
バブルの頃にナウいお店でイタ飯を食ってた50~60代の皆さん、こんにちは(*'ω'*)。
インターネットや雑誌などで「おススメのデートスポット特集!」みたいな記事をよく見かけますよね。ふと思ったんですが、何十年前におススメデートスポットとして紹介されていたお店って、令和になった今でもおススメデートスポットとして残っているんですかね?
ということで、今から40年前(1985年)の雑誌で特集されていたおススメデートスポットが、2025年現在どのくらい残っているのか調査しました(ここで言うデートスポットとは飲食店のことを指します)。
『‥‥なんか前に同じような記事このブログでアップしてなかったっけ?』って感じた方、気のせいではありません。
去年、40年前の東京のおススメデートスポットがどのくらい残っているのか調査しました。この記事を見て関西圏在住の方はきっと『なんかあったらすぐ東京、東京いうやろ、あかんわ(*'ω'*)』って思ったはずです。
そんな関西圏在住の皆さん、朗報です。実は過去記事で取り上げた『ホットドックプレス』ですけど、ちゃんと関西圏のおススメデートスポットも紹介してくれていましたよ。
ということで、今回は前回の続きということで、1985年発行の『ホットドックプレス』で紹介されていた大阪のおススメデートスポットが現在も残っているのか、1軒1軒しつこく調べましたよ!(*'ω'*)
※調査方法
- 雑誌掲載の住所と同じ住所で営業を続けていたら文句なしで「現存」
- 移転していてもオーナーが一緒なら「移転して現存」
- 店舗名が変わっていてもオーナーが一緒なら「屋号を変えて現存」
- チェーン店の場合、該当の店舗が営業を続けていなければ他店舗が営業していたとしても現存とカウントしない
- 一部、雑貨店なども掲載されていますが、基本的には飲食店のみ調査しました
<目次>
大阪のデートスポット特集
ミナミエリア

〇ギャラリー・サイド・バー
→現存せず。アートバー。結構有名なお店で、色んな人が自分のブログで思い出を語っています。

〇禅
→現存せず。会席料理
〇ポン・マリー
→現存せず。フランス料理。雑誌掲載の島之内本店は2012年2月に閉店した模様。他店舗の高槻店は現在も営業している。
【閉店】ポン・マリー 島之内本店 - 長堀橋/フレンチ | 食べログ

〇カフェ・ラボ・バー
→現存せず。カフェバー

〇とうりゃんせ
→現存せず。お好み焼き。
〇エロティック・ベイカー
→屋号を変えて現存。パン屋。もともとは"おちんちんパン"などGoogleポリシー違反なパン屋さん。1999年に屋号を「オーダーメイドケーキピカソ」変更。オーナーは変わっていない模様。
"1984年にニューヨークのケーキ屋さん「エロティックベーカー」とライセンス契約を結び、心斎橋にお店を開店。99年にはショップ名を「ピカソ」に改名。"
なお、雑誌掲載時は「南区鰻谷中乃町」となっていますが、昭和~平成にかけて大阪市では住居表示の変更があり、現在では「中央区東心斎橋」に住所変更されています(場所は変わらない)。
大阪市中央区:中央区(旧南区)の町名 (…>区の概要>区の町名)
余談ですが、この住所変更のせいで雑誌掲載の住所が現在は存在しないこととなり、その照らし合わせ作業が増えてめっちゃめんどくさかったですわ(*'ω'*)
〇イムビス
→現存せず。ドイツ式バー

〇カプッチョ
→現存せず。カフェ
〇ル・オーノ
→現存せず。バー。

〇明治軒
→同じ場所で現存。洋食屋。雑誌掲載当時と同じくオムライスが人気。創業80年を超える名店。

〇タバック
→現存せず。カフェバー。
〇フェローズ
→(たぶん)店舗自体は現存しない。ビル全体が居酒屋で階ごとにコンセプトが違っていた。フェローズビル自体は存在している。忘年会とか結婚式の二次会のような貸し切りも想定してあるようなお店。読者様の中にもしかしたらここで宴会したことあるよ~っていう方もいらっしゃるかも。
口コミ一覧 : 【閉店】フェローズ - なんば(大阪メトロ)/ダイニングバー [食べログ]

