日常にツベルクリン注射を‥

現役の添乗員、そしてなおかつ社会科の教員免許を所持している自分が、旅行ネタおよび旅行中に使える(もしくは使えない)社会科ネタをお届けするブログです♪

【スポンサーリンク】

めちゃくちゃアウトローだった昭和の少年少女たち

スポンサーリンク

スポンサーリンク

f:id:tuberculin:20200915230721j:plain

 

突然ですが、皆さんは『近年、少年の犯罪が増加している』『昔と比べて少年犯罪が凶悪化している』とお感じになっていらっしゃいますか?

 

内閣府が実施した少年少女の非行や犯罪に関する世論調査で、『少年少女による重大事件が増えていると思いますか?』との質問に対する答えが以下のグラフです。
 

f:id:tuberculin:20200915232744j:image

 

いつの時代と比べてなのか?という点は考慮されてはいませんが、7~8割の大人たちが少年少女による重大犯罪が「かなり増えている」「ある程度増えている」と答えています。

 

似たようなアンケート結果を見てみましょう。

f:id:tuberculin:20200915232733j:image

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20151015-00050496/

 

2015年に実施されたアンケートです。こちらは「5年前(2010年)と比べて」とあります。このアンケートでも、やはり少年犯罪が増えていると思っている大人が多いようです。

 

では、本当に少年少女による犯罪は増えていたり凶悪化しているのでしょうか?重大事件と聞いて、まず真っ先に思い浮かぶのは殺人事件です。次にご紹介するグラフは、未成年の殺人犯の検挙人数と少年人口10万人当たりの検挙人数の比率のグラフです。

 

f:id:tuberculin:20200915225758g:plain

出典:少年犯罪データベース

 

1950年(昭和25年)と1960年(昭和35年)あたりをピークに、未成年の殺人犯検挙数は減っています。ってか激減しています。若者10万人あたりの犯人検挙数も減っていますから『昔は若者が多かったから相対的に犯罪数も多かったのだ』という反論は間違っています。

 

 

では、重大事件(殺人、強盗、強姦、放火など)の総数ではどうでしょうか? 

 

f:id:tuberculin:20200915230416j:plain

出典:Future Website of kogoroy

こちらも、1950年~1960年代がピークで、それ以降、多少の増減を繰り返しながらも全体的には減少傾向です。

 

つまり、少年少女による犯罪は「増えてもいない(減っている)」し、「凶悪化もしていない」のです。

 

では、なぜ実際の犯罪件数は減っているのに、多くの人が少年犯罪が増えていると"勘違い"しているのか。それについては、この記事では深追いしません。当ブログが注目したいのはむしろ、「昭和の少年少女ってめっちゃアウトローじゃね?」という点です。

 

近年、少年犯罪が増加&凶悪化していると思っている人の中にはきっと、『昔の子供は親孝行で礼儀正しかった』『弱い者いじめなどしなかった』と、過去を勝手に美化している人もいるような気がします。そんな幻想を抱く方々に、昭和のアウトローな少年少女たちの具体的な犯罪内容をお伝えしていこうと思います。

 

 

 

事件概要の引用元は、少年犯罪データベース 少女の殺人事件ならびに書籍『戦前の少年犯罪(管賀江留郎著)』より引用しました。詳しくはそちらをご覧ください。

 


戦前の少年犯罪 [ 管賀江留郎 ]
 

 

現在の教育課程は小学校6年、中学3年、高校3年の「6・3・3制」ですが、戦前までは進路によって教育課程が異なりました。下の図を参考になさってください。

f:id:tuberculin:20200916215948g:plain

出典:http://eic.obunsha.co.jp/

なので、「中学5年生(17歳相当)」とかいう課程の生徒もいたのです。分かりやすいように()付けで相当の年齢を併記していきます。


 

 

 

f:id:tuberculin:20200916214429j:plain

 

<1929年(昭和4年)2月19日:9歳児が6歳を銃殺> 

(9歳)が隣家の男の子(6歳)を射殺。母親が3時のおやつに餅を出してくれたが、焼き方が悪いとわがままを言って食べなかった。そこへ遊びに来た6歳の男の子が「お前が食べねば、わしが食べてやろう」と食べだしたので怒って「毒が入っているのだから死ぬぞ」「撃ち殺すぞ」などと脅したが、「撃ってもよい」と6歳の子が言い返したので、父親の猟銃で狙い撃ちしたもの。

