日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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【ツベルクリンwalker】添乗員が徹底ガイド〜知覧平和特攻会館(鹿児島県)〜

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【ツベルクリンwalker】シリーズは、現役添乗員であるツベルクリンは日本の観光地を徹底ガイドしていくシリーズ記事です。今回は鹿児島県南九州市にある「知覧平和特攻会館」をご紹介していきます。

 

 

 

前回の記事はこちら

www.tuberculin.net

 

南九州市というダイナミックな名前ですが、平成の大合併で生まれたど田舎です。南九州市の反対は福岡県にある北九州市ですが、北九州市は政令指定都市なのでレベルが違います。

 

その南九州市に知覧(ちらん)町があり、知覧と聞けば、一般常識がある方ならば「特攻隊の基地があった町」とご存知だと思います。もちろん、現在は基地は存在せず、代わりに特攻隊員の資料を展示してある知覧平和特攻会館があります。今回は、特攻会館をご紹介していきます。

 

<目次>

 

 

特攻隊について

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出典:特別攻撃隊 - Wikipedia

特攻隊とは、正式名称を「神風特別攻撃隊」といいます。終戦の前年、1944年10月に初出撃しました。

特攻隊の攻撃方法は、「爆弾を積んで敵の戦艦に飛行機ごと突っ込む」というものでした。敵の戦艦が沈没したり、修復不能に陥れば成功と言えます。もちろん、搭乗員は確実に死にます。言い方悪いですが、自爆攻撃であり生還の見込みはまず無い攻撃方法といえます。

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出典: 神風特別攻撃隊 - Wikipedia

 

上の写真のように、敵の戦艦に飛行機ごと突っ込んで、戦艦を沈没や修復不能にさせるのが目的です。当初は、狂気的な自爆攻撃にアメリカ軍は恐れおののき、ある程度の戦果はあったようですが、じきにアメリカ軍も対応するようになり、戦艦に突っ込んでくる前に日本軍の飛行機を撃ち落とせるようになりました。

 

当然、戦果は落ちます。ただ、当時の日本軍は戦果が落ち続けていた特攻攻撃をむだに続け、多くの若い命が散っていきました。

 

特攻隊の基地として有名だったのが、鹿児島県の知覧飛行場です。特攻攻撃が増えたのは1945年4月に始まった沖縄戦以降です。沖縄戦に出撃しているアメリカ軍の戦艦を攻撃するために、地理的に近い知覧飛行場から多くの特攻隊員が出撃していったのです。

 

 

特攻会館を見に行こう

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自家用車の駐車場はたくさんあるので、ぜひマイカーorレンタカーでお越しください。桜並木を通っていきます。

 

桜が満開だとこんな感じになります。

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出典:www.chiran-navi.com/CnvSinglePost.php?id=71



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先に進んでいきます。

 


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特攻会館の入り口です。入場料は500円です。

 

 

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入り口にて音声ガイドをレンタルしています。お借りしたい方はどうぞ。

 


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鹿児島県ってお茶大国で生産量は日本第2位です。まあ静岡県がお茶大国アピールしまくっているので知名度は低いですが、その鹿児島県のお茶の生産は知覧で行われています。

 

特攻会館には、大きな売店はありません。ツベルクリンが当ブログで皆様に語りかけている観光地の鉄則、"売店を通らないと出口から出られない"は、ここでは当てはまりません。むしろ逆で"いきなり売店パターン"です。とりあえず先にお茶飲め‼︎パターンです。

 


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ロビーです。

 


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館内図です。特攻隊の説明や、特攻隊員の遺影や遺書が展示されています。

 

広島や長崎の原爆資料館は、思わず目をそむけたくなるような写真が展示してあり、トラウマになる可能性大ですが、ここにはそういったグロテスクな展示物はありません。ですが、遺影や遺書に目を通すと、とにかく胸が痛くなります。

 


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残念ながら館内は撮影禁止です。まあ、当ブログの目的の1つに「行ったことない観光地に行った気分に浸る」ってのがあるので、特攻会館に展示されている遺書を引用します。

 

 

『大石伍長の遺書』

※大石清伍長(伍長とは軍隊の階級)は大阪府の出身。両親を空襲と病気で亡くし、肉親は当時小学生の静恵ちゃんただ1人でした。静恵ちゃんは叔父さんのところに預けられていたそうです。

 


「なつかしい静ちゃん!お別れの時がきました。兄ちゃんはいよいよ出げきします。この手紙がとどくころは、沖なわの海に散っています。思いがけない父、母の死で、幼ない静ちゃんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。

