【ツベルクリンWalker】は現役添乗員であるツベルクリンが、日本の観光地を徹底ガイドしていくシリーズ記事です。今回は長崎県の旧五輪教会をご紹介していきます。
前回の記事(神奈川県のポーラ美術館)はこちら
このシリーズの狙いは次の2つです
①読者の方が今後訪れるだろう観光地をピックアップして、観光のアドバイスとして読んでほしい記事。
②読者の方が絶対行かないような観光地をピックアップし、この記事を見て"もう行った気分"になって頂く記事。
今までの当シリーズは、個人的には「①」のつもりでご紹介してきました。読者の方が勝手に「②」の解釈に変更されたかもしれませんが、基本ラインは「①」です。
①の解釈で書かれた記事は、当然各地の観光協会さんも歓迎してくださるとは思いますが、問題は②です。もうこの記事を読んで『もう行かなくていいや!』と思われてしまったら、各観光地さんサイドからしたらこのブログは"営業妨害"していることになります。そして、今回取り上げる「旧五輪教会」は、おそらく②の記事になりますわね(´・ω・`)
旧五輪教会があるのはマップで示すとここです
どこだよ、ここ(´・ω・`)
長崎県は"島だらけ"の県です。その長崎県に五島列島と言う離島があります。もうド田舎とかそういう蔑称で呼ぶのもためらわれるくらいのド田舎です。
たくさんの島が固まってますが、5つの大きい島があるので何も考えずに「五島列島」と名前が付けられています。そのうち、赤四角で囲った中通島&若松島がいわゆる"上五島エリア"、青四角で囲った奈留島&久賀島&福江島がいわゆる”下五島エリア"と呼ばれています。なんも深く考えていない呼び方です(´・ω・`)
そのなかで久賀島(ひさかじま)という島全体の人口が300人程度の島があります。
この食パンの袋を止めるアレみたいな形の島です。
この島は島全体が世界遺産に指定されている(厳密に言うと旧五輪教会を含む島全体の集落)もうヤバい島なのです。今回は世界遺産の一部でもある旧五輪教会をご紹介します。地図上の赤四角で囲っている部分ですわ(´・ω・`)
<目次>
教会に行く前に予約を
2018年に日本に新しく世界遺産が誕生しました。「長崎と天草地区の潜伏キリシタン関連遺産群」というもう覚えられない名前の世界遺産です。長崎県や熊本県の天草地方に明治維新後、教会が数多く建てられました。その一部が世界遺産として登録されたのです。
日本人は"何の観光地か分かんないけど、世界遺産登録‼︎とか、なんか凄そうだからとりあえず見に行くか"的野次馬精神をお持ちの方がたくさんいらっしゃいます。日本の多くの世界遺産も、世界遺産登録後、観光客が増えたのです。でも、今回登録された教会の場合、そんなにキャパが大きくありません。野次馬さんがたくさん来られるとパンクするので、見学は完全予約制にしているのです。
これは個人、団体かかわらず予約が必要です。『お、やってるやってる~』みたいな焼き鳥屋感覚では見学できないのです。予約はこちらから
旧五輪教会へのアクセス
出典: gotokanko510.blog.jp/archives/24438407.html
当ブログでは、アクセスのご紹介する場合『オレ、オレだよおばあちゃん!交通事故起こしちゃったからお金持って最寄り駅まで来て~』というスタイルを貫いています。
五島列島で一番の"都会"は福江島です。長崎港から1日何本かフェリーや高速船が出ています。とりあえず、自力で福江島まで来てください。
福江島から久賀島への定期航路もあるんですが、久賀島の田ノ浦港って港にしか着かないのです。教会があるのは反対側の五輪地区なのです。久賀島内には交通機関一切ないのでもうお手上げです(タクシーはあるよ!)。
こうなったら、福江島から海上タクシーをチャーターして直接旧五輪教会に船ごと横づけするというダイレクトアタックするしかありません!
そして、チャーターしました(´・ω・)
なぜか知りませんが全身黄色のお船です。
10人乗ったらぎゅうぎゅうです(´・ω・`)
それじゃ出発なっしー!!
大都会(人口3万人)の福江島から久賀島まで船で20分くらいです。外海なのでゲロまみれになりながら進みますが、海上タクシーだとゲロは簡単に海洋投棄できるので楽です♪
久賀島に上陸しよう!
