【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、ツベルクリン所有の昔の雑誌を解説を入れながら見ていくシリーズ記事です。今回は、前回に引き続き1939年2月5日号『週刊朝日』の特集記事"兵隊さんありがとう座談会"という戦前の女子会でのガールズトークのぞいていきたいと思います(∩´∀`)∩
【第1回】はこちら(女子会のメンバー紹介などしています)
女子会の様子(【第1回】記事より)
女子会のメンバー表(各メンバーの紹介は前回の記事をご覧ください)
今回のキャプチャ画像は、女子会メンバーの"橘公子(たちばなきみこ)"さんです。女子会当時18歳。まさしく「女子」です。
女子会は、『週刊朝日』の男性記者2人(櫻木記者と間下記者)と森田たまという女流作家(一番の年長者。当時45歳)が、20歳前後の女優6名に対しあれやこれや聞いていくというスタイルをとっています。
前回の続きから始めましょう。(前回分をお読みになっていない方は、どうぞ上の方にリンクを貼っている前半部分の記事をご覧になってから、戻って来てくださいね)
※解説が必要な箇所や言い回しが難しいところは私が適宜ツッコミを入れていきます(*´ω`)
<目次>
自分にとっての"マスコット"
前回の記事では、女優さんと兵隊さんとの絡みについてのトークをご紹介していきました。トークは、"自分が大切にしているお守り"についての話題へと変わっていきます。
森田さん『今度の事変(中国の上海での日本と中国の武力衝突)でも、マスコットに奇跡的に命拾いをしたということが新聞によく出ておりますね。例えば、お母さんから貰った亡父の遺品とか子供の写真を持っていたために、それに弾が当たって命拾いをしたということが‥。そこで、皆様もマスコットよいう意味で何かお持ちになっているでしょうね、そのお話をお聞かせください」
マスコット→「人々に幸運をもたらすと考えられている人・動物・もの」のこと
(wikipediaより引用)
國分さん『私はおじいさまから頂いた災難除けのお札です』
森田さん『それを身につけられていますの?』
國分さん『はい』
森田さん『美鳩さんは?』
美鳩さん『おばあさまから頂いた成田さんのお守りですの』
※成田さん‥千葉県成田市にある成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)のこと
原さん『私も成田さん‥(笑)』
橘さん『私もお守りです』
森田さん『吉川さんは?』
吉川さん『さあ‥私もお守りにしましょうか‥(笑)』
森田さん『怪しいですね(笑』
吉川さん『でも皆さん、お守りですもの(笑)』
櫻木記者『マスコットというと例えば熊の人形とか、じぶんの持っている一番好きなものがマスコットになるのではないですか?』
森田さん『でも日本人はまだ何かにすがる気持ちがありますから、やはりお守りがそういうことになるのでしょうね』
現代の女子も神社仏閣に行ってお守り買ってますし、お守りにもすがっちゃうし(特に縁結びお守りとか)。このあたりの気持ちは80年たっても変わりませんね。
兵隊さんからのお守り&風呂敷のはなし
橘さん『お守りをいっぱい集めておりますのよ。私は戦地の兵隊さんが送ってくださっているものですから、それで何となく集めてみようと思って‥』
基本的にお守りの"賞味期限"は1年間です。初詣の際に古いお守りを神社に奉納するのが普通なのですが、戦地の兵隊さんはそれが出来ないので、送り主の橘さんにお返ししているものと想像できます。
森田さん『それで集まったのね。つまり戦地の兵隊さんが、こちらから持って行ったお守りをわざわざ送ってくださるわけね。吉川さん、あなたたくさんありそうね(笑)』
吉川さん『私ばかり虐められているようね(笑)』
ここで若手女優サイドが年長者の森田さんに"逆襲"に出ます
美鳩さん『あの‥私から先生(森田さん)に質問を‥それは先生のマスコットが何だかお聞きしたいのですが‥(笑)』
森田さん『それが、風呂敷なのです(笑』
櫻木記者『またそれは変わっておりますね(笑)』
森田さん『実は、風呂敷を持ってお友達のところへ行ったら、とても良い柄なので使いたいというので差し上げたのです。そして帰ってきたら次から次へと嫌なことばかり出てくるので考えた結果、あの風呂敷をあげたせいだろうと‥。だから手紙を出して取り返したのです(笑)それが取り戻すとみんな元通りになったのです』
櫻木記者『それは面白いですね』
森田さん『風呂敷をあげて取り返すなんてケチ臭いんですがね(笑)』
美鳩さん『先生のも素晴らしいマスコットですわ(笑)』
間下記者『風呂敷といえば、関西のご婦人は出かけるときは必ず風呂敷を持っていくそうですね。もっとも、今ではハンドバックに変わったようですが‥』
森田さん『ハンドバックをさらに風呂敷に包む方もいますからね(笑)でも紙の問題がやかましい今、デパートなどは包み紙は止めて、風呂敷を持って出かけることにしたらどうでしょう?』
間下記者『関西では"風呂敷で包みましょう"というポスターがデパートに出ているそうです』
吉川さん『でも(デパート側は)どうしても紙に包んでくれますの』
森田さん『もっとも包み紙はその店の広告ですし、デパートなど、そこら辺の品物を風呂敷に包んでしまわれたら(万引きされたら)大変ですからね(笑)』