〇駄菓子屋くらぶ
→現存せず。駄菓子をコンセプトにしたバー。冷やし飴カクテルが人気、って書いてあります。
〇アカイトリ
→移転して現存。ココア専門店。雑誌掲載時は心斎橋エリアに存在。2018年2月まで雑誌掲載時の場所で営業していたが、一時閉店。同年12月に中央区谷町エリアへ移転。
ココア専門店|COCOA SHOP AKAI TORI(ココアショップ アカイトリ)
〇炉談
→現存せず。居酒屋
〇トッツィー
→現存せず。美少年のショーが売りモノ。ネット上で検索かけても全く情報が出てきません。大阪のミナミエリアにとっては黒歴史なのか?(*'ω'*)
〇ジュビレーション
→現存せず。ディスコ。当時としては超ゴージャスな店舗、だってあの郷ひろみがプロデュースしたお店ですもの(*'ω'*)
〇シェ・ワダ
→現存せず。フランス料理店。雑誌掲載時はミナミエリアに存在、その後中央区の高麗橋エリアへ移転。2008年1月に閉店。大阪では結構有名だったようです。
大阪高麗橋「シェ・ワダ」が閉店 | TOMOSATO BLOG

〇ロバータ
→現存せず。その名の通り炉端焼きのお店。
〇雛寿司
→現存せず。江戸時代から続く老舗のすし屋。Googleマップで雑誌掲載の住所を調べると2016年ごろまでは存在、その後2018年の写真では豆柴カフェになっちゃってました。江戸時代から続いていたって無くなっちゃうもんなんだなぁ‥(´・ω・`)
口コミ一覧 : 雛寿司 (ひなずし) - なんば(大阪メトロ)/寿司 [食べログ]
↑ こちら道頓堀商店街の公式HPにも雛寿司の名前は無し(豆柴カフェは掲載)
〇ザ・タコヤキー
→現存せず。たこ焼き屋さん。商業施設なんばCITYの中に入っていたものと思われます。
〇ぷれじでんと千房
→同じ場所で現存。高級路線のお好み焼き屋さん。飲食系企業の千房が展開するブランドの1つが「ぷれじでんと千房」。雑誌掲載の店舗(南本店)は40年変わらず存在していました。

出典:【公式】ぷれじでんと千房 南本店 | お好み焼き・鉄板焼きの千房
曲線を描いたカウンター席も雑誌掲載時のままです。
〇アガサの旅
→現存せず。イタリアンレストラン
〇いかさまや
→(たぶん)現存せず。居酒屋。「いかさまや 大阪」で検索すると居酒屋がヒットするんですけど、住所が違うしお店の雰囲気が違う気がします。
電話番号も違うので雑誌掲載の店舗との関連性は無い気がします。情報お持ちの方がいらしたらご一報ください。と、こんな感じで関連性があるのか無いのか調べるだけでも結構な時間がかかっちゃいます(*'ω'*)
〇凰林
→現存せず。お茶を飲みながら占いをしてもらえる占い喫茶
〇QP&BEAR
→現存せず。スポーツバー

〇チャ・チャ・クラブ
→現存せず。カフェバー。東京編でもありましたが、バブル期に流行った「カフェバー」なる業態の店舗はことごとく消滅しており、どうせこのお店もバブル崩壊後にすぐ無くなったのだろうと思っていたら、2006年ごろまで存在した模様。
美味しい料理大好き!まりこの手帳 : レストランバー『CHA CHA CLUB(チャチャクラブ)』
Googleマップの最古のストリートビュー(2009年)では存在しなかったので、2006年~2009年の時期に閉店したと思われます。
キタエリア

〇アクアリウムストリート
→現存せず。かつて梅田の阪急三番街1階通路に設置されたアクアリウム。飲食店ではないですけど、覚えておられる方がいらっしゃる気がするのであえて掲載。
1984年に設置、2016年8月31日に姿を消したらしい。現存していた頃は集合場所の定番だったそう。32年間に渡って集合場所として君臨していたのであれば、読者様の中にもご存知の方がおられるのでは?
↓ 在りし日のアクアリウムについて

〇霧笛楼
→現存せず。居酒屋。2015年2月で閉店。オープンしたのは1981年2月とのこと。同じ場所で35年間営業し続けた
『□ 霧笛樓 明治屋舗』by Ash-van : サケダイニング フジ (SAKE DINING FUJI【旧店名】霧笛樓 明治屋舗) - 東梅田/日本料理 [食べログ]
〇ロンドン・ティー・ルーム
→同じ場所で現存。ティーラウンジ。1983年のオープン以来営業を続けています。もっとも、雑誌掲載当時の赤いレンガ造りのビルは建て変えられ、現在では地下1階にて営業中。

