【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、ツベルクリン所有の昔の雑誌を解説を入れながら読んで行くシリーズ記事です。今回は、このたび退位される今上天皇陛下御成婚60周年記念と題して、1959年4月発行の『アサヒグラフ~皇太子ご結婚記念画報~』を読んで行きます。
『アサヒグラフ』は、当ブログをご愛読の皆さまでしたら、親の顔より見たと思います。大正時代から平成12年まで発行された報道写真雑誌です。
雑誌中の「皇太子」とは、2019年4月30日にご退位なさる今上天皇陛下のことを指します。
出典: https://www.sankei.com/life/news/180814/lif1808140008-n1.html
天皇陛下と皇后美智子さまです。お2人は、1959年(昭和34年)4月10日にご成婚されました。その時の様子をまとめて写真を掲載したのが、今回の臨時増刊号です。
美智子さまは、旧名を正田美智子といい、一般人からの嫁入りでした。昭和天皇までは、天皇の夫人(皇后・こうごうと言う)は皇族もしくは旧華族(昔の大名家)から出すという慣例がありました。
その慣例を打ち破る嫁入りで、当時の常識からすると異例であり、そして少なからず「一般人が皇室に入るなんてけしからん!」というような批判があったとされています。
お2人は、軽井沢で行われていたテニス大会でお知り合いになり、交際を始めたようです。当時は世間一般でも、まだお見合い結婚が一般的だった時代に、天皇陛下御自身が"恋愛結婚"でご成婚なさったのです。ってか、よく美智子様は「初の平民皇后」みたいに言われますが、軽井沢のテニス大会に出るような人は、平民とは言わないのです(´・ω・`)。少なくとも、お嬢様です。
では、当時のご成婚の様子を見ていきましょう
<目次>
表紙ページ
ツベルクリン所有の雑誌だということを示すために、"ツベルクリンのもの"と書いたメモ用紙を添付しています。デジタル社会の到来を予感させる非常にハイテクなやり方です。
裏表紙の広告ページ
洗濯機の広告です。「あなたの美しい手をお洗濯なんかで荒らさないでください」というお世辞というか上っ面だけの文面が踊ります。当時、「洗濯機・冷蔵庫・テレビ」が"三種の神器"ともてはやされました。
乾燥機なんて付いてないから、洗濯機に"絞り機"が付けられ、濡れた洗濯物をローラーでくるくる回して水気を絞るという原始的なやり方で脱水してました。
お値段は2万7800円です♪
なお、サラリーマンの平均月給が1万8000円くらいの時代だったもよう(´・ω・`)
結婚式の当日の様子
正装をした皇太子さま(当時)と美智子さま。
結婚式は1959年4月10日に行われました。結婚式が行われる東京は、前日まで大荒れの天候でしたが、当日は雲一つない快晴。お2人は晴れ男&晴れ女なんですね。
4月10日のスケジュールは、午前中にこの結婚の儀(いわゆる結婚式部分)を行い、午後から朝見の儀(両親である昭和天皇&皇后陛下にごあいさつ)、そしてその後にご成婚パレードを実施するという流れでした。
パレード出発前のお2人。美智子様の方が1歳年下で当時25歳と24歳でした。ツベルクリンより若いのにこのオーラ(´・ω・`)
ご成婚パレード
読者の方も、ご結婚されている方は結婚式の際にパレードをやったと思いますが、それと同じように天皇陛下&美智子様ご成婚の際も、ご成婚パレードが実施されました。
ご成婚パレードのルート図です。
結婚式や朝見の儀は皇居で行われました。パレードは、皇居から皇太子夫妻(当時)のお住まいになる東宮御所までのルートでした。
ちなみに、2019年5月1日に新しく即位される徳仁親王(現在の皇太子、新天皇)が雅子さまとご成婚された際(1993年)も同じルートです。まあ皇居から東宮御所は9キロくらいですから、変えようがないんですけどね。
ご成婚パレードが皇居を出発しました。周りは人でいっぱいです。
現在の四谷見附です。
武蔵野音楽大学の楽器隊です。全員同じ顔に見えますが60年前だから問題ありません。
美智子さまの母校、聖心女学院の生徒たちも見に来ていました。ちなみに、1959年4月10日は金曜日でしたが、お2人がご結婚なさる日だったので強制的に祝日になったのです。先輩の美智子さまのおかげで学校が休みになったので、もうウキウキです。