話を聞くと、女性がお出かけするときに風呂敷ではなくハンドバックを持っていくようになったのがこの頃(80年前)みたいですね。
話題になっている"紙の問題"は現在の環境保護の観点からの話ではなく、当時は戦時下で物資の節約が叫ばれ始めた時代だから、ということです。
ラブシーンの撮影について
風呂敷の話をしていたのに、いきなりトークは"ラブシーンの撮影について"に移ります。おばさんの風呂敷の話なんてどうでもいいのです(´・ω・`)
森田さん『映画のスチルを見ていると、実にやりにくいと思いますね。ことにラブシーンの時など大変でしょう(笑)』
橘さん『慣れていましても‥でも決まりが悪いことがありますわ‥』
"映画のスチル"とは、映画の一場面を写真で撮影したもののことです。主に、映画のパンフレットや宣伝用に、映画撮影用のカメラとは別に写真を撮影するのです。
森田さん『美鳩さんはどうですか?』
美鳩さん『私、したことがありません(笑)』
森田さん『原さん、そういう時の気持ちは?』
原さん『やはり仕事ですから‥(笑)』
森田さん『気分を出そう、出そうと思ってやられるのかしら?』
原さん『本当に虫の好かない人とはやはり出来ないとは思いますね(笑)』
森田さん『人が見ているというのは気になりませんか?』
原さん『慣れてくるとかえってやりにくいですの。会社へ入りたての頃は無我夢中で一生懸命やりましたが、このごろは端に人がいるとかえって気になってしまい、思うようにできません』
森田さん『初めは周りに人がいても目に入らなかったが、慣れて来て余裕が出来たら周りの人があんな顔をし見ているといったようなことが気になってしまう、ということですね。』
原さん『そうですわ』
補足説明します。戦前の映画というのは政府のチェックが入りますので、現在で言う「ラブシーン」はご法度だったのです。ベットインはおろかキスシーンでさえ無かったのです(せいざい男女が抱き合うくらい)。
なので、この会話を聞いて興奮された方、申し訳ありません(´・ω・`)
女優の仕事の大変さについて
話は女優という仕事について、というテーマに移っていきます。
森田さん『映画にしてもお芝居にしても、言葉遣い、セリフの問題など大変ですね』
吉川さん『そこへ行くと映画はカットして撮り直しが出来ますが、お芝居だと失敗はその日のお客様には、それでおしまいですからうっかり出来ません。自分で"今日は大丈夫"と思って舞台から帰ってくると、先生に叱られて悔しいことがあります(笑)』
美鳩さん『お芝居でもそうでしょうが、セリフを変える監督さんがいるのです。2、3行のセリフなら私にもどうにか覚えられますが、5、6行になりますとちょっと覚えられませんわ』
森田さん『監督さんの気分ですから辛いでしょうね。そして、そういう苦心をなさったことが直接観客には分からないということもちょっと辛いわけですね』
ここで話は「映画の撮影時間とか拘束時間が長い」問題に話題は変わっていきます。
森田さん『このごろは夜の撮影はありますか?』
美鳩さん『私の方ではあります』
橘さん『私のところでも致します。本当に辛いです』
吉川さん『お芝居の楽屋なんかで子役さんが自分の出番を待っているうちに、椅子に腰かけてウトウトと眠ってしまうんです。そのうちに、さあ出番だよと言われてやっと目を覚まして出ていくのを見ますが、そんな小さな人なんかに夜の仕事は可哀想ね』
さらっと吉川さんすごいこと言ってますが、この時代は子役(多分小学生くらいか?)も深夜まで撮影に駆り出されていたというからヤバイ時代です。現在では労働基準法により、午後8時から午前5時まで満12歳以下の児童を拘束することは法律で禁止されています。読者の方で映画監督の方がいらしたら、十分お気を付けください。
森田さん『お昼は何時ごろから撮影は始まりますの?』
原さん『冬でしたら午前8時集合で9時開始。夏は午前7時集合、8時開始ですけれど皆さん時間がルーズですから、たいていの場合お昼頃から入るんです。ですからどうしても夜になってしまいます。皆の気分がピッタリ合うまで時間がかかるんです』
森田さん『気分というものでもって動くものなのね。遅くなるのは、監督さんが朝寝坊するからという場合もあるのでしょう(笑)』
原さん『早い監督さんでしたら時間通り進みますけど、ちょっと時間を遅れたりする方もありますわ』
森田さん『そうかといって夜ばかり撮るという訳にもいかないんですね、夜も昼も、だから大変ね。映画は全部夜に撮って昼間はみんな寝ていますというわけにはいかないかしら?(笑)』
間下記者『劇団のほうでも夜通し稽古をすることがあるんでしょう?』
國分さん『ええ、夜通しではありませんけど‥私たちは今スケートの稽古をしていますの。今度の舞台でやるんです』
森田さん『スケートって氷の上?』
國分さん『いえ、ローラーです』
ローラースケートで舞台って光GENJIかよ(*'ω'*)。日本におけるローラースケートの歴史は結構古く、日本に紹介されたのは1877年(明治10年)。戦前には数多くのローラースケート場があったようです。
終わりに‥(続きは次回)
ご覧頂きありがとうございます。次回は最終回【第3回】をお届けいたします。次回以降も引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。
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