〇ビストロ・ド・パリ
→現存せず。フランス料理レストラン。ちなみにここのシェフであった奈須氏は、その後「辻調理師専門学校」のフランス料理教授に就任しています。

〇ウォーターステージ0180
→現存せず。店内にプールが存在したカフェバー。バーにプールあるって発想が80年代だもの(*'ω'*)
こちらのサイトで思い出の言及あり
ラジオシティ、葡萄屋、ウォーターステージ0180、G4 - 1980年代後半~のキタ・ミナミ

〇ボードヴィル
→現存せず。巨大なワイン樽の中に客席を作って、それを個室として提供していたファンキーなお店。ネックがワイン樽個室は3名以上でないと使えない点。
ってか、おススメ"デート"スポットって言ってるんだから、3名以上じゃないと利用できないこのお店を掲載するのはおかしい気がするんですけど‥(*'ω'*)
お店の思い出を語っている記事
〇DK COZY
→現存せず。カフェ。

〇フォーカル・ポイント
→現存せず。ディスコ。男性は女性同伴でないと入店できなかったとのこと。円形ステージが特徴的だったそう。
夏の夜の大阪のディスコ ~フォーカルポイント、ボトムライン、ラジオシティ etc. - 青春の輝き
当時のフォーカルポイントの様子を映した動画がyoutubeにアップされていました。
youtubeって本当に何でもあるんだな(*'ω'*)
〇ローズルーム
→現存せず。フランス料理。かつてANAクラウンプラザホテル大阪の中に存在していました。食べログを見ると2007年頃までは確実に存在した模様。
ってかそもそもANAクラウンプラザホテル自体が今年10月をもって閉館するらしいです
ANAクラウンプラザホテル大阪 閉館のお知らせ | ANAクラウンプラザホテル大阪のプレスリリース
〇青楓グリル
→現存せず。洋食レストラン。大阪ではかなり有名なレストランだったよう。ネットの情報によると2010年前後の閉店か。このレストランで料理長をやっていたシェフは現在新しく店舗を構えてそちらで腕をふるっています。
「舞いあがれ 東大阪」山川 雅一さん(洋食やまかわ)|舞いあがれ 東大阪
レストランが入っていたビル(山内ビル)は1930年建立で登録有形文化財に登録されている歴史ある建物でビル自体は現存。
↑ かなり古いサイト、在りし日の青楓グリルを紹介しているページ。2000年時点で創業50年って書いてあります。
〇贔屓屋
→現存せず。居酒屋。大阪には「贔屓屋」と屋号の付くお店はいくつかありますが、関連は不明。少なくとも雑誌掲載の大阪市北区曽根崎エリアには現存していません。

〇バナナの気持ちはよく分かる
→現存せず(恐らく屋号を変えて別場所へ移転?)。ニューハーフショーパブ。関西圏でニューハーフパブの先駆け的存在だったお店。お店の業態から想像できるように『"バナナ"ってアレのことね!(*'ω'*)』ってなります。ちなみに、この店舗名を考えたのは、やしきたかじん氏とも言われております(ネット情報)。
この雑誌掲載後、隣のビルに米国領事館が入居してくることとなり、たぶん大人の事情で移転させられた模様。その後に心斎橋エリアに「ベティのマヨネーズ」というこれまた意味深な名前のニューハーフパブが誕生し、これは現在も営業しています。ベティとは大阪におけるカリスマ的ニューハーフの方のお名前であり、店舗のオーナーでもあります。
ちなみに、"ニューハーフ"という言葉は、サザンオールスターズの桑田佳祐氏がこのペディ氏のキャッチフレーズとして命名した新語でもあります。ペディ氏は桑田氏から楽曲提供を受けて歌手デビューも果たしており、つまりそれくらいの立場にあるニューハーフってことです(*'ω'*)
これは憶測ですが、元々バナナの気持ち~で勤務していたベティ氏が新しくオーナーとして就任する形でマヨネーズが成り立ったのではないか、と考えております。
当時のテレビCMがこちら
〇バー樽
→移転して現存。北新地エリアで移転を繰り返しており、現在の場所では2014年ごろに移転。雑誌には「この道24年のマスターは‥」と記載がありますが、このマスターはなんと2017年まで現役でした。
バーテンダー:87歳、シェーカー再び…北新地の生き字引 | 毎日新聞
1985年時点で"この道24年の~"ですからね(*'ω'*)
〇ザ・ボトム・ライン
→現存せず。ディスコ。前述したフォーカルポイントの上階に存在していた。
夏の夜の大阪のディスコ ~フォーカルポイント、ボトムライン、ラジオシティ etc. - 青春の輝き
ディスコの上にディスコがあるなんて、すごい時代だったんだなぁ(∩´∀`)
〇阿み彦
→現存せず。シュウマイ専門店。1993年に同じキタエリア内で移転。2017年まで営業していた。
↑ 上記サイト様で閉店の様子が書いてあります。店主が70代後半になってしまい、後継者がいなかったのでやむなく閉店したとあります。やはり40年続けるってなると後継者探しがネックになってきますよね。

