【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、ツベルクリン所有の昔の雑誌を解説を入れながら読んでいくシリーズ記事です。今回は、昔(戦前)の女子会でのガールズトークでどんな話題が話されていたのかのぞいていきたいと思います。
女性同士の恋愛話やウワサ話、いわゆるガールズトークって盛り上がりますね。それって現代だけの話ではなく、今はおばあさんになっているような"昔の少女"だって同じだったと思うのです。
今回の記事では、今から80年以上前の1939年(昭和14年)に発行された週刊誌『週刊朝日』に掲載されていた女子座談会、今で言うガールズトークの様子を見ていきたいとおm子います。
この雑誌には、特集ページとして「兵隊さんありがとう座談会」という当時の女優が集まってガールズトークをするという記事が載せられていました。今回はその女子会の様子をのぞいてみようというのが目的です。
ではまいりましょう( *´艸`)
※なお、女子会の内容全部載せるととんでもない文字数になるので、私が要約してご紹介していきます。また、言い回しが難しいところは、言い換えたりしている箇所もあります。
<目次>
座談会のメンバー紹介
この女子会は、7名の女優と2人の『週刊朝日』の記者で円卓を囲んで色々お話しするスタイルのようです。
女子会メンバー表は次の通りです
森田たま(1894年~1970年)
出典:https://japaneseclass.jp/trends/about
彼女は女優ではなく女流作家でした。この女子会を仕切る年長者です。女子会当時45歳。
歌上艶子(1917年~)
お名前からご想像頂けるように、歌手です。 女子会当時22歳。
國分ミサヲ
マジで調べたけど全然情報が出てこない謎の人物(´・ω・`) 分かっていることは彼女は当時「日劇ダンシングチーム」のメンバーだということ。日劇ダンシングチームとは、東京の有楽町に存在した「日本劇場」という劇場を拠点に活動した劇団です。「西の宝塚歌劇団、東の日劇」とでも言っておきましょう(今勝手に考えた)
おそらく女子会当時20歳前後だと勝手に思っています。もし「國分さんと知り合いである」「國分さんのファンだった」「國分ミサヲ本人です」という方が読者の中でいましたらお知らせください(´・ω・`)
橘公子(1921年~)
女優さんです。これが80年前の人かよと言いたくなるような可愛さ。女子会当時18歳。
原節子(1920年~2015年)
おそらく、この女子会参加メンバーの中で最もビックネームは彼女。映画『青い山脈(1949年)』で主演を務め、まさに「日本のトップ女優」の名声を欲しいままにしていたにも関わらず、1963年(昭和38年)を最後に引退。以後公の場にほとんど顔を出さなかったことから、「幻の名女優」ともいわれています(今勝手に考えた)。女子会当時19歳。
美鳩まり(1919年~1962年)
こちらも女優さん。後に彼女は自身が主演した作品の脚本家と結婚して1944年に引退しています。不幸なことに、乳がんを患い、1962年に亡くなっています。
吉川公乃(もしくは吉川公子)
この方も、マジで情報が出てきません。メンバー紹介のところに「新派女優」とありましたが、この「新派」というのは劇団グループの名前です。
上の写真は記事中の写真を写メしたものを載せてるんですが、根本的にメンバー紹介のところで「吉川公乃」と紹介してあるくせに、上の写真では「吉川公子」って記載してあるんです。どっちやねん(´・ω・`)
冒頭部分
女子会とはいったものの、『週刊朝日』の記者である櫻木記者と間下記者の2人の男性が同席しています。
間下記者『ちょっとご挨拶申し上げます。お出席いただきましてありがとうございます。(中略)さて、こうしていずれ劣らぬスターの皆さまにズラリと並んで頂きますと私ども少々太刀打ちできかねるということで、作家の森田たまさんを有力な救援部隊としてご出席を願ったわけで、皆様に一斉射撃を加えようというわけでございます。』
間下記者『(前略)どんな質問が飛び出すか分かりません。その代わり皆さまから森田さんめがけて一斉射撃をして頂きたいと存じます‥』
森田さん『では、一斉射撃をやりましょうか(笑)』
基本的に、森田さんは記者側の立場でインタビューしていくという構図のようです。
森田さんは、さっそく原節子さんに「攻撃」をしかけます。原さんが参加した中国の上海で映画の撮影についての質問です。
上海の様子
間下記者『原さんから最近の上海の様子を聞きたいと存じます。』
森田さん『原さんは暮れに上海に行かれてずっとお仕事だったのですか?』
原さん『ええ、そうです』
森田さん『それなら上海もだいぶ日本らしくなっていたでしょうね』
原さん『戦時気分というものはもうほとんどありませんでしたわ』
少し解説します。上海というのは1937年に始まった日中戦争(日本と中国の戦争)が始まった場所なのです。1937年8月に上海において日中両軍は激突、10月に中国軍の撤退で幕を閉じています。この武力衝突は上海事変といい、中国軍は南京という都市に撤退。日中戦争は長期戦になっていきます。この当時、上海は日本軍が占領していました。
