さをアピールしたようです。
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献残屋

現代でもお中元やお歳暮のような、贈答文化が残っていますが、江戸時代はそれはそれはもう贈答しまくりの社会でした。
上層階級になると、送られるプレゼントの量も半端なく、自分で消費しきれなかったようです。そこで現れたのが「献残屋(けんざんや)」です。"(献)上された贈答品の(残)りを買い取る"ってことです。
江戸時代は、各地の大名が1年ごとに江戸にやってくる参勤交代という制度が存在しました。その際に大名は、地元の特産品を大量に持ってきて、将軍を始めお世話になる江戸の役人たちに配ったようです。その特産品を買い取り販売するのが献残屋であり、すなわち江戸版ブックオフ的なお店なのです。

出典:https://twitter.com/anegawa1570
献残屋に買い物に来る人は、自分で使用するために購入するのはもちろん、購入した商品を贈答品として他の誰かに献上する人もいました。そして、献上された人は、その献上品を献残屋に売り払う…まるで永久機関です('ω')
反魂丹売り

出典:http://www.hangontan.co.jp/
富山県は現在でもお薬王国(ドラッグ系じゃないよ!)ですが、そのルーツはこの反魂丹(はんごんたん)でしょう。食あたりなどに効用があります。
反魂丹自体は室町時代から製造されていましたが、あくまで富山エリア内でのみ流通していました。江戸時代に入ると、富山藩の殿様が反魂丹を愛飲しました。そんなある日、参勤交代で来ていた江戸城において他藩の殿様にこの反魂丹を分け与えると、すぐに腹痛が収まってしまいました。それ以降、各地の殿様が反魂丹を欲しがったため、薬の行商を始めたのです。

富山の薬売りは、「置き薬」という手法を取ったことで知られています。薬が必要な瞬間と言うのはいきなりやってくるものです。あらかじめ薬セットを各家庭に置いておき、使用した分だけ後から料金を徴収スタイルを確立しました。
虫売り

現代では様々な生き物がペットとして飼われています。一軒当たりの家の広さが狭い江戸時代において人気だったペットは金魚と虫でした。もっとも、金魚が庶民の手に届くようになったのは江戸時代後期になってからで、それまでは虫を買うことが粋だとされました。ここでいう虫とは、鈴虫のことを指します。
虫売りを大々的に始めたのは、東京・神田でおでん屋を営んでいた忠蔵という男でした。彼は『鈴虫の鳴き声って風流じゃね?』と気づき、大量に鈴虫を採ってきて自宅で繁殖させました。1匹あたり数百円で販売され、庶民にとっても手ごろな価格で楽しめるとあって人気を博しました。
駕籠屋

ここでいう駕籠(かご)とは、大名行列で殿様が乗る駕籠ではなく、そこそこお金持ちの庶民が使うタクシー的ニュアンスを持つ駕籠のことを指します。
ちょっと経済的に余裕のある武士や商人が江戸にあった遊郭・吉原に遊びに行くときに、威勢よく駕籠をチャーターしたりしたようです。日本橋から吉原まで(約5~6km)1万2500円ほどで走ったそうです。
女髪結い

江戸時代初期の頃は、髪を自分で結うことは女性のたしなみとされていました。時代が下って江戸時代中旬ころになると、様々な髪型が登場し、素人が手に負えないほど複雑化していきました。
そのため、髪を結うことを専門とする職業が生まれ「髪結い」と呼ばれるようになりました。当初は男性が女性客の髪結いをしていましたが、様々な要望に応えるには女性同士の方が都合が良かったようで、女性の髪結いが増えていきました。
女性が外で働くという価値観がほとんど存在していない江戸時代において、髪結いは女性の数少ない専門職であり、それなりの収入を得ていたようです。髪結いの女房をもらうと旦那は働かなくても生活していけたので、髪結いの女房に収入を頼り、自分はヒモ生活を送る亭主のことを「髪結いの亭主」と揶揄するようになりました。
楊弓屋

楊弓屋(ようきゅうや)とは、小さい弓を用いて的を射る楊弓を楽しめる遊戯場を指します。現代で言う、アーチェリー場とかダーツバーみたいな感じでしょうか?
楊弓屋は別名「矢場(やば)」ともいいます。楊弓屋の特徴として、客が放った矢を回収したり客にやり方を教える女性の従業員を雇ったことです。その女性従業員を矢場女(やばおんな)と呼びました。
リピーター獲得のために、楊弓屋は競って美人の矢場女を採用し、男性客の囲い込みに必死でした。矢場女もわざと男性客に体を密着させて射的方法を教えたり、矢を拾う際にわざと足やお尻を見せたりと、だんだんとカオスな状態になっていきました。
そうなってくると、弓そっちのけでおっぱじめる男女も出始めちゃって、徐々に取締りの対象となっていきました。文字通り「ヤバい」場所だったのです。江戸時代の男女は娯楽が少ないのか、隙を見せるとすぐにおっぱじめちゃいます(*'ω'*)
※「ヤバい」の語源はこの矢場を由来とする説もありますがはっきりとは分かっていません。ヤバいわ(*'ω'*)
終わりに…
仮に私が江戸時代に生まれていたら、たぶんシャボン玉屋さんになってたことでしょう。今も昔も私の存在はシャボン玉のようにふわふわしていますから(*'ω'*)

<あとがき>

この記事なんですけど、書いたのは2020年10月なんですよね。完成していたのに下書きに置きっぱしにしてたら存在を忘れていました。5年間放置していた記事で、ワインならいい感じに熟成しています(*'ω'*)。
2020年といえばブログを始めて1~2年のころで、一番血気盛んというか脂が乗っている時期に書かれた文章ってことになります。
タイムカプセルみたいですけど、今のいぶし銀とはちょっと違う文章を噛みしめて頂けたら幸いです。もしかしたらまるで成長していないのかもしれませんが…(*'ω'*)
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