〇ノース・フォート
→現存せず。ギャラリーを併設していたカフェ。
〇トップシェフ
→現存せず。豆腐料理専門店。

〇旅籠
→同じ住所で現存。炉端焼き居酒屋。調べるまで絶対無いって思ってました、すいません(*'ω'*)
口コミ一覧 : 力丸 炉ばた茶屋 旅籠 (ろばたぢゃや はたご) - 大阪梅田(阪急)/居酒屋 [食べログ]
雑誌には"1皿280円均一という安さ"みたいに記載があったんですが、現在でも1皿300円均一で提供しているみたいです。何やねん、凄すぎでしょ大阪(*'ω'*)

〇ビストロ・ボン・マルシェ
→現存せず。フランス料理店。
〇かき広
→同じ場所で現存。懐石料理などが頂ける飲食店で創業は1920年。お店自体が川に浮いている船座敷スタイル。
多分ですけど、大阪在住の方なら"前から気になっているけど行ったことは無い店"的な存在じゃないかな、と勝手に思っています。
大阪の人たちがずっと気になっているけど入れない水上の店「かき広」に行ってきた (1/3) :: デイリーポータルZ
↑ 実際に行ってきました!レポート記事
〇クスコ
→現存せず。日本初のペルー料理店として1976年に創業。梅田から堂島へ移転した模様。2011年ごろ閉店かと思われます。
【閉店】クスコ (CUZCO) - 渡辺橋/中南米料理 | 食べログ

〇ギャルソン
→現存せず。お好み焼き屋。
〇いもたこなんきん京橋店
→現存せず。居酒屋。食べログのページは残っているが同じ都島区内で移転した模様。2010年のストリートビューには存在するが2013年には消えている。閉店時期はその間かと思われます。
【閉店】いもたこなんきん 本店 (イモタコナンキンホンテン) - 京橋/居酒屋 | 食べログ
〇アラスカ本店
→移転して現存。1928年創業の老舗レストラン。雑誌掲載の住所のビルが2012年に建て替えになったので、2013年に同じキタエリアの現住所に移転。って公式HPの歴史紹介ページに書いてました(*'ω'*)
レストランアラスカ - 地元の方は勿論の事、京阪神の財界人や文化人等名士達に愛されて来たのが「レストランアラスカ」の西洋料理
新御堂筋~箕面(みのお)エリア

〇ハローズ
→現存せず。カフェレストラン。ネット情報によると「1993~94年ごろ閉店?」「明石家さんまがラジオ収録帰りによく訪れていた」とのこと
80年代にあったお洒落なカフェレストラン ハローズ 服部緑地 明石家さんまも通った | 昭和40年代生まれの昭和レトロ探索とバブル時代の回顧 昭和の銭湯
営業時間が午前11時から朝5時までやってたようです。朝5時までって歌舞伎町かよ(*'ω'*)
〇マリソール
→現存せず。洋食レストラン。建物は安藤忠雄氏の設計。
kazumiの 行ってきました 近所にあった安藤建築 『マリソール』跡
建物自体は残っていて、現在では個人のお宅。2000年代まではレストランは営業されていた様子。

〇カーニバルプラザ
→現存せず。当時日本一広いレストランとして話題になった。たぶん40代以上の大阪出身の方ならご存知の方も多いのでは?
80年代、バブル時代に流行店だった江坂カーニバルプラザは日本一大きいレストランとして出現 大阪府吹田市 | 昭和40年代生まれの昭和レトロ探索とバブル時代の回顧 昭和の銭湯
2007年頃に閉店。

