私は元中学校の教師です。教師にとってなくてはならない物、それはチョークです。チョークは基本的に各教室に何本か設置してありますが、私が現役教師だったころは、マイチョークを持ち歩いていました(恐らくほとんどの先生がマイチョークを持っていました)。
チョークはAmazonでも扱っており、教育界の中でも"定番"と言われていたのは、「ダストレスチョーク」という製品です。
日本理化学工業 ダストレス ダストレスチョーク 72本入 白 DCC-72-W
このチョークは、至高にして最高です。特徴として
- ホタテ貝の貝殻(廃棄分)を使用
- 書き味がなめらか
- たくさん書いても手が疲れにくい
- 手が汚れない
- アレルギー物質が入っていない
手が汚れないっていうのは、教師にとっては非常にありがたいです。手が汚れるとそのまま着ているスーツまで汚れてしまいますからね。少なくとも私の勤務校は、すべてのチョークがこのダストレスチョークでした。
誰もがなじみあるチョークですが、そのチョークを作っている会社ってご存じですか?実は、日本のチョークの7割以上は「日本理化学工業」という会社で製造販売されています。
日本理化学工業は1937年創業の会社です。この会社には1つの特徴があります。全従業員86名中、63名が知的障害を持つ社員なのです。実に7割以上が障害を持つ社員で占められているのです。
日本理化学工業が障害者雇用に乗り出したは、先代の社長、大山泰弘氏が社長に就任してすぐの頃でした。
1960年(昭和35年)、日本理化学工業の元に近くの東京都立青島養護学校から、教師と生徒2名が訪問してきました。生徒は当時15歳と17歳の知的障害を持つ少女でした。
教師は、社長の泰弘氏にこう依頼します。『ぜひ貴社で当校の生徒2名を雇って頂けないか』と。
↑先代の社長、大山泰弘氏
当時の日本は、同じ1960年7月に「障害者雇用促進法」が制定されましたが、制定当初は企業側に障害者の雇用義務は無く、しかも雇用の対象とされたのは身体障害者であり、知的障害者はその対象にさえ考えれられてはいなかった時代です。
そのような世相の中、泰弘氏は当初、教師の申し出を断りました。障害者を雇う自信が無かったのです。それでもその教師は、何度も会社を訪ねては生徒の雇用をお願いしてきたのです。そして、その教師はこうお願いします。
『もし、雇って頂くのが難しいのなら、せめてこの子らに"働く経験"をさせてもらえないでしょうか?働くことを経験させたうえで卒業させてやりたいのです。』
教師の熱意に押された泰弘氏は、2週間の就業体験という形で2人の生徒を受け入れました。2人に任せた仕事はチョークを挿入する箱のラベル貼りでした。簡単な作業ではありましたが、2人は時間も忘れて一生懸命作業に没頭したのです。その姿は、ほかの社員の心を動かしました。
就業体験の最終日。社員たちが社長である泰弘氏を取り囲みます。『2人を正社員として雇ってください』と、懇願してきたのです。泰弘氏は社員たちの声に、2人を雇うことを決めます。
ただ、その当時の泰弘氏の心のうちは、彼女たちを雇うのは戦力として考えているのではなく、"同情心"からでした。それと同時に『障害を持つ彼女たちは、会社で無理して働くより施設に入ってのんびり暮らす方が幸せなのではないか?』と疑問を持っていたのです。
そんなある日、知人の法事の席で、寺の住職にそんな疑問を投げかけた時がありました。その住職はこう答えました。
『人間の究極の幸せとは、以下の4つです。「人に愛されること」「人に褒められること」「人の役に立つこと」「人から必要とされること」。このうち、愛されること以外の3つは会社で働くことを通じて叶えられる幸せです。障害者の方たちが、企業で働きたいと願うのは、本当の幸せを求める人間の証なのです。』
この言葉を聞いて以後、泰弘氏は積極的に障害者を雇い入れるようになります。幸せを得られる場を提供することが、企業の存在価値であり使命だと感じるようになったのです。
当時は、日本はおろか世界中を見ても、障害者(特に知的障害者)を積極的に雇い入れる企業は無かったのです。『よし、日本で世界のモデルとなるような知的障害者の工場を作ろう』泰弘氏は、そう思い立ちます。
泰弘氏の目標は、"障害者のみで生産ラインを稼働させる"ことでした。しかし、文字を読んだり数字を図ったりすることが難しい障害者にとっては、チョーク製造の工程は非常に困難な作業でした。
数字の概念が理解しにくい障害者に対し、泰弘氏はチョークの型を作りました。完成したチョークを型にはめ込み、長さや太さが既定の型の範囲内に収まれば合格、としたのです。この検品のやり方は、長さを図ることが難しい障害者でも認識できるやり方です。ほかにも、時間の感覚がつかみにくい障害者に対しては、砂時計で時間を認識させたりもしました。
『障害者が出来ないのではなく、自分たちの工夫が足りなかったのだ』。泰弘氏はそう考え、誰もが作業しやすい環境を整えていったのです。