 

 

 

早速銃殺してるもん。事件概要を読む限りでは、貧困や家族構成などが原因などではなく、ただ「餅を食べられるのが嫌だ」という理由だけで銃殺しています。しかも、猟銃が暴発したとかではなく、明確な殺意を持って撃ってるところがヤバいです。

 

 

 

<1938年(昭和13年)5月13日:6歳女子が隣家の幼女を殺害>

秋田県南秋田郡で、女子(6)が隣家に遊びに行って、嬰詰(東北のゆりかご)に寝かされていた女の子(2)の顔を棍棒で滅多打ちにした。家人が帰宅して手当てをしたが、5.20に死亡。

 

 

 

現代社会では、例えば中学生が事件を起こせば『犯罪の低年齢化が!!!』とマスコミどもが騒ぎ立てますが、戦前は幼稚園~小学生低学年が人を殺していた時代なのです。もちろん、ふざけ半分だったのでしょうけど、そもそも6歳の子が乳幼児を殺しちゃうって事件自体、最近では全く聞きませんからね。昭和パネぇっす(*'ω'*)

 

 

 

<1932年(昭和7年)6月3日:小学校高等科1年生(満12~13歳)が同級生を刺殺>

東京府大井町鮫洲の小学校高等科(現在の中学に相当)で、1年生(14)が同級生(14)の胸や腕などをナイフでめった刺しにして殺害した。休み時間にケンカして、教科書などを2階の窓から投げ捨てられたのでナイフで脅したが、「切るなら切ってみろ」と云われたためカッとして夢中で刺したもの。警察に捕まったが、その日のうちに家に帰された。

 

 

 

 

学校になぜナイフを持ってきているのかはこの際置いておきます(えんぴつ削るのに必要だから‥)。さっきの餅事件もそうですが、なぜ被害者側も煽っちゃうのか(*'ω'*)。そしてこの時代は大らかなんですね~刺殺しておいてその日のうちに帰宅が許されるというね。

 

 

 

 

<1938年(昭和13年)5月31日:17歳ニートが父親を殺人未遂>

埼玉県南埼玉郡粕壁町の自宅で、男(17歳)が父親(51)の胸をノミで刺し、倒れたところをさらに顔を何度も刺して重傷を負わせて逃走、すぐに逮捕された。小学校高等科1年で中退して父親の家具製造業の見習いとなったが、最近は仕事をせずに遊んでいるため「おまえのような親不孝者は死んだほうがよい。仕事をしない者は出て行け」と父と次兄(26)に叱られ2人の殺害を計画、妹(7)を負ぶって風呂から出てきたところを待ち伏せして襲い、次兄も殺そうと探したが見つからなかったもの。「殺し切れなかったのは残念です」と話す。無口でおとなしく、近所の評判はよかった。

 

 

 

 

近年若者を取り巻く問題として挙げられてるのがニートの問題です。働きもしないし就職活動や資格勉強などしないプー太郎のことをさします。このニートって戦前にもいました。戦前のニートは、一部では「高等遊民」なんて呼ばれ方もしていました。

高等遊民 - Wikipedia

戦前のニートは、太平洋戦争激化に伴う動員令で半強制的に戦場へ駆り出されていったのでほぼいなくなりました。言い換えれば、それまでは親の金でブラブラする高等遊民が日本中にいたのです。

 

 

 

時として恋愛関係のもつれから少年少女による犯罪が起こることがありました。

f:id:tuberculin:20200916221425j:plain

 

<1969年(昭和44年)8月8日:15歳少女が三角関係のもつれからホステスを殺害>

 大阪府大阪市のアパートの自室で、少女(15)が神戸市のホステス(22)を刺殺した。無職男性(30)と同棲していたが、ホステスがやって来て「この部屋の金は私が払った。出て行け」と男と別れることを要求。口論の末、台所の包丁で刺したもの。中2のころ同級生女子に乱暴して救護院に入れられ、学校には行かないまま去年卒業。被害者のホステスと無職男性は7年前からの付き合い