久賀島が見えてきました。久賀島の五輪地区は人口2世帯4人の街です(´・ω・`)
大きな漁港ではないので、一隻しか着岸できません。この時先客の舟がいたので無理やり着岸しました。分かりますでしょうか?堰堤の上に無理やり着岸しています。まさにアクロバティック着岸です。
右横の黄緑の舟が先客だったので、隅っこにアクロバティック着岸した後、堰堤の上を渡って上陸していきます。
海にバスクリンぶちまいておきました。(´・ω・`)
ちなみに、右側のオレンジの建物が"新五輪教会"。左側が"旧五輪教会"です。
『♪あぁ~テトラポット登ってぇ~』
2世帯のうちの1世帯のお家です。
aiko-『ボーイフレンド』music video short version
街の"メインストリート"を進んでいきます。メインストリートは排水溝の上です。
メインストリートが広くなりました。左側はもう1世帯のお家があります。
昭和60年に新しく作られた「新五輪教会」です。
これからご紹介する「旧五輪教会」は、もともと同じ久賀島の浜脇地区にあった教会を『新しく教会建てるわ!』『えっ!捨てるですか?じゃあもらいますね!』という鉄腕DASH!の0円食堂的ノリでこの五輪地区に解体して持ってきた教会です。1881年に建てられた教会なので、今から138年前の建築物です。
こちらが「旧五輪教会」です。いいアングルで撮ろうとすると、まぁ木が邪魔なんですが、桜の木なので許します。
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産群』という名前で多くの教会とその集落が世界遺産に登録されていますが、この"潜伏キリシタン"って何やねんって話です。
皆さんが良く知っている言葉に「かくれキリシタン」って言葉があります。意味は結構違います。
戦国時代の1549年ごろにキリスト教が入ってきて、日本にキリシタンが増えました(数十万人くらい)。しかし、豊臣秀吉や徳川家康はキリスト教を危険思想とみなし、徐々にキリスト教を信じることを禁止していきました。いわゆる「禁教令(きんきょうれい)」ってやつです。その後の話なんですが、
潜伏キリシタン‥江戸時代の間、こっそりとキリスト教を信仰し続けた人々のこと
そして、明治維新後、キリスト教OKになり、ほとんどの"潜伏キリシタン"はキリシタンとして復帰しました。しかし、話は簡単ではなく、
かくれキリシタン‥明治維新後のキリスト教OKの後も隠れてキリスト教を信仰し続けていた人々
という人々の存在がいました。潜伏キリシタンたちの信仰は、時代が下ることによってキリスト教の教えに仏教や地域信仰が混ざり合って純粋なキリストの教えとは違うものになっていきました。
『自分たちは独自の"かくれキリシタン信仰"を続けてきたんじゃ、今さら独自の信仰を捨てられるかよ(´・ω・`)』というのが隠れ続けた理由です。2019年現在も、こっそりキリスト教を信仰しているかくれキリシタンの人数は数十人いると言われています。
まあ説明が長くなりましたが、この久賀島は潜伏キリシタンたちが幕府からの弾圧を逃れるためにやってきた島なのです。そしてこっそりとキリスト教(らしきもの)を信仰し続けました。
久賀島の潜伏キリシタンたちは、明治維新後に正式にキリシタンとして復帰し、建てたのがこの旧五輪教会(もともとは浜脇地区の教会)です。
旧五輪教会に関しては撮影OKです。丸みを帯びた屋根が特徴的であり、温かみを感じます。ちなみに教会を作った大工の平山亀太郎さんは思いっきり仏教徒です。
正面は聖ヨセフ様、マリア様の旦那さんです。
右側にはマリア様
左側はイエス様
祭壇はこんな感じです。
祭壇の中に入っちゃうと、キリストされます。お気を付けください。
教会と言ったらステンドガラスですわ。
教会守さんは、滋賀県から来た女性で久賀島在住1年目の方でした。たぶんツベルクリンと同い年くらいの女性でした。
『観光地は売店を通らないと出口に出られない』という鉄則をこのシリーズで散々言ってました。新しい鉄則として『世界遺産になるとトイレが綺麗になる』ということを提唱しておきます。観光客が増えると、トイレが綺麗になるのです(´・ω・`)
安心してください、水道も通ってますよ!!
得体のしれないゆるキャラです。五島列島のゆるきゃら「つばきねこ」です。五島名物の椿の花を頭に乗っけているあやしいネコです。性別は不明らしいです。なんとなく、こいつのモデルはこれじゃないかと思っています
今年は長崎が日本で一番早い開花宣言(3月20日)でした。今年も春がやってきましたね~(なお、ツベルクリンに春は来ない模様)
終わりに…
高知県に行った時に何気なく応募したスクラッチキャンペーンに当選しました♪
カツオの刺身4本セットです♪(要冷凍)
何も前触れもなく送られてきたので、冷凍庫パンパンですわ(๑・̑◡・̑๑)
旧五輪教会は日本でも有数の到達難易度をほこる世界遺産です。ぜひ、この記事を参考にしていただき、そしてもう行った気分に浸ってください♪
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