【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、筆者であるツベルクリン所有の昔の雑誌を、解説を入れながら読んで行くシリーズ記事です。今回は今から80年前の1939年3月1日号『写真週報』を見ていきましょう。
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『写真週報』とは、1938年より1945年まで発行されていた雑誌です。発行していたのは、内閣直属機関である情報局です。もちろん、軍も関与しており、あくまで都合のいい事だけを掲載している点は否めません。しかし、"写真"というフレーズが出てくるように、多少の脚色はあるでしょうが当時の国民生活の様子を写真を通して垣間見ることが出来る点においては、非常に読み応えのある雑誌です。
1939年というと、ヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発した年です。日本も2年前の1937より中国と戦争状態に突入していました。戦時体制が強まってきた時期ではありますが、まだ日本本土が戦場となる事態にはなっておらず、多少の余裕を感じられる時代でもあります。そんな時代の雑誌を見ていきましょう。
<目次>
満州国建国7周年
満州国(まんしゅうこく)とは、現在の中国東北部の満州地域に1932年〜1945年に存在した独立国(とされる)です。
(とされる)って表現なのは、満州国は日本のあやつり国家であり、とても独立国家としての体裁なんか保っていなかった、との見方があるからです。
その満州国が建国7周年らしいです。7周年とはまた中途半端です(๑・̑◡・̑๑)。写真真ん中が、満州国の皇帝である溥儀(ふぎ)です。彼は、20世紀初頭まで存在した清(しん:今の中国)の最後の皇帝であり、"ラストエンペラー"って呼ばれてます。その彼を日本が無理矢理満州国に引っ張ってきて、皇帝に据えたのです。
姑娘は風を切って
姑娘(クーニャン)とは、中国語であり訳すると未婚の女性という意味です。この『写真週報』は、中国大好きらしく、中国の写真もたくさん掲載しています。当時は、日本と中国の間で日中戦争が勃発していました。日本が占領した中国の地域の住民は、日本の支配下のもと仲良くやってますよアピールでしょうかね。
上の写真は、中国の北京中央公園とのことです。夏はボート遊びに使う池が冬は凍るのでスケートリンクになちゃってます。
ソリを押す女の子
左は中国人、右は日本人です。手を握って仲良くスケートしています。中国に住んでいる日本人もいたみたいですね。戦争している同士なんですけどね。やらせなのかそれとも一般人レベルだと気にすることはなかったのか、そこまでの深読みはこの記事だけではできません。
ってかチャイナ服でスケートって滑りにくくないんですかね?(๑・̑◡・̑๑)
わが鐵腕鐵脚部隊
鐵=鉄の旧字体
このような部隊が戦時中に存在したとは初めて知りました。戦場で負傷し、足や腕を失い義肢を使用している兵士の部隊です。彼らはともに生活しリハビリに励んでいたようです。
右足が義足です。
まだ、パラリンピックという概念がなかった時代、彼らはスキーに活路を見出しました。義足選手が出場するスキー大会でも活躍したようです。
これらの写真って今までに表に出ることが無かった写真だと思います(まあ雑誌に掲載されてるんだけどね)。日本は戦前から義手や義足を作る技術が高かったようです。
白衣と桃の節句
3月号ですからお節句に関する話題も出てきます。写真の場所は東京第一陸軍病院です。普段、戦争で傷ついた兵士の看病している看護師さんたちも、ひな祭りは楽しみたいのです。女の子だもん。
写真の欄外には『白酒にほんのりと頬をそめて、彼女たちは朗らかに歌いだす』とか書いてますが、見た感じ未成年の女性ばかりな気がしますが大丈夫でしょうか?まあ大丈夫なんでしょう。
悲しいのは、これより時代はさらに難局に向かっていくということです。陸軍病院の看護婦さんたちもこの後過酷な任務に携わっていったのでしょうね。
雪の中の子たち
"子供は風の子"とかいう意味不明な理論で、子供たちはなすすべもなく寒空に放り出されます。それは、昔の方がひどかったみたいです。ここで取り上げられているのは、長野県の子供たちの写真です。
現在の中学生くらいに当たる年齢の少女たちです。みなさん半纏(はんてん)を着てらっしゃいますわね。ユニクロのヒートテック貸してあげたいです。
騎馬戦をやってます。ってか雪面に裸足じゃん。まあだからって騎馬戦にわら靴履くのもアレだけどさ…(*'ω'*)
畳も冷たいんだろうなぁ…
小学1年生の登校風景です。このくらいの年齢ならおかっぱ頭でも可愛いですよね。ってかさっきの中学生の先輩は貧乏くさい半纏着てたけど、このガキはなにシャレオツなコート着てんの?(*'ω'*)。
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明治製菓が製造していた明治紅茶。注目すべきは"純国産代表的優良種"というフレーズ。つまり、日本産の紅茶を使用していたってことです。
現在でも日本で紅茶を栽培しているところはありますが、全消費量の1%にも満たない量です。ですが、この当時はむしろ日本が紅茶を"輸出"するぐらいだったようです。
戦後、安い海外産、とくにスリランカの紅茶が日本に入ってくようになり、1971年には紅茶の貿易自由化により国産紅茶は決定的な打撃を受け以後衰退してしまいました。
現在のクラブコスメティックス、当時の中山太陽堂が製造していたクラブ歯磨き。気になるのは、左上の「驚異的殺菌力」のところ。チフス菌や大腸菌、さらには結核菌までも"完全死滅"するらしいです。令和の時代では"99.9%除菌(全ての菌を除菌するとは言ってない)"みたいに逃げ道を作ってるのに、この時代のこの自信はどこから来るのでしょう。
ってか、歯磨き粉なんだから虫歯菌さえ死んでもらえたらそれでいいです。結核菌まで完全死滅させちゃうようなヤバイ物体を口の中に入れたくはないんですけど(*'ω'*)。
終わりに…
80年前の暮らしの様子を雑誌を通して皆様にご覧いただきました。すると、80年後の22世紀には『80年前は"スマホ"っていう機械で連絡取り合ってたらしいよ(笑)』みたいに思われるのでしょうかね。
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