 

 

 

 

少女(15)、ホステス(22)、ヒモの無職男性(30)と登場人物がかなり香ばしいです。少女にしろホステスにしろ、典型的な"だめんず"ですわ。それにしてもニートの彼をめぐって刺殺事件に発展するとか、ニートの男性モテすぎでしょ('ω')

 

 

 

 

 

さて、これまでの事件は1人を襲ったものでしたが、中には一網打尽タイプの少年犯もいました。

 

<1930年(昭和5年)7月1日:小学生が同級生を毒殺未遂>

広島県賀茂郡の小学校で、6年生(12)が同級生7人を殺害するため弁当に劇薬を入れたが、異様な味ですぐに吐き出したため未遂に終わった。5月に隣家で1円20銭を盗んでから泥棒呼ばわりされ続けたことを恨んで、病院で働く父親から塩化水銀をもらって致死量以上混入したもの。昼休み前に家に帰ったため怪しまれてすぐに捕まった。

 

 

 

 

「泥棒呼ばわりされ続けたことを恨んで」というのが動機らしいですが、呼ばわりって言うか実際に泥棒しちゃってるからね。そして、なぜ父親はすんなりと毒物を渡しちゃうのかな~(*'ω'*)

 

 

 

 

 

 

<1948年(昭和23年)12月6日:中2女子が厳しい母親に反発し家族皆殺し>

福岡県大牟田市の自宅で、中学2年生の三女(15)が、夕食の大根雑炊に殺虫剤のアヒ酸を入れ、父母、祖母、姉、妹の家族7人皆殺しを謀る。たまたま食べなかった祖母以外の6人が苦しみ出して、五女(10)と六女(6)が死亡、ほかの4人は寝込んだが命に別状はない。三女も食べずに元気だったので疑われてすぐに自供した。
 三女は成績も良くバレー部の選手をしていたが、部活で遅くなると遊んでいたのだろうと厳しい母親にたびたび叱られ殴られた。こんなことでは一家皆殺しにしたほうがよいと考えたと、取り調べにも笑顔で話す。バレー部顧問の教師は、ずるい生徒でよくケンカをしており、皆には好かれていなかったと語る。

 

 

 

 

根本的な問題ですけど、昭和の少年少女ってすぐ"キレすぎ"でしょ。「キレる子供」とか言うと、これまた最近の話のように思えますけど、昔の少年少女もキレまくっていたようです。

 

それに、取り調べ中に笑顔がこぼれるとか、サイコパスでしょ。ヤバい臭いぷんぷんだもん。そして、バレー部の顧問の先生の正直さね。『いや~部活も頑張る子でまさかそんな事件を起こすとは思いませんでした』みたいな多少加害者をかばう姿勢など微塵も感じられません。

 

 

 

f:id:tuberculin:20200916231101j:plain

出典:https://www.sankei.com/

 「荒れる成人式」が各地で問題になっています。この映像を見て『最近の若者は~』と言うのがお決まりなんですけど、昭和の少年少女も暴れまくってました。

 

<1928年(昭和3年)3月6日:卒業生による乱闘事件>

富山県高岡市の県立高岡中学校で、5年生(満17歳前後)数人が卒業式の直後に教員室に押し入り、校長と教師1人を殴った。日頃から校長に素行を注意されていたのを怨み、卒業証書を持ったまま復讐したもの。卒業式の来賓が大勢いた前での犯行。
 3月9日には、高岡中学校卒業生数人が登校の教師1人を待ち伏せて殴ったが、教師は逆に殴り返して重傷を負わせて中学校に逃げ込んだ。

 

 

 

卒業式に不良生徒が教師とタイマンを張る……みたいな伝統芸は、実は90年以上前から日本に存在したみたいです。

 

 

f:id:tuberculin:20200916231651j:plain

出典:https://history.aucfan.com/

 

<1959年6月14日(昭和34年):女子中学生が男子中学生と乱闘>

東京都杉並区の中学校裏で、女子中学生7人とほかの学校の中学2年生(14)ら4人の男子中学生が殴り合いのケンカをして補導された。女子美術大付属中学2年生女子(14)が、寺の境内でたまたま会った男子中学生の学帽を取ってからかい「束になってかかっていらっしゃい」と挑発し、翌日果たし合いとなったもの。