こういうパレードを見るためには、前の日から沿道に泊まり込みできるような暇人じゃないと良い位置で見れないものです。このように、パレードを見れるようにテレビが設置されました。
ちなみに、全国放送でパレードは生中継されました。そのパレードが見たいがために当時はクソ高い白黒テレビを買う人々もいました。1958年のテレビ普及率は10.4%でしたが、1959年には23.4%に急上昇しました。60年前の人も今と変わらずミーハーなのです。
披露宴のようす
皇太子の結婚式ともなると、結婚式と披露宴は分けて別の日に開催されます。結婚式&パレードは4月10日、披露宴に当たる祝宴は4月13日~15日までの3日間にわたり3500名ほどが招待されました(ツベルクリンは残念ながら招待されていないし産まれていません)。
3500名の招待客なので、5回に分けてお食事会が催され、皇太子ご夫妻ももちろん出席、ずっと食事し続けるというフードファイター並みの過酷さです(´・ω・`)
祝宴の様子を、雑誌中の文章を引用して見てみましょう
「祝宴の献立は、日本料理と日本酒で、料理はタイ、魚の切り身、かまぼこ、栗きんとん、ようかんなどの盛り合わせ折詰、1人前1000円程度。」
『えっ、料理の値段1人1000円?サイゼリアかよ!』と一瞬勘違いしましたが、今とは物価が違いますわ。ツベルクリンが物価の目安とする基準は"サラリーマン平均月給の推移"です。
2012年→326000円
1959年→17354円
326000÷17354=18.7852‥
つまり、現在のだいたい18分の1程度の物価なので、1人18000円のコースですわ。サイゼリアで18000円分とか、何個ミラノ風ドリアを食べればいいのか分かりません。
3500人出席するので、献立によると3500尾の鯛を準備しなければなりません。本物の"宮内庁御用達"の魚屋さんがあったようです。
宴会と言えばお酒です。これまた本物の"宮内庁御用達"の酒造であり、こ披露宴では"惣花"という清酒を献上したようです。ちなみに当時は惣花は市販されていなかったようですが、現在は購入できます
【送料無料】【ギフト品】【代引不可】日本盛 惣花(そうはな) 純米吟醸超特撰 1800ml
そのお酒を注ぐための祝杯も特別に作られています。
人数分の祝杯が必要ですから、2か月がかりで作られました、瀬戸焼の祝杯です。
美智子さま関連記事
美智子さまは、キリスト教関連の学校をご卒業されていますし、テニスをするような洋風チックな方だったので、ほとんど着物を持っていませんでした。皇室に入られる際に、仕立てられた着物が上の写真です。
結婚式の朝、実家の正田家を出発する美智子さま。もちろんですが、この日以降、美智子さまが正田家に戻ることはありませんでした。ご両親もそれが分かっているのでうつむいています。
結婚式へのお迎えの皇室の車に乗車する美智子さま
現在では"嫁入り道具"なんて言葉も死語化していますが、皇室でも使う家財を実家の正田家から御所へ運んでいるシーンです。文章を引用します。
「トラックも新車、紫色の車体とタイヤのほりが鮮やかだ。玄関からトラックまで大きなテントが張られる。嫁入り道具を濡らすまいとの心遣いだ。和ダンス、洋ダンス、長持、家具、夜具、衣装箱などが次々と運び出される。大半が濃紺の風呂敷で包まれている。」
皇太子夫妻は、1989年に即位なさるまでは、東京赤坂にある東宮御所にお住まいでした。東宮御所は皇太子がお住まいになる場所として建造されました。
2019年4月段階では、東宮御所には皇太子さまと雅子さまと愛子さまがお住まいです。5月1日に皇太子さまが新天皇として即位した後は、もちろん皇居にお引越しされ、かわりに今上天皇と美智子さまが30年ぶりに東宮御所にお引越しされる予定です。東宮御所で余生をお過ごしになるんですね~(*'▽')
終わりに‥
出典:https://news.merumo.ne.jp/article/genre/8054983
1959年の4月10日の結婚式当日は前日までの悪天候が嘘のような快晴であり、お2人は「晴れ男&晴れ女」なのですが、もちろんたまに雨も降っちゃいます。でも、ご結婚60周年を迎えたお2人にとって、雨など全く気にならないのです。陛下の右肩が濡れちゃってますが、美智子さまが濡れなければ問題ないのです。
明日は、後半部分をお伝えしていきます。
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