 

兄ちゃんのかたみとして静ちゃんの名であづけていたゆうびん通帳とハンコ、これは静ちゃんが女学校に上るときに使って下さい。時計と軍刀も送ります。これも木下の叔父さんにたのんで、売ってお金にかえなさい。兄ちゃんのかたみなどより、これからの静ちゃんの人生のほうが大事なのです。

 

もうプロペラがまわっています。さあ、出げきです。では兄ちゃんは征きます。泣くなよ静ちやん。がんばれ!」

 

 

 

大石伍長はこの遺書を、当時飛行機整備士だった大野沢整備士に託して出撃しています。大野沢整備士は、この遺書とともに自らもペンを取りました。

 

 

 

 

「大石静恵ちゃん、突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと思います。わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。伍長どのは今日、みごとに出げきされました。そのとき、このお手紙をわたしにあずけて行かれました。おとどけいたします。

 

伍長どのは、静恵ちゃんのつくった人形を大事にしておられました。いつも、その小さな人形を飛行服の背中に吊っておられました。ほかの飛行兵の人は、みんな腰や落下傘の縛帯の胸にぶらさげているのですが、伍長どのは、突入する時に人形が怖がると可哀そうと言っておんぶでもするように背中に吊っておられました。

 

飛行機に乗るため走って行かれる時など、その人形がゆらゆらとすがりつくようにゆれて、うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐに分かりました。伍長どのは、いつも静恵ちゃんと一緒に居るつもりだったのでしょう。

 

同行二人(どうぎょうににん)。仏さまの言葉で、そう言います。苦しいときも、さびしいときも、ひとりぼっちではない。いつも仏さまがそばにいて、励ましてくださる。伍長どのの仏さまは、きっと静恵ちゃんだったのでしょう。

 

けれど今日からは伍長どのが静恵ちゃんの"仏さま"になって、いつも見ていてくださることと信じます。伍長どのは勇かんに敵の空母に体当たりされました。静恵ちゃんも、りっぱな兄さんに負けないよう、元気を出して勉強してください。さようなら」

 

大石伍長の詳しい年齢は分かっていません。おそらく18歳前後であったと推定されます。

 

 

出撃した特攻機

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敵の戦艦に体当たり攻撃するため出撃した戦闘機が、戦後になって沈んでいた海の底から引き上げられました。この戦闘機は、敵戦艦に体当たり攻撃する前に撃墜されたものと推測されています。

 


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操縦スペースです。ここに座って戦闘機を操縦し、敵戦艦に突っ込んでいきました。

 


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プロペラです。左下は火薬の入っていない100キロ爆弾です。一般的に250キロの爆弾を積んで体当たり攻撃していました。

 

 

復元された三角兵舎


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知覧の飛行場へやってくるということは、それは近いうちに特攻命令が出ることを意味していました。出撃するまでの数日間、隊員たちはこの兵舎で寝泊まりしていました。これは復元されたものですが、当時の様子が伺えます。

 


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敵の目をくらますため、三角兵舎の周りには木が植えられました。事実、アメリカ軍は知覧の飛行場を空襲し、たくさんの死傷者が出たようです。

 


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 説明版です。

 

 

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内部の様子です。

 


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さきほど、マスコット人形の話が出ていましたが、戦地へは行かない女性たちが兵士のために色々贈り物をしたようです。マスコット人形はその1つと言えます。

 

知覧特攻平和会館調べでは、戦闘機による特攻攻撃で戦死した兵士の数を1036名としており、そのうちの439名が知覧飛行場から出撃した兵士と推定しています(この数字はあくまで"陸軍"の特攻戦死者と思われます。海軍の特攻戦死者も合わせれば数千人の兵士が犠牲になったとされています)。

 

 

終わりに…

ツベルクリンがなぜここまで戦前の歴史に詳しいかというと、もちろん社会科の教員免許を持っていることもその1つですが、実際に社会科の教師として勤務していたころ、授業で平和学習を行ったことがあるからです。

 

その時は「ついに平成生まれが平和学習をやる時代になったのか…」と妙な感慨にふけりました。そのころから、次世代へ歴史を継承する目的もあって戦前の資料や雑誌の収集を始めました。当ブログにおいて、【時には昔の雑誌を…】シリーズで紹介しています。そちらも合わせてぜひご覧ください。

 

www.tuberculin.net

こういうの(*'▽')

 

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