私の30年間の人生において、最も衝撃的で深く考えさせられた出来事は、2016年4月14日に発生した熊本地震かもしれません。
もちろん、被害の大きさで言えば、2011年の東日本大震災の方が大きいです。ただ、当時の私はまだ大学生であり、なおかつその時点ではまだ訪れたことが無い東北で起きた災害ですから、ピンと来ない部分もあったのです(添乗員になって東北の被災地を訪れてやっとその被害の大きさを実感することができたのです)。
東日本大震災から5年後に起きた熊本地震は、私にとっても非常にショックな出来事でした。その当時、私は添乗員になって3年が経とうとしていました。熊本県は魅力溢れる場所ですから、ツアーで何度となく訪れた場所でした。熊本城はもちろん、阿蘇地方や阿蘇神社、そこへ行くのに渡った阿蘇大橋。2016年4月14日までは、そこには魅力たっぷりの観光県、熊本の姿が確かにあったのです。
wikipediaの阿蘇神社のページには、2012年撮影の阿蘇神社の楼門の写真がアップされています。阿蘇神社の楼門は江戸時代創建の建造物であり、本殿などと共に重要文化財に指定されていました。
熊本地震の特徴は、4月14日の震度7に達する地震の後、16日に再度震度7クラスの「余震」が襲っている点です。阿蘇神社の楼門も、14日の地震には耐えましたが、その後の16日の地震で倒壊してしまいました。
※以後、14日の地震を「前震」、16日の地震を「本震」と記述します。
熊本市内から阿蘇地方へ向かう時に見えてくるのが阿蘇大橋です。
wikipediaの写真は2009年撮影のものです。4月16日に発生した本震により、手前の山にて土砂崩れが発生。その影響で橋ごと崩壊してしまったのです。その瞬間に、橋を通行中の大学生が車ごと流され、帰らぬ人となってしまいました。
【熊本地震】「この手で抱き締めたい」不明大学生の両親、懸命の捜索の末に…見覚えある「黄色のアクア」発見(1/2ページ) - 産経WEST
この阿蘇大橋もツアーではよく通ってました。橋から滝が見えるので、車窓案内のポイントでもあったのです。
ツアーでも訪れていた阿蘇神社と阿蘇大橋が無残にも崩壊した事実は、私をかなり狼狽させました。事実、熊本地震の1カ月前にも、ツアーの仕事で阿蘇へ行っていたのですから。
この地震以降、しばらくは熊本県へのツアーは組まれなくなりました。熊本県の観光名所である熊本城も石垣や一部の建物が崩壊し見学できなくなってしまいましたし、阿蘇地方へ繋がっている主要国道である国道57号線が前述した土砂崩れで通行止めになってしまったのです。
※国道57号線の通行止めは現在も継続中(2020年中には解除予定。現在は、う回路が整備されている)
ようやく、熊本県へのツアーが再開され始めたころに、私は熊本地震の被災地を回る視察ツアーに同行しました。
出典:https://up-j.shigaku.go.jp/
熊本県の南阿蘇村に東海大学の阿蘇キャンバスがありました(写真は被災前のものと思われます)。阿蘇キャンバス=農学部であり、自然に囲まれた地で農学部の学生たちが地域の農家たちと交流しながら研究をしていたのです。あの日までは。
阿蘇キャンバスの周囲は「黒川地区」と呼ばれるエリアであり、"学生村"とも呼ばれていました(有名な黒川温泉とはまた別の場所)。
地震発生当時、黒川地区には800人の学生が生活していました。16日に発生した本震によって、黒川地区にあった大学生が住む下宿アパートが崩壊してしまったのです。
1階部分が押しつぶされ、3名の大学生の命が失われました(一方で生き埋めになっていた11名の大学生が救出された)。
Googleearthでそのアパートが閲覧できます。
現在は撤去されていると思いますが、当時の地震の被害をうかがい知ることが出来ます。
阿蘇キャンバスはいくつかの建物に分かれていたのですが、最も被害が大きくなおかつ断層の真上に位置している1号館に関しては震災遺構として保存する方向性のようです(地震後、農学部の機能は熊本市内の熊本キャンバスに移されました。黒川地区に居住する大学生は現在では1人もいません)。
私が訪問した時は、視察ツアー参加者のみの見学になっていましたが、コロナウイルス収束以降、耐震補強された1号館を震災遺構として一般公開予定とのことです。
衝撃の爪痕生々しく 「震災ミュージアム」 東海大阿蘇キャンパス、保存工事完了 | 平成28年熊本地震 | くまコレ | 熊本日日新聞社
視察ツアーでは、東海大学の大学生が「語り部」として震災に関する説明をしてくれました。彼(彼女)らは、地震後に東海大学へ入学してきた大学生であり、阿蘇キャンバスで学習したことも"学生村"の居住経験も無いとのことです。語り部の活動は、地震を体験した"先輩"から、地震を知らない"後輩"へ受け継がれていっているのです。
大学生の語り部さんたちが黒川地区を案内している時に、胸に突き刺さったのは地区内に掲げられていた「黒川地区アパート配置案内図」を目にした時です。その看板は、地震以前から存在する看板です。現在立っている場所を看板で確認すると、ここには"〇〇荘"が存在するはずなのですが、目の前に広がる景色はアパートではなく更地なのです。アパートが地震で全壊(もしくは半壊)してしまったことを暗に伝えています。
崩壊してしまった阿蘇大橋です。地盤調査の結果により、同じ位置に橋を再び架けることは出来ないとの判断が下されています。この場所は、今後も「かつて橋があった場所」として、その被害の大きさを伝えていくことになるのでしょう。
語り部の学生は最後にこう言っていました。
『復興が進めば進むほど景色は元通りになっていって、それとともに地震の風化も進んでいきます。でも、語り部が話す"生きた言葉"は決して風化しない。だから、私たちは先輩から語り部を受け継ぎ、そしてまた後輩たちへと託していくつもりです』
復興の道はまだまだ途中であり、そこへ襲ったコロナウイルスの影響。私は観光業に携わる人間として、『観光しに行くことが最大の復興支援である』と考えています。現状では外出自粛が促されていますが、コロナウイルスが終息した暁には、ぜひ魅力あふれる熊本県へお越しください!
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