その2年後、原さんが映画撮影のため上海を訪れ「戦時気分は無い」と言っているのです。日本軍がそれなりにきちんと上海を管理していたのでしょう。
慰問袋(いもんぶくろ)のはなし
出典:兵隊さんの慰問袋の中身
森田さん『(上海では)知った兵隊さんなんかにお会いになりまして?』
原さん『いいえ』
森田さん『(上海から)帰っていらしてから、向こうの上海在中の兵隊さんから手紙が来るということがありましょうね』
原さん『ええ、頂いております。』
森田さん『皆さんも慰問袋を差し上げたらお手紙が来たという方はいますか?』
ここで吉川公乃さんが会話に参加
吉川さん『ありますわ』
森田さん『ではそれを披露してもらいましょうか(笑)』
慰問袋(いもんぶくろ)とは、戦地で戦う兵隊に向けて送ったもので、中にはお菓子や手紙や写真や雑誌などを入れて戦地に送りました。兵隊の慰めたり元気づけるために送っていたんですね。まだこの時期は、慰問袋を送れるくらいには国内に物資はあった、ということです。この女子会に参加している女優さんも、慰問袋を送っていたようです。
基本的に、送り先を指定することは出来ません。どの兵士が受け取るか送った時点では分からないのです。ただ、自分の住所を記載したお手紙を入れていた場合、お返事が来ることもありました。
兵隊さんからのお手紙
吉川さん『兵隊さん達から、たびたびにお手紙がまいりますの。でも今はバラバラになって戦死された方もいますのよ。本当にお気の毒ですわ‥』
森田さん『橘さんはやはり知らない兵隊さんからお手紙がくることがありまして?』
橘さんに話を振る森田さん
橘さん『私もございます』
森田さん『何と書いてあって?』
橘さん『(笑)‥中にはしょっちゅう下さった方が負傷されて世田谷の病院にお帰りになったのでお見舞いにお伺いいたしました。とても喜んでくださいましたわ』
森田さん『原さんも知らない方から(お手紙が)まいりまして?』
原さん『知らない兵隊さんの方が多いですわ』
森田さん『どんなことが書いてあって?あなたの写真を見て大変幸福ですということ?(爆笑)』
間下記者『写真にサインをして送ってくれというような物も多いでしょうね』
原さん『ございます。その時はすぐにお送りしておりますが‥何かのお役に立てばと思って‥』
ここにきて森田さんの「攻撃」が本格化してきますね~。
慰問袋は送り先を指定できませんから、受け取った兵隊は"たまたま"女優の橘さんや原さんの慰問袋を受け取ったことになります。そりゃ、頻繁に手紙を送るでしょうし、『写真にサインして送ってくれ!』っておねだりしますよね。
インタビューは続きます
森田さん『美鳩さんは?』
美鳩さん『わたくし、お正月に九州のある病院に慰問(お見舞いのこと)にまいりましたの。そしたら"何でもいいから挨拶してほしい"というお話です。そのときは(負傷して入院している兵隊さんが)4人くらいいたのですが、私、ご挨拶の言葉もないので"兵隊さん、ありがとうございます"と言っただけで兵隊さんが泣き出してしまったのです。』
ここで歌上さんが話に加わる
歌上さん『私も知らない兵隊さんが多く、プロマイド写真を入れてくれとおっしゃられます。でも、一人の兵隊さんはご自身が向こう(戦地で)で撮った写真を入れてくださったり、珍しい高山植物を同封して送りますといって送ってくださりましたわ。』
森田さん『こっちが嬉しくなりますわね。』
ここで國分さん話に加わる
國分さん『私もはげましてくださるお手紙ですの、本当に嬉しくて』
森田さん『(國分さんの)舞台を見たという方からでしょう?』
國分さん『そうです、元気でいますかとかいてありますの。ありがたいと思っています。』
女優の写真を欲しがったりとか手紙出しまくったりとか、80年前も今も男性って変わらないんですよね。お返事に知らない男性の写真をもらってもどうするんだって話ではありますが‥。
女優さんや芸人さんが戦地や戦地で負傷した入院患者のいる病院にお見舞い(慰問と言っていた)に行くことがありました。AKB48のような「会いに行けるアイドル」ではなく「会いに来てくれるアイドル」とでも言いましょうか。
森田さん『みなさん、慰問袋は出しました?』
一同『出しました!!!』
森田さん『(慰問袋の中身は)何が喜ばれましたか?』
吉川さん『雑誌がやはり喜ばれるようですわ』
森田さん『やはり"週刊朝日"なんか良いのでしょうね(爆笑)』
櫻木記者『事実、週刊朝日は陸軍や海軍を取り扱う数が一番多いのです(ドヤ顔』
間下記者『ちょっと鼻が高いわけです(ドヤ顔』
当たり前ですが、『週刊朝日』が企画している女子会ですから、ごり押しするのは当然です。
終わりに‥(第2回に続く)
ご覧いただきありがとうございます。もうね、1回じゃ全然終わらないです。なので、全3回構成にして続きは【第2回】ならびに【第3回】の記事でお楽しみください。
【第2回】
【第3回】