【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、ツベルクリン所有の昔の雑誌を解説を入れながら読んでいくシリーズ記事です。今回は1939年2月5日号『週刊朝日』の後編です。
前編はこちら
この『週刊朝日』2月5日号の特集記事"兵隊さんありがとう座談会"という女子会を3回に渡ってご紹介していきました。つまり構成としては「前編」→「兵隊さんありがとう座談会(全3回)→そして今回の「後編」と5回も時間を費やして紹介しているわけです。決してネタ切れではありません(´・ω・`)
では、後編部分を見ていきましょう
<目次>
憂うべき結核が続出
現代の日本人の死因第1位は、ガンなのですが、戦前の死因第1位は結核(けっかく)でした。結核菌によって引き起こされる感染症なのです。読者の中で『オレも昔結核で死んだわ~懐かしい(*‘∀‘)』という方は、どうぞ成仏なさってください。
どうでもいい話ですが、「ツベルクリン注射」というのは結核菌を保有していないかどうか調べる注射のことをいいます。2005年までは、強制的に小学1年生&中学1年生にツベルクリン注射を打ち、陰性の者(もしかしたら結核菌を持っている可能性がある者)に対し、その後BCG注射(いわゆる"ハンコ注射")を注射していたのです。
2005年に『ツベルクリン注射あんまり意味なくね?(´・ω・`)』ということに気づき、廃止されます。"ハンコ注射"という単語が通じるのは、現在の20歳前後までかなと思います。今や「日常にツベルクリン注射」を打つ必要性などないのです(´・ω・`)
「長期戦下の今日ほど国民の1人1人が健康でなくてはならないときはありません。激しい労働に従事し、資源を開発し、聖戦の目的を達成しなければならないからです。軍需工場に従事する方はなおさら健康に気を付け、強い体力を保つことが必要です。」
「しかし、激しい労働、幾日も幾夜も夜業残業はともすれば、過労になり、風邪をひく、それをこじらせて肺炎や結核と悪化し無残にも職場を捨てて病床の人にならねばならない事もなくなないのです」
"国家総ブラック企業"の時代です。
「厚生省労働局から発表された工場労働者の罹病(病気にかかった人)率を見ましても、結核の患者はだんだん増加する傾向があり、1年間に約5万人の犠牲者があるとのことです」
「それが、血気盛りの青年労働者に多く、前途ある若者をむしばむ結核の恐ろしさに今更ながら目をつむるのは他ありません。」
戦前の結核で亡くなる方の総数は年間10~15万人(現在は年間2000人ほど)ですが、工場労働者に限ると約5万人だそうです。
記事では「なぜ結核にかかるのか」という点に言及しています
「ご存知かもしれませんが私たちが激しい労働をするときは、安静にしているときの約7・8倍のエネルギーが必要と言われます。このエネルギーは私たちが普段食べている白米や簡単なお惣菜だけではとても補いきれるものではありません。それはどうしてもビタミンが必要なのです」
「工場労働者が過労から結核に倒れるのも、言い換えるとビタミンが足りない結果で、体内にビタミンAとビタミンDが欠乏すると呼吸器の抵抗力が弱り、結核菌を吸い込むとたちまち感染してしまうのです」
では、どうすればいいのか?(´・ω・`)
「工場労働者は何においても、ビタミンAとビタミンDを十分に補って、強い体力と抵抗力を養っておかなければなりません」
「幸いわが国には、理化学研究所から発売されているビタミンAとDの栄養剤"理化学ビタミン"がありますので、労働階級者の健康増進に大変役立っております」
なんだ、結核がどうのこうの言ったましたが、結局はビタミン剤の広告なんですね(´・ω・`) 広告なら広告だと先に言えよ、と思います。
では"理化学ビタミン"を飲むとどうなるんでしょう?
「朝夕一錠ずつ服用すれば、風邪をひかなくなる、結核や肺炎にかからない強い抵抗力が養われる、視力が強くなる、疲れが早く治る、疲れなくなる、体力がさかんになって作業効率が高まる、皮膚が丈夫になっアカギレや霜焼けが出来なくなる、寒さに勝つ元気が出る等、効果がメキメキ身体に現れてくるのです」
なにそれ、ヤバイやつじゃん(´・ω・`) ビタミン剤なので"医薬品"ではないと思いますが、こんな文言現在なら薬事法で一発アウトですね(^o^)
たーちゃんの機智(漫画)
前回のこのシリーズ記事でご紹介した1925年発行の『アサヒグラフ』に、漫画が掲載されていましたがこの『週刊朝日』にも、『たーちゃんの機智』という漫画が掲載されています。機智(きち)とは、とんちが利くことという意味です。
小寺鳩甫(こでらきゅうほ・1889年~1962年)という大阪の漫画家が描いた作品です。彼は、風刺漫画や子供向け漫画を得意としました。
たーちゃん『お父ちゃんスケートに行きたいよ』
お父さん『今日は御用があるのだよ』
お父さん『(御用が)早く済めば連れていくが、まあダメだな(寒いところはごめんだよ)』
来客者『お父さんはお家ですか?』
ターちゃん『お家で今日はとても忙しいんだって』
来客者『ではまた来ましょう』
ターちゃん『お父ちゃんお客さまだよ~』
来客者『ちょっと遊びに寄ったのですが失礼します、おあいそに時間をつぶさせては気の毒だから』
お父さん『用事は済みましたからどうぞおあがり』
ターちゃん『ご用は済んだのだから、さあスケートに行こうよ』
お父さん『ええっ!!』
80年前の漫画ですが、絵のタッチが可愛いですね(*‘∀‘)
欄外の広告
現在でも、週刊誌に掲載されていた連載物が単行本になって発売されたりしますが、この時代もあったみたいです。あったみたいですが、本の内容が『防空常識講座』って(;'∀')