〇ハーフタイムクラブ
→現存せず。カフェレストラン。この新御堂筋が伸びる吹田市は大阪の郊外であり、80年代当時、車で来店することを前提としたカフェが数多く乱立していたんですよね。スポーツカーの助手席に彼女を乗せて新御堂筋をドライブすることが当時のステータスだったのでしょう。
〇シルクロード
→現存せず。中華レストラン。
〇ぺぺルモコ
→現存せず。カフェレストラン。
〇楡の木
→現存せず。カフェレストラン。

〇ヨックモック
→現存せず。クッキーで有名なヨックモックが経営していたティーラウンジ。
〇ブローニュの森
→現存せず。ペンション風の外観をしたカフェレストラン。1987年に"700日後に閉店するお店"というコンセプトの「700day shop」として再オープン。宣言通り、1989年5月に取り壊されました。勢いがあり過ぎてちょっと何がしたいのか分からない(*'ω'*)
80年代にあった吹田市江坂のお洒落なカフェバー お城の様なブローニュの森 オールドアメリカンな フォグシティ ダイナー | 昭和40年代生まれの昭和レトロ探索とバブル時代の回顧 昭和の銭湯
80年代は欧米を真似した(でもちょっとフィルターがかかっている)洋風メルヘンチックな建物が乱立していましたよね、これもその1種です。
〇ダイドーモン(大同門)
→同じ住所で現存。焼肉チェーン店。1968年に創業。雑誌掲載の江坂店は現在も同住所で営業中。この焼肉店は日本の焼肉に革命を与えたと言っても過言ではなく、「焼き肉のタレ」「無縁ロースター」を始めて導入したお店なのです。
それまで、焼肉は肉を揉みタレに漬け込むことで味付けが完了しており、焼いた後にタレを付ける文化は存在していませんでした。ダイドーモンにて初めて焼肉はたれに付けて食べる文化が生まれたのです。
〇パームツリー
→現存せず。ピアノの生演奏が人気のパブレストラン。
結果発表

↑サントリーの清涼飲料水の広告。当時の陸上界のスーパースターであるカール・ルイス氏を起用出来るなんて、80年代の日本が勢いがあったんだなぁ(๑・̑◡・̑๑)
『ホットドックプレス』にて紹介されていた大阪のおススメデートスポット(飲食店)は、全部で62店(うち1店はアクアリウムストリート)ありました。その中で、
同じ住所で現存(6店)
- 明治軒
- ぷれじでんと千房
- ロンドンティールーム
- 旅籠
- かき広
- ダイドーモン
移転or屋号を変更して現存(4店)
- エロティック・ベイカー
- アカイトリ
- バー樽
- アラスカ本店
という結果でした。62店中、1985年から40年間営業を続けているのは10店舗でした。すなわち、40年間の飲食店残存率は約16%になります。
過去記事で調査した東京の場合は、200店中18店で残存率は9%。東京と大阪で母数が結構違うことに留意せねばなりませんが、大阪の方が40年間の残存率が高いという結果になりました。
もっとも、東京の方は"ディスコ"であったり"カフェバー"など、『絶対令和の現在まで存続してないやろ(*'ω'*)』って思えるようなバブル臭プンプンの店舗が多く紹介されており、それらが軒並み全滅状態であったので、多少不利な面はありました。
ってことは、40年間に渡って飲食店が存続する確率は大阪の16%という数字の方が実態に近いのではないか、と勝手に想像している次第です(*'ω'*)
終わりに…

↑今は亡き名俳優、松田優作がモデルの広告。
ここまで「東京編」と「大阪編」のデートスポット存続率を調べてきましたが、この雑誌ではまだ「横浜」「京都」「神戸」が残っています。特に横浜はその半分くらいが横浜中華街からの店舗なので、残存率が高そうな気配を感じています。
なお、この記事は現地に行って確かめたわけではなく、あくまでネット上での情報をかき集めて判断しているだけですし、そもそも1985年はまだ私は産まれていない(1989年生まれです)ので、特に大阪在住の方で情報や思い出をお持ちの方はご一報ください(*'ω'*)
もう1回、過去記事の東京編をアップしておきます。
過去記事はしつこく貼っていくスタイルに切り替えました(*'ω'*)