【ツベルクリンwalker】は、様々な観光地を添乗員である私ツベルクリンが徹底的にガイドしていくシリーズ記事です。 今回は、現存天守の1つであり、日本で唯一本丸御殿が現存する高知城(高知県)をご紹介していきます。
日本には数多くの城が残っており、その多くには立派な天守閣がそびえています。とは言うものの、ほとんどが昭和期に再建されたコンクリート製の再建天守閣です。
その一方で、現在の日本国内には江戸時代に建てられた本物の天守閣が12個あります。そのうちの1つが今回ご紹介する高知城です。
しかも、高知城には日本で唯一、藩主の居住空間であった御殿(本丸御殿)が現存しているのです。殿様と同じ気分を味わえますよ!
<目次>
高知城へのアクセス
<JR高知駅から>
・バス‥「高知城前」下車。10分ほど
・路面電車‥「はりまや橋」電停で乗り換え、「高知城前」下車。
<高知空港から>
・空港連絡バス‥「はりまや橋」下車。路面電車に乗り換え
<自家用車で>
・高知icから15分ほど
・駐車場あり(高知公園駐車場)
私は車だったので高知公園駐車場に停めようとした(午前9時半くらい)ら、桜の満開と重なったので満車でした。周囲のコインパーキングがいくつかあります。桜の時期でなければ、城内の公園駐車場に停められるでしょう。たぶん。
高知城の概要
高知城を築いたのは山内一豊(やまうちかずとよ)です。彼は元々静岡県の掛川に領地を持つ5万石程度の武将でした。彼は豊臣家の家臣の立場でしたが、関ヶ原の戦い直前に豊臣家家臣衆の中で一番最初に『家康さんに味方します!!!』と手を上げました。
その一言で、戦いの後、土佐の国(高知県)を丸ごともらうという大出世を果たしました。関ヶ原の戦い当日はただの見張りだったのにも関わらず、です。
1611年に完成した高知城ですが、1727年の火事によって天守閣を含む城内のほとんどの建造物が焼失。1749年に再建されました。現在の天守閣は一豊時代の物ではありませんが、それでも江戸時代に再建された建物であり、現在は重要文化財に指定されています。
高知公園(二の丸エリアまで)の観光情報
天守閣までは高知公園として整備されており、無料で入ることが出来ます。まずは無料ゾーンを攻めていきましょう。
ご丁寧に"フォトスポット"とか言う案内が。追手門と天守閣が一緒に写せるもん(*'ω'*)。
ご立派な追手門ですこと。追手門だけは火災を免れたので、江戸時代初期の建築当時の姿を現代までとどめています。
大手門を抜けるといよいよ上り坂地獄です。
毎日皇潤飲んでるような膝関節よさこい野郎のために、杖があります。使ってあげてくださいね。
明治時代に活躍した政治家、板垣退助さん。彼は高知県(土佐藩)の出身です。別にお城とは何の関係も無いですけど、高知の偉人ならばゴリ押ししていくのがよさこいスタイルです。
板垣退助さんの名言、『板垣死すとも自由は死せず』。演説中に暴漢に襲われて時に発したとされるセリフです。ヤラセ臭というか茶番というか‥そんなセリフ吐いてる暇があったら早く病院行けやって話です(もっとも、これは板垣を主人公にした演劇中のセリフらしいですけど)。
登り坂スタート。
石垣に突起部分があると思います。これは「石樋(いしどい)」と呼ばれる排水整備です。雨が多い高知県、出っ張らせることで排水が直接石垣に当たらないように考慮された作りとなっています。
どっちかと言うと、山内一豊より奥さんの千代(ちよ)の方が有名です。2人の物語は、うだつの上がらない亭主を奥さんの機転で出世させていく尻敷かれストーリーです。
例えば、一豊が織田信長に仕えていた頃の話‥
一豊さん『あそこで売ってる馬いいなぁ~。でも高いもんな‥』
千代さん『それならワシのへそくりやるぞ!これで馬買うてこいや!』
一豊さん『サンキューやで!!』
<数日後>
一豊さん『この馬ええな~』
織田信長『お、お前の馬めっちゃ良いやん!そんなええ馬持ってるなら給料上げたるわ!』
って話です(真実性には疑問符が残る史話ではありますが‥)
でも私は馬よりもアイスクリンが欲しいわ。アイスクリンってツベルクリンみたいだよね(*'ω'*)
高知県の皆さん!この写真が「ふなっしーカレンダープロジェクト」の4月号写真に選ばれましたよ!!!