 

 

 

暴れるのは何も男子生徒に限った話ではありません。しかしまあ、中学2年生の女子生徒が『束になってかかっていらっしゃい』とか、スケバン刑事かよ(∩´∀`)。もし、ドラマ化するのであれば、浅香唯あたりにこのセリフを吐いて欲しいところです。

 

 

 

最後に紹介するのはこの事件。

f:id:tuberculin:20200916232048j:plain

出典:https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-148311.html

 

<1930年(昭和5年)3月1日:不良学生80人一斉検挙事件>

東京府南葛飾郡(現墨田区)の私娼街・玉の井で、警視庁が一晩だけで不良学生80人を逮捕。37人が14歳などの中学生、43人が大学や専門学校の学生。これまで警視庁が逮捕した不良学生はほとんどが上流階級の子弟で、高額なこづかいを持ち、35%が性病で、しかも玉の井や亀戸などの私娼街で感染したことが調査で判明したため、玉の井を標的にしたもの。
 今回逮捕した者も有名な教育家の長男など上流の子弟ばかりで、運動部費や修学旅行積み立て費などと騙して親から金をもらい、授業をさぼって遊んでおり、警察に呼び出されて親ははじめて知らされて驚いている。なかには高額の仕送りを送ってもらい、地方の親には学校に通っているように装いながら学籍さえないニートもいた。

 

 

 

 

昔は躾が厳しかった(今の親はけしからん!)」みたいに思っている人もいると思いますが、むしろ昔のほうが躾はユルユルだったんじゃないですかね。中学生が授業をサボって風俗街に行って遊べるだけの小遣いを渡されていたわけですから。教師たちも発覚するまでは放任状態だったんでしょうか?

 

 

 

 

f:id:tuberculin:20200916233704j:plain

さてさて、このように昭和期の少年少女はすさまじくアウトローだったわけですけど、当時の大人たちはどのように考えていたのでしょう。新聞の社説を引用してみましょう。

 

「一般に最近の世相はテカダン(道徳が乱れ健全ではない様子)に過ぎる。この世相が意志の弱い青年男女をどんどん不良の徒の中にまき込んでゆくのだ、これは社会共同の連帯責任である。単に家庭とか学校とかだけを責める訳にはゆかない、しかも旧道徳は時代思想に打ちこわされ、しかも新道徳の建設なく、今の若い人達は正にその迷路にさまよつているのだ。権威ある学者によって時代に沿う新道徳が提唱される事を吾々は望んでいる。もし警視庁が不良老年狩りをやれば更に数倍の検挙者をだした事であろう。これらの不良老年が真先に悪い範を垂れる結果は、その家庭に良い影響を与えない。要するに社会の環境がこうした不良青少年を生んだので、これは政治家も教育家も社会改良家も共に真面目に考えねばならぬ事だ。」

出典:『東京朝日新聞』1929.8.7付けより引用。現代仮名遣いに改めた

 

最近の世相は~って言ってますけど、この最近って1929年(昭和4年)時点の話ですからね。この新聞の社説では、「不良老年が悪い見本を示してしまうから、不良少年少女が生まれるのだ」「我々大人が道徳ある行動をし、見本となるべきだ」と言った論調で書かれています。

 

不良少年少女が生まれてしまう責任は、社会全体にあり、社会共同の連帯責任だと言い切っています。現代の大人たちが『最近の若いモンは~』と若者に責任を押し付ける姿勢とは、全く違います。90年以上前の大人たちの方がよっぽど若者想いですわ。

 

最近では、「キレる高齢者」が問題視されることがあります。

最近、キレる高齢者が多い? | シニアマーケティング研究室|株式会社日本SPセンター

 

私から言わせれば、歳のせいでキレやすくなったというよりは、昭和期にアウトローな行動を振りかざしていた少年少女が歳をとって、今現在も暴れてるだけ、って思ったりするのです。ぜひとも中高年の方には、若者や子供の模範となるような行動を取っていただきたいと思っている次第であります。

 

当ブログにtwitterアカウントはこちら

ツベルクリン@アウトローブロガー (@tuberculin0706) | Twitter

 

 

【スポンサーリンク】