日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

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(第1回)80年前のガールズトークをのぞいてみる記事【時には昔の雑誌を‥】

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※たぶん8分で読めます

【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、ツベルクリン所有の昔の雑誌を解説を入れながら読んでいくシリーズ記事です。

 

今回は、前回に引き続き80年前の雑誌『週刊朝日』1939年2月5日号を読んでいきます。

 

 

前回分はこちら

www.tuberculin.net

 

この雑誌には、特集ページとして「兵隊さんありがとう座談会」という当時の女優が集まってガールズトークをするという記事が載せられていました。今でいう女子会です。

 

今回はその女子会の様子をのぞいてみようというのが目的です(´・ω・`)

ではまいりましょう( *´艸`)

 

※なお、女子会の内容全部載せるととんでもない文字数になるので、ツベルクリンがかいつまんでご紹介していきます。また、言い回しが難しいところは、ツベルクリンが書き換えたりしている箇所もあります。

 

 

 

<目次>

 

 

 

 

メンバー紹介

 

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この女子会は、7名の女優と2人の『週刊朝日』の記者で円卓を囲んで色々お話しするスタイルのようです。

 

女子会メンバー表は次の通りです


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森田たま(1894年~1970年)

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出典:https://japaneseclass.jp/trends/about

彼女は女優ではなく女流作家でした。この女子会を仕切る年長者です。女子会当時45歳。

 

歌上艶子(1917年~)

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お名前からご想像頂けるように、歌手です。そして2019年現在もご存命です(∩´∀`)∩。 女子会当時22歳。

 

 

國分ミサヲ

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 マジで調べたけど全然情報が出てこない謎の人物(´・ω・`) 分かっていることは彼女は当時「日劇ダンシングチーム」のメンバーだということ。日劇ダンシングチームとは、東京の有楽町に存在した「日本劇場」という劇場を拠点に活動した劇団です。「西の宝塚歌劇団、東の日劇」とでも言っておきましょう(今勝手に考えた)

 

おそらく女子会当時20歳前後だと勝手に思っています。もし「國分さんと知り合いである」「國分さんのファンだった」「國分ミサヲ本人です」という方が読者の中でいましたらお知らせください(´・ω・`)

 

 

橘公子(1921年~)

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女優さんです。これが80年前の人かよと言いたくなるような可愛さ(*´ω`)2019年現在もご存命です。女子会当時18歳。

 

原節子(1920年~2015年)

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出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%AF%80%E5%AD%90

おそらく、この女子会参加メンバーの中で最もビックネームは彼女。映画『青い山脈(1949年)』で主演を務め、まさに「日本のトップ女優」の名声を欲しいままにしていたにも関わらず、1963年(昭和38年)を最後に引退。以後公の場にほとんど顔を出さなかったことから、「幻の名女優」ともいわれています(今勝手に考えた)。

 

女子会当時19歳。原節子を知らない平成キッズはググってね(´・ω・`)

(なお、多分昭和キッズもよく知らない模様)

 

 

美鳩まり(1919年~1962年)

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こちらも女優さん。後に彼女は自身が主演した作品の脚本家と結婚して1944年に引退しています。不幸なことに、乳がんを患い、1962年に亡くなっています。

 

吉川公乃(もしくは吉川公子)

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この方も、マジで情報が出てきません。メンバー紹介のところに「新派女優」とありましたが、この「新派」というのは劇団グループの名前です。

 

上の写真は記事中の写真を写メしたものを載せてるんですが、根本的にメンバー紹介のところで「吉川公と紹介してあるくせに、上の写真では「吉川公って記載してあるんです。どっちやねん(´・ω・`) 

 

このように、司会者ポジションの森田たまさん以外は20歳前後とまさに「女子会」ですわ。「女子会(笑)」じゃないです。そして、80年前に開催された女子会のメンバーがまだお2人もご存命という衝撃(;・∀・)

 

長くなりましたが、女子会の様子を見ていきます(∩´∀`)∩

 

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冒頭部分


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女子会とはいったものの、『週刊朝日』の記者である櫻木記者と間下記者の2人の男性が同席しています。

 

間下記者『ちょっとご挨拶申し上げます。お出席いただきましてありがとうございます。(中略)さて、こうしていずれ劣らぬスターの皆さまにズラリと並んで頂きますと私ども少々太刀打ちできかねるということで、作家の森田たまさんを有力な救援部隊としてご出席を願ったわけで、皆様に一斉射撃を加えようというわけでございます。』

 

間下記者『(前略)どんな質問が飛び出すか分かりません。その代わり皆さまから森田さんめがけて一斉射撃をして頂きたいと存じます‥』

 

森田さん『では、一斉射撃をやりましょうか(笑)』

 

 

基本的に、森田さんは記者側の立場でインタビューしていくという構図のようです。

 

森田さんは、さっそく原節子さんに「攻撃」をしかけます。原さんが参加した中国の上海で映画の撮影についての質問です。

 

 

上海の様子

間下記者『原さんから最近の上海の様子を聞きたいと存じます。』

森田さん『原さんは暮れに上海に行かれてずっとお仕事だったのですか?』

原さん『ええ、そうです』

森田さん『それなら上海もだいぶ日本らしくなっていたでしょうね』

原さん『戦時気分というものはもうほとんどありませんでしたわ』

 

ちょっと解説しますが、上海というのは1937年に始まった日中戦争(日本と中国の戦争)が始まった場所なのです。1937年8月に上海において日中両軍は激突、10月に中国軍の撤退で幕を閉じています。この武力衝突は上海事変といい、中国軍は南京という街に撤退。日中戦争は長期戦になっていきます。この当時、上海は日本軍が占領していました。

 