1939年は太平洋戦争も始まっていない時期ですが、そんな中でも空襲に対して備えを講じようとする姿勢はあったのですね(なお、戦時中は想定以上の空襲が襲い、役に立たなかった模様)
ちなみに、この【時には昔の雑誌を‥】シリーズの初期において、空襲に対する備えを特集した『写真週報』という雑誌を記事にしたことがありました。良かったらご覧ください(この頃はまだ、はてなスター3つとかだったのよね~)
疲労防止回復薬"オフナール"なる栄養剤の広告です。
「国民精神総動員が叫ばれる現在です。私たちは工場にオフィスに家庭等でいずれも心身の緊張が要求されています。オフナールは全ての疲労に服用して効果を表す作用がありますから、慰問袋にはぜひ欠かせぬものであります」
今でいうアリナミンみたいなものでしょうが、この製造元「大日本製薬株式会社」は、戦時中に"ヒロポン"という疲労回復薬という名の覚せい剤(当時は合法である成分を使用してましたが‥)を販売した闇深い製薬会社です。
右端の広告は、自動車免許を取得する通信講座の紹介です。現在では車の免許は学科試験と実技試験を受けなければなりませんでしたが、この当時は小型免許(今の二輪車や軽自動車)と普通免許に分かれており、小型免許に関しては"無試験"で取得できました。
当時の軽自動車(試験無しの小型免許で運転できる)はこちら
出典:http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=224
日産自動車が発売した国産自動車"ダットサン"です。
「兵隊に駆り出されたら、車運転できると好都合だぞ」ということで、免許を取得するために今でいうユーキャンのような通信講座を受講しませんか?ってことです。
無試験で免許が取れるって現在の価値観ならば恐ろしいのですが、当時の日本全体の車保有台数は20万台(現在は8000万台)程度でした。車の免許を取得しようと思うのは、タクシードライバーなどのプロの運転手を目指す人だけだったので、こんなに雑な免許取得制度だったようです。当時は車を保有するなんて夢のまた夢であるし、車を保有できるようなお金持ちは、運転手を雇うので免許など必要ないのです。
真ん中はカメラの広告ですね(*‘∀‘) 当時はお米10キロが3円くらいの時代です。このカメラは39円します。多分現在の価格でお米10キロは4000円くらいだと思うので、4000円÷3=約1333、現在の価値で39円×1333倍=51987円、小型カメラとしては妥当な金額でしょうか(´・ω・`) このカメラはボルタックスという製品名ですが、当時のカメラ愛好家からの評価としては「おもちゃに毛の生えたもの程度」だったそうです(;・∀・)
左端の広告は、日本犬の育て方についての飼育本ですね。今は渋谷で銅像になっているハチ公もこの時代のワンちゃんですから、日本人の間で日本犬の飼育がブームになったのです。
80年前の小話シリーズ
ここでは、『週刊朝日』の読者から寄せられた"小話"を紹介しているページです。小話とは、ギャグであり短い面白い話っていう意味です。80年前の人々のギャグセンスはどうだったのでしょうか?見ていきましょう。
【鼻の向いた方】
クビになった2人の労働者
A『お前これからどこへ行くつもりだ?』
B『こうなったら仕方ねえ、鼻の向いた方へ行くさ』
A『えっ!お前死ぬ気か?』
B『?』
A『だってお前の鼻は天国の方を向いてるぜ』
【釣れた魚】
妻『あの頃はずいぶん何でも買って下さったのにこの頃はちっとも‥』
夫『そりゃ当たり前だよ、釣れちまった魚に餌をやる奴があるもんか』
【幽霊】
患者『殺された人間はきっと化けて出るって本当ですか?』
ヤブ医者『それは嘘だね。その証拠に僕は開業以来誤診でかれこれ千人近くたしかに殺したが、一度も出たことが無い』
【応募者中第一】
社員採用試験にて‥
会社重役『君の履歴書は応募者の中で一番上手だね。俺は感心したよ』
求職者『はあ、そうかもしれませぬ。大学卒業以来丸5年間ほとんど毎日書いてますので‥』
【さすがに先生】
先生『これこれ、喧嘩をしてはいけません、なぜ喧嘩をしているのですか?』
子供たち『先生、こうなんですよ。上手く大きなウソをついた者が子犬をもらう事になって、僕のほうが大ウソだ、いや僕のほうだ、と争っているんです』
先生『何です、私が君たちの年頃の時はウソなんてウの字も知らなかったものだがな‥。情けない、今どきの児童ときては‥』
子供たち『わー、さすがに先生!これは負けだ。この子犬は先生にあげるよ』
【代用品時代】
妻『あたし今日忙しいからあなた婦人会に出席してくださいよ』
夫『男の僕が行けるかい』
妻『でも何でもかんでも代用品時代じゃありませんか』
※当時は戦時下のため、資源節約のため代わりの品(代用品、鉄の代わりに陶器を使用するなど)を使用することが奨励ました
【ほかに手はない】
妻『ねえあなた。今日の新聞に子の無い家庭には税金をかけるって記事が出ていますが、どうしましょう、ほんとうに‥』
夫『取り換えるよりほかに手はないね‥』
【女房直受取】
A『君は月給の何分の一を持って帰るかね(妻に渡すという意味)』
B『一銭も持って帰らないよ』
A『えっ!それでよく奥さんが黙っているね~』
B『いや、いつも女房が会社に直接取りに行くんだ』
面白いかどうかは読者の方のご判断にお任せします。思うのは、80年前とはいっても現在でも通用する小話であるということですね(*‘∀‘) なお、ギャグの解説をするという無粋なことはしませんので、ギャグの意味が分からない場合はご連絡ください
まとめ
ご覧いただきありがとうございました。
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