もちろん、障害者のみで稼働できる生産ラインを作れたところで、他社に勝てないと営利企業としては意味がありません。日本理化学工業は次々に新商品を開発していきました。
日本理化学 ダストレス・蛍光チョーク(ダストレスチョーク) 学校用蛍光チョーク(赤,黄,橙,青,緑,紫各12本)
私も教員時代お世話になっていた「ダストレスチョーク」。
そもそも、チョークには教育業界の掟として"授業で使ってはいけない(使うのは望ましくない)色"があったんですよ。「緑」「赤」「青」です。従来のチョークだと、黒板は緑色系なので、これらの色で書くと字が見えにくいのです。緑色の黒板に緑色のチョークで書くことを想像していただければ分かりやすいでしょう。
ところが、日本理化学工業が販売している「蛍光チョーク」は非常に色が鮮やかで、従来では使用はご法度とされてきた緑色さえ使えるようになってきたのです。
さらに、日本理化学工業は色覚異常の子にも配慮したチョークを開発しました。
日本理化学 ダストレス アイチョーク eyeチョーク CUD(カラーユニバーサルデザイン)マーク認証(朱赤,青,緑,黄各18本)
その名も「ダストレスeyeチョーク」です。これまでの教育現場では、黒板の色と被る緑色チョークとともに赤色チョークも使用は望ましくないとされてきました。色覚異常を持つ子は赤色を認識しにくいからです(男子の5%、女子の0.2%は色覚異常を持つと言われています)。
そんな色覚異常を持つ子でも見やすいように加工されたものが、eyeチョークなのです。
ところで、近年では黒板ではなくホワイトボードを設置する学校も増えてきました。
ホワイドボードが普及すれば、チョークの需要は落ち込みます。そのような状況下でも日本理化学工業は、ホワイトボードにも書ける「キットパス」という商品を開発しました。
【メール便対応/30本まで】日本理化学工業 キットパス(環境固形マーカー)1本入 KP
ホワイトボード用マーカーと違って、「最後までかすれない」「独特の臭い(揮発臭)がしない」「フタの閉め忘れで乾燥することが無い」といった利点があります。
このように日本理化学工業は、ただ慈悲の心で障害者の方を雇っているのではなく、チョーク業界のトップを走る企業であり、日々進化しているのです。
こんな素敵な企業がある一方で、日本全体を見てみると、障害者(特に知的障害者)の雇用はなかなか浸透していない状況があります。
現在の日本では、障害者雇用促進法に基づき、民間企業(社員50名以上)は従業員の一定割合以上(2.2%)の障害者を雇うことが義務付けられています。
こちらの厚生労働省のデータによると
2.2%以上の障害者雇用を達成している企業の割合は48%(2019年)とのことです。半数以上は、未達成いうことです。
未達成の企業に関しては「納付金」を国に支払わなければなりません。納付金に関しては以下のように定められています。
・従業員数201名を超える事業所が、法定雇用率1.8%を下回っている場合
→従業員数201名~300名は月額1人あたり40,000円
→従業員数301名以上は月額1人あたり50,000円
これ以外の"罰則"はありません。ということは悲しい話、『障害者を雇うくらいなら、納付金を納めた方がマシ』と考えている企業もたくさん存在しうるということが言えます。
また、雇用率2.2%を達成していても、ただ達成させているだけの"数合わせ雇用"も存在するとされています。障害を持つ従業員に対して、ろくに仕事を与えない、部屋で待機させているだけ、といったケースも考えれらます。
また、障害者は障害者でも身体障害者の雇用はある程度進んでいるものの、精神障害者や知的障害者の雇用はなかなか進んでいません。
出典:「数合わせ」が定着を阻む障害者雇用の実態。「みなし雇用」は社会にとって有益なのか? | 日本財団
障害者の雇用は徐々に増えて言っていますが、知的障害者や精神障害者の割合はあまり増えていません。
大山泰弘氏は、すでに鬼籍に入っており会社は息子の大山隆久氏に受け継がれました。隆久氏は、父親の意志を継ぎ、障害者雇用を積極的に受け入れています。隆久氏は、障害者の雇用に関して、このように述べています。
『どなたも障害者雇用と言うと「社会貢献に頭が下がります」とか「素晴らしい事業を行っていますね」などと褒め称えてくれます。けれど、私たちにとって、それは特別なことではなく当たり前のことなんです。会長である父が作り上げた会社を継いだ私にとっては、社会正義や人生の使命といった高揚感などまったくありません。安全に精巧にチョークを生産し、心を込めて販売していく。それを1日1日積み重ねていくだけです。』
出典:老舗チョーク工場が「幸せを創造する会社」と呼ばれる理由 | 富裕層向け資産防衛メディア | 幻冬舎ゴールドオンライン
日本理化学工業がメディアで称賛されている間は、日本で障害者雇用が進んでいない裏返しとも言えます。『日本理化学工業は、今は当たり前となっている障害者雇用をいち早く進めた企業なんだって』と言える社会こそ、大山氏親子が目指す社会像ではないでしょうか?