その2年後、原さんが映画撮影のため上海を訪れ「戦時気分は無い」と言っているのです。日本軍がそれなりにきちんと上海を管理していたのでしょう。

 

 

 

慰問袋(いもんぶくろ)のはなし

 

森田さん『(上海では)知った兵隊さんなんかにお会いになりまして?』

原さん『いいえ』

森田さん『(上海から)帰っていらしてから、向こうの上海在中の兵隊さんから手紙が来るということがありましょうね』

原さん『ええ、頂いております。』

森田さん『皆さんも慰問袋を差し上げたらお手紙が来たという方はいますか?』

ここで吉川公乃さんが会話に参加

吉川さん『ありますわ』

森田さん『ではそれを披露してもらいましょうか(笑)』

 

慰問袋(いもんぶくろ)とは、戦地で戦う兵隊に向けて送ったもので、中にはお菓子や手紙や写真や雑誌などを入れて戦地に送りました。兵隊の慰めたり元気づけるために送っていたんですね。まだこの時期は、慰問袋を送れるくらいには国内に物資はあった、ということです。

 

この女子会に参加している女優さんも、慰問袋を送っていたようです。

 

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出典:http://gunsozakkicho.web.fc2.com/zimonbukuro.htm

基本的には、送り先を指定することは出来ません。どの兵士が受け取るか送った時点では分からないのです。ただ、自分の住所を記載したお手紙を入れていた場合、お返事が来ることもありました。

 

 

兵隊さんからのお手紙

吉川さん『兵隊さん達から、たびたびにお手紙がまいりますの。でも今はバラバラになって戦死された方もいますのよ。本当にお気の毒ですわ‥』

森田さん『橘さんはやはり知らない兵隊さんからお手紙がくることがありまして?』

橘さんに話を振る森田さん

橘さん『私もございます』

森田さん『何と書いてあって?』

橘さん『(笑)‥中にはしょっちゅう下さった方が負傷されて世田谷の病院にお帰りになったのでお見舞いにお伺いいたしました。とても喜んでくださいましたわ』

森田さん『原さんも知らない方から(お手紙が)まいりまして?』

原さん『知らない兵隊さんの方が多いですわ』

森田さん『どんなことが書いてあって?あなたの写真を見て大変幸福ですということ?(爆笑)』

間下記者『写真にサインをして送ってくれというような物も多いでしょうね』

原さん『ございます。その時はすぐにお送りしておりますが‥何かのお役に立てばと思って‥』

 

ここにきて森田さんの「攻撃」が本格化しますね(∩´∀`)∩

 

慰問袋は送り先を指定できませんから、受け取った兵隊は"たまたま"女優の橘さんや原さんの慰問袋を受け取ったことになります。

 

今で言えば、石原さとみちゃんや嵐のメンバーからお手紙や生写真が送られてきたようなものですから、そりゃ兵隊さんは"しょっちゅう”お返事書きますわな(´・ω・`)

 

「写真にサインをして送ってくれ!」って言いますよ、当然(´・ω・`)


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インタビューは続きます

 

森田さん『美鳩さんは?』

美鳩さん『わたくし、お正月に九州のある病院に慰問(お見舞いのこと)にまいりましたの。そしたら"何でもいいから挨拶してほしい"というお話です。そのときは(負傷して入院している兵隊さんが)4人くらいいたのですが、私、ご挨拶の言葉もないので"兵隊さん、ありがとうございます"と言っただけで兵隊さんが泣き出してしまったのです。』

ここで歌上さんが話に加わる

歌上さん『私も知らない兵隊さんが多く、プロマイド写真を入れてくれとおっしゃられます。でも、一人の兵隊さんはご自身が向こう(戦地で)で撮った写真を入れてくださったり、珍しい高山植物を同封して送りますといって送ってくださりましたわ。』

森田さん『こっちが嬉しくなりますわね。』

ここで國分さん話に加わる

國分さん『私もはげましてくださるお手紙ですの、本当に嬉しくて』

森田さん『(國分さんの)舞台を見たという方からでしょう?』

國分さん『そうです、元気でいますかとかいてありますの。ありがたいと思っています。』

 

 

女優の写真を欲しがったりとか手紙出しまくったりとか、80年前も今も男性って変わらないんですよね。お返事に知らない男性の写真をもらってもどうするんだって話ではありますが‥(;・∀・)

 

女優さんや芸人さんが戦地や戦地で負傷した入院患者のいる病院にお見舞い(慰問と言っていた)に行くことがありました。AKB48のような「会いに行けるアイドル」ではなく「会いに来てくれるアイドル」とでも言いましょうか。


森田さん『みなさん、慰問袋は出しました?』

一同『出しました!!!』

森田さん『(慰問袋の中身は)何が喜ばれましたか?』

吉川さん『雑誌がやはり喜ばれるようですわ』

森田さん『"週刊朝日"なんか良いのでしょうね(爆笑)』

櫻木記者『事実、週刊朝日は陸軍や海軍を取り扱う数が一番多いのです(ドヤ顔』

間下記者『ちょっと鼻が高いわけです(ドヤ顔』

 

当たり前ですが、『週刊朝日』が企画している女子会ですから、ごり押しするのは当然です。

 

 

えっもうまとめなん?(´・ω・`)

ご覧いただきありがとうございます。もうね、1回じゃ全然終わんないよね(;´・ω・)

 

なので、当初の予定を変更して今回は「前半部分」として次回「後半部分」を書きます。「後半部分」はだいぶ佳境に入ってくるというか"女子会"度が増すというか‥(;´∀`)

 

追記:次回更新予定の後半部分の下書き終わりましたが、全部ご紹介出来なかったので、予定を変更して「前半」「真ん中」「後半」の三部構成で更新します。

 

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