二の丸エリアから本丸エリアへと上がっていきます。
おや、また会いましたね。アイスクリン(*'ω'*)
本丸御殿&天守閣の観光情報
奥に進めば見りゃ分かりますが天守閣です。その手前に詰め所的建物があります。
藩主に面会していく際の待機所だった場所です。今では廊下的ポジションに落ち着いています。
武士が守っていたお城も今ではセコムが守っています。
大阪城とか姫路城みたいなデカいお城もいいけど、これくらいの『頑張れば自分でも建てられるんじゃね?』と思えるお城も大好きです。
高知=南国、暖かい土地、っていう他県民からのイメージを死守するために、無理やり植えられているソテツ。同じ南国イメージ溢れる宮崎県も無理やりソテツが植えられていたりします。
私のような1人旅好きな人見知りにとって、券売機は人と話さずに購入できるので、全国の観光地でもっと普及して欲しいです。
靴を脱いで上がりましょう。この感じ、居酒屋っぽいです。
重要文化財ですから建物内での飲食は禁止です。アイスクリンざまぁぁぁぁ(*'ω'*)
高知のくせにグローバル化が進んでいます。私はタイ語しか読めないからね~タイ語のパンフあって助かったわ。เรียก รถพยาบาล หน่อย !(*'ω'*)
どのアルコールが好きか派閥があると思います。ジェル派も液体派にも、両方対応しています。私はジェルからの液体派です。
まずは「本丸御殿」へ入ってみましょう。『殿様は天守閣に住んでいた』と誤解されがちですが、天守閣は戦闘時の司令塔的建物であり、平常時には殿様は御殿のほうに住んでいました。
この御殿は、現在江戸時代当時の建物が残っているのはここ高知城だけです。平成になって熊本城や名古屋城の本丸御殿が再建されましたが、高知城は殿様が実際に住んでいた当時の居住空間が残っているのです。
なんかいい感じに撮れたわ(*'ω'*)
身分が高い人が使用していた駕籠(かご)。乗り心地良いんかな~?狭いし。
展示しない駕籠は隅っこに寄せておくスタイル。
昔の山内家のお姫様の着物かと思いきや、2006年に放送された大河ドラマ『功名が辻』のヒロイン千代役だった仲間由紀恵さんが来ていた衣装を展示していました。もう15年前のドラマなんですけど、いつまでも過去の栄光を忘れない姿勢は素敵です(∩´∀`)
殿様が鎮座していたお部屋。奥のふすま扉の中にはSPが控えていました。
現代になって城を修理した際に、江戸時代に書かれた大工の落書きが見つかりました。意味は『禁酒したいけど飲み屋街の前を通ると、つい飲んでしまうんや』です。いつの時代もアル中はアル中です(๑・̑◡・̑๑)
高知城は本丸御殿と天守閣が合体しています。天守閣へ登ってみましょう。
でた、バリアフリー精神0の急な階段。っていうかもはや階段じゃなくて梯子だわ。
一番てっぺんまで来ました。
高知城にも他のお城と同様、ボランティアガイドさん(青い服の方)がいます。お城のふもとに案内所があるので、ご希望の方はそちらで。
こんな人がたくさん来るところで昼寝するとか野比のび太かよ(*'ω'*)
ド田舎の県庁所在地っぽい風景が眼下に広がります。現場からは以上です。
終わりに…
ちなみに土佐藩初代藩主の山内一豊の銅像は、ふもとの雑木林の中にあります。意識しないとスルーして見ずに帰ってしまう恐れがあります。板垣退助や千代の銅像は城中の分かりやすいところにあったのに‥(*'ω'*)。
当ブログのtwitterアカウントはこちら
ツベルクリン@アウトローブロガー (@tuberculin0706) | Twitter