【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、筆者である私所有の昔の雑誌を、解説を入れながら読んで行くシリーズ記事です。今回は、1978年11月発行の『アサヒグラフ 中国旅行案内』をご紹介していきます。
『アサヒグラフ』とは、朝日新聞社が1923年から2000年まで発行していた写真誌のことです。以下wikipediaに説明があります。
"日本における写真誌の草分け的存在で、数々の歴史的な報道や、その時代に代表される世相や風俗の特集記事を多数掲載、資料的価値も高い。大正デモクラシーから、戦前、戦中、戦後、高度経済成長、オイルショック、バブル崩壊、そして21世紀の幕開けまで、77年間の長期にわたり刊行を続けた日本を代表するグラフ誌である。"
1978年というと、日本と中国の間で日中平和友好条約が締結された年でもあります。中国は当時、ソ連側の陣営(いわゆる東西冷戦の東側)に属していましたが、西側諸国の日本と平和条約を結ぶことで、少なくとも日本と中国の間には敵対関係は存在しない、とされたのです(中国とソ連の関係が悪くなったのが背景にある)。
平和条約の締結に伴い、両国の人の行き来が活発になることをにらんで発行されたのが、当雑誌と言えます。当時はまだまだ海外旅行は高嶺の花であり、インターネットも一般には浸透していない時代だったので、中国がどんな国なのか、一般の日本人には正確に浸透していなかったと考えられます。当雑誌は、今後増えていくであろう中国への旅行者に対する指南書的立ち位置にあったことでしょう。
ちなみに当時の中国は、年間どのくらいの観光客を受け入れるか政府が決めており、国の責任で海外旅行者を受け入れていました。個人で自由に旅行できる国ではなかったのです。(現在もチベット自治区など一部の地域は許可証が必要)。そのため、旅行希望者は、旅行会社のツアーを通して中国へ旅行に出かけていたのです。
雑誌が発行された1978年の年間訪中日本人数は3万人だったようです。2019年の訪中日本人数が約267万人なので、当時はまだまだ中国への旅行は一般的では無かったようです。逆に言えば、だからこそ『中国旅行案内』で知る中国の様子は新鮮だったはずです。
<目次>
表紙
表紙は中国の大都市の1つ、上海の様子。人々のほとんどは「人民服」という当時の中国国民の標準服を着用しています。
この雑誌が発行された1か月後の1978年12月、中国政府はそれまでの閉鎖的な経済体制から開放的な経済体制への転換を宣言。外国資本の受け入れを開始し、徐々に中国国内に外国の先進的な文化が入ってくるようになりました。
言い換えるとこの雑誌には、開放政策が実施される直前の中国の様子が写されている、ということです。
中国の街や人の様子
表紙めくったらいきなりインパクト強めの写真が(*'ω'*)。全員人民服&お年寄りだもん。太極拳の真っ最中です。年代的に、戦争をゴリゴリに経験してきた猛者たちでしょうね。
数十年前の中国って人民服着てチャリ漕いでるイメージ。そのイメージ通りの写真。
東北地方(満州あたり)の市場の様子。デカい茄子っぽい野菜。野菜を路上に積み上げて売りさばくスタイルって途上国でよく見かけますね。
こちらも市場。じゃがいもが路上に山積み。ってかチャリの数凄いな、しかもみんな同じ型のやつ(*'ω'*)
古都として有名な洛陽の市場。何の肉か分かんないですけど、路上でさばくスタイル。
日本でもおなじみのポンポン菓子屋さん。
東北地方の街、長春(ちょうしゅん)にある食堂。水餃子美味しそう。中国の東北地方における主食は米ではなく、饅頭や餃子といった小麦粉系の食物になります。餃子をおかずとしてではなく、主食として食べているんですよね。逆に南部の中国人にとって餃子は、ファーストフード的な意味合いが強くなります。
ベトナム国境近くの街、南寧(なんねい)。亜熱帯地域に属するだけあって、街路樹はマンゴーの木。そしてたぶんこの当時の建物にクーラーはついてないと思われます(*'ω'*)
四川省にある都江堰(とこうえん)という水利施設。現在では世界遺産に登録(2000年に登録)されています。詳しくは当ブログ過去記事を読んでください。
ビルの建設が進み近代化が進む大都市、上海。でもね、この工事の足場って竹で組み立てられてるんですよね。近代化と昔ながらの工法が混ざり合っています。
中国の奥地、ウイグル自治区の都市ウルムチにある世界自然遺産の天池(てんち・2013年登録)。池の大きさは4.9㎞²。現在のシルクロードを旅するツアーで必ずと言っていいほど日程に組み込まれている観光地になっています。
上に同じくウイグル自治区ウルムチ。ラクダのキャラバン隊。
東北地方の都市、ハルビンの街並みの様子。位置的にロシア(当時はソ連)が近いこともあって、建物もロシアっぽい。
中国の子供たち
中国の首都、北京。アイスキャンディーを食べながら歩く3人の少女。当時のレートで日本円換算すると1本2円だったそう(欄外説明あり)。円安の今なら下手したら日本で買う方が安そう(*'ω'*)
上海に隣接する町、蘇州(そしゅう)。中学生くらいの年代ですかね。これらの石は、水路を補強するためのものです。"東洋のヴェネチア"って呼ばれてるくらい水路が発達した街ですからね。
休日の公園で遊ぶ母と子。
北京での1枚。肩掛けかばんを下げている様子から、校外学習(遠足とか?)の途中でしょうか。
その奥に中国政府の宣伝看板が掲げられていて、まあ社会主義国っぽいな、と思っちゃいます。「独立自主 自力更生」とは、当時の中国政府がよく掲げていたスローガンです。"諸外国の圧力に負けずに自力で困難を乗り越え、社会主義国としての独立を守ろう!"的な意味が込められています。
まあ、このスローガンもこの年(1978年)に開放路線に踏み切ったことをキッカケに以後あまり使われなくなるんですけどね。
北京での1枚。カメラを向けられたので並なおした模様。大人たちは地味な人民服を着ているのに、子供たちは割とシャレオツな洋服を着ているのが印象的。
蘇州校外にて。何て言ったらいいか分からないですけど、いい写真だ(*'ω'*)
私的ベスト写真がこちら。蘇州の街中にある水路橋の上で。今生きているとしたら50代後半くらいですかね。この後どんな人生を送っていったのでしょうか‥。
終わりに…
1978年の開放路線以降、中国は目覚ましい経済発展を遂げたことは皆さまご存知かとは思います。現代の超近代化された摩天楼群の街並みを見るのも、それはそれでワクワクはしますけど、もし出来ることならこの当時の中国を歩いてみたかったです。絶対不便で窮屈で都市部ですらトイレもボットン便所なんでしょうけど、それを超える魅力があるような気がしてなりません。
<過去の中国訪問記事はこちら>