※たぶん8分くらいで読めます
【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、ツベルクリン所有の昔の雑誌を解説を入れながら読んでいくシリーズ記事です。昔の雑誌に触れられるいい機会となるでしょう。
歴史なんか興味ない方でも、教科書読むより雑誌を読む方が面白いし、突っ込みどころも満載です。歴史嫌いな方ほど読んでほしい記事です♪
前回のシリーズは1925年発行の『アサヒグラフ』をご紹介していきました。
今回取り上げる雑誌は1939年(昭和14年)2月5日発行の『週刊朝日』です。今から80年前の雑誌ですね。
1939年という時期は、まとめると次のような時代です。
「1937年に始まった日中戦争(日本VS中国の戦争)が泥沼化してきており、国民生活に次第に戦争色が強まった。華美な服装は禁じられ、一部の品物に関して品不足が起こるようになってきた。とはいっても、まだまだ生活は逼迫しておらず余暇を楽しむ余裕もあった時期」
『週刊朝日』とは、朝日新聞社が1922年から現在に渡って発行している週刊誌です。現在発行されている週刊誌としては、『サンデー毎日』と並んで最も古い週刊誌です。
では見ていきましょう♪
<目次>
表紙ページ
戦前の『週刊朝日』は、表紙ページに絵画を乗せることが多かったようです。モデルは誰か不明ですが、女性の絵画が載せられています。
まだ、そこまで国民の自由が奪われていた時期ではないので、比較的おしゃれな服装ですし、パーマもあてているようです。
この雑誌が発行された1939年という時期は、戦時体制が強化される過渡期でした。東京のパーマ屋さんは850件を超えるほどにパーマをあてることが大流行した年でもあり、それでいて女性がパーマをあてることに対する"風当り"が強まった時期でもあります。
出典:https://twitter.com/musicapiccolino/status/
「パーマネントの方は当町の通行はご遠慮ください」と書かれた看板(教科書や歴史資料集なんかにの載ってました)
「パーマをあてるのにかなりの電力を使う。兵隊さんが頑張っておられるのに贅沢に電力を使うとはけしからん」という理論です。パーマをあてることが"禁止"されたわけではないですが、1939年以降はパーマは下火になっていきます。
わかもとの広告
2019年現在も販売されている「わかもと」。ご存知ない方は、ドラッグストアに行って「わかもとください!!私にわかもとくださ~い!!」と店員さんに言えばすぐに持ってきてもらえます。滋養強壮に効くそうです。
広告中の男性はスキーでもしに行くんでしょうか?「スキーの前に滋養強壮剤のわかもとを!!」ってスタンスの広告です。ちなみに、数年後の太平洋戦争真っ只中になると「兵器増産!!工場勤務の前にわかもと!!」みたいなスタンスに変わってきます。
出典:http://www2.ttcn.ne.jp/heikiseikatsu/hinjaku1.htm
(5年後の1944年の広告)
スキーやってる時は平和でしたね(´・ω・`)
アメリカ映画『海賊』の宣伝
1938年にアメリカで公開されたデミル監督作品『海賊』の広告です。とりあえず海賊が暴れまわる作品です(´・ω・`)
ヒロインはフランチスカ・ガールという女優。ブルガリア出身の東欧美人ですね
出典:https://www.imdb.com/name/nm0299898/
2年後の1941年、太平洋戦争が開戦しアメリカと戦争状態に突入します。もちろん、アメリカ映画の日本国内での上映は禁止されるのですが、まだこの1939年時点ではアメリカ映画上映OKだったんですね(^o^)
広告ですから当然、雑誌を読んでいる読者が『この映画見たい!!』って思うような写真を乗せるべきだと思うんですよね
なにこのシーン。なにこの顔(´・ω・`)
大相撲春場所総評
もちろん、この当時も大相撲は人気スポーツでした。現在は年6回の15日間開催で行われますが、当時は年2回(1月春場所、5月夏場所)の開催でした。
当時は横綱双葉山(ふたばやま)の人気がハンパなく、彼は69連勝という記録を持っていたのです(現在でも歴代連勝記録第1位。2位は現横綱白鵬の63連勝)
しかし、1939年の春場所、第4日目。70連勝がかかった取組において安芸ノ海(後の横綱)に敗れ、連勝記録は69でストップしたのです。
戦前のフィギュアスケート
今現在も開催されている全日本フィギュアスケート選手権は、1930年(昭和10年)に第1回大会が開催されました。その1939年度全日本選手権の結果総評の記事なのですが、写真の女子選手は優勝者である稲田悦子というスケーターでした。
彼女は1936年大会から40年大会まで全日本選手権5連覇を達成しています。1936年のドイツの冬季オリンピックにも出場しています。オリンピック出場時の写真が残っています。
出典:http://openaxel.blog14.fc2.com/blog-entry-89.html
赤い矢印が稲田選手です。身長低すぎるよ(´・ω・`)
それもそのはず、彼女はオリンピック出場当時12歳でした。
12歳だと‥(;・∀・)
夏季と冬季五輪合わせて、日本人のオリンピック出場選手の最年少記録だそうです。
そして、そのオリンピックにおいて彼女が滑走している映像が存在しました!
~15秒から20秒までの6秒間だけですが‥
1936 Winter Olympics Figure Skating (In memory of Cecilia Colledge)
フォトニュース
右側は「大阪第二国際飛行場」が開港したというニュースです。
当時の関西地方の空港は大阪府の木津川飛行場がありました。しかし、発着数が増えて限界を迎えたのでもっと大きな空港を造ることにしました。
現在の大阪市の大和川河口に「大阪第一国際飛行場」を建設することを決定。しかし、工事がなかなか進まなかったので、"とりあえず"の移転先として現在の大阪府豊中市と兵庫県伊丹市の県境付近に「大阪第二国際飛行場」を作ったのです。
「第一」の方の工事が遅れた理由として、当時工場地帯から排出される煙で着陸の際に滑走路が見えないんじゃないか問題が懸念されたからです。結局、第一空港の工事は中止。
戦後、第二飛行場は「大阪空港」と名称を変更。実は、これが現在の「伊丹空港」なのです。伊丹空港周辺の住民には『第一空港が出来るまで数年だけの空港やさかい、騒音とか我慢してな(´・ω・`』と説得して造られました。なお、とりあえずの伊丹空港は今年開港80周年を迎える模様。
左側の連続写真は、前述した双葉山の連勝ストップの瞬間を撮影したものです。
春に魁けて(さきがけて)をどる群衆
今まで当ブログ上で昔の雑誌をご紹介してきましたが、このページほど意図が分からないページはありませんでした。女性が踊っている写真を掲載している狂気的なページです(´・ω・`)
「盛り上がる若さだ 高き理想に憧れる青春だ 萌え出でんとする早春の大地を力強く踏みしめて高らかにうたう希望の唄だ 冷たい機械文明に挑みかからんとする奔流する熱だ!」
枠外に書いてある血気盛んな文章です。
この雑誌は2月発行ですから、おそらく写真は12~1月に撮影されたものでしょう。
寒い中ご苦労さまです(*‘∀‘)って感じです。
ちなみに、真ん中の白い服を着た女性。貝谷八百子(かいたにやおこ)という、日本女子バレエ界の第一人者ともいえるバレリーナなのです。戦後すぐの1946年に日本で初公演された『白鳥の湖』において主演を務めたのは彼女なのです。
※『白鳥の湖』の組曲はバレイ全く興味なくても聞いたことあると思います。
こちらもバレリーナ。石井久子と石井洋子の姉妹バレリーナです。足元には雪です。雪の上を裸足で踊っています。本当にお疲れ様です。
クラブ歯磨の広告
「クラブ歯磨」とは、中山太陽堂というメーカーが製造販売していた歯磨き粉です。歯磨き粉にそぐわない武将の銅像が描かれていますが、「楠木正成(くすのきまさしげ)」という鎌倉時代後期の武将です。
まあ長くなるとあれなんで簡潔に説明しますが、楠木正成は鎌倉時代末期、幕府を倒そうと兵をあげた後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の味方をし、死ぬまで天皇の家来として働き続けた武将なのです。
1939年当時は「天皇陛下万歳!!」の時代でしたから、楠木正成のような「天皇に奉公した武将」なんかは英雄視されたのです(今現在も当時建立された楠木正成の銅像が東京の皇居前広場に残されていますよ)
そんな「国民のヒーロー」である楠木正成の銅像を商品に印字したのです。
クラブ歯磨を製造していた中山太陽堂は現在、「クラブコスメチックス」と名前を変えて主に化粧品の製造販売を行っています。
女子に人気なのは「すっぴんパウダー」でしょうね。お化粧してなくても、肌を白く見せる効果があるおしろいです